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【孫氏】中国古典兵書研究スレ【六韜】

1 :名無し三等兵:2008/03/31(月) 10:01:48 ID:???
戦史を紐解きながら兵書を研究するスレです

2 :名無し三等兵:2008/03/31(月) 10:06:53 ID:???
おや >>2か

3 :禿頭自営業 ◆kFPVmIKG7g :2008/03/31(月) 10:07:35 ID:???
惨状!いたたキチガイ。

4 :名無し三等兵:2008/03/31(月) 17:34:24 ID:???
         ,,-――-ヘ    敗 戦 記 念 ♪
       . /./~ ̄ ̄ヽ ミ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Macarthur_hirohito.jpg
        | |    . | |  マッカーサー元帥の下に呼び出され、戦犯ヒロヒト記念撮影
        | |━- -━| |  http://en.wikipedia.org/wiki/Hirohito
 General . |/=・=| =・=ヽ|
        (6|   |__i . |9)        / ̄ ̄~ ̄\
. MacArthur |   ._,  |         /./ ̄ ̄ ̄\ |
         \_____丿        |┏━  .━┓|
      ,--―|\   /|¬―、  .   |/‐(◎)-(◎)‐|.|
    /   .|/~\/\|    \  (6|    |_」  . |9)
   /    __ /・  __|   |   丶  ━━  /
 /   /| | ・ | |・  | ・  |   |    \ ' ̄~ /
<   .<  |  ̄ ̄ |・   ̄ ̄~| . )   /| ̄ ̄ ̄|\
. \  \ .|___|・____/  /  /\| ̄▼ ̄|/\
  .\  \|____回___|  /  /   |\▲/|   ヽ
   . \ /          \/  /.戦犯 |  ▼  | ヒロヒト |
      /            | . |      ̄~|~ ̄      |
      |      i      | . |  |    | o  . |   |
      |      |      |  |  |   . | o     |   |
      |      |      |  |  |  .  ∧    |   |
    .  |     ||    .  |  |___|   / ヽ .  |___|
    .  |     ||      |   | |   /  | .\   ||
       |    . | |     |.  .巛|u  /. / |  ヽ  u|》》
     . |    | |     |      |/  /  |   \|
       |   . |  |    |  .  . |    | . |    |
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       (  )   (   )       (_丿  ヽ_)
        `ー"    `ー"

5 :名無し三等兵:2008/04/12(土) 04:12:32 ID:???
┌──────────────────┐
│                              │
│    しばらく空腹のまま お待ち下さい。 .... │
│                 ノ⌒ヽ          │
│             (( (  ○ ), ))       │
│      (⌒⌒)       ヽ__メ´           │
│       |__|   _____ 彡"         │
│       (・ω・)ノ━ヽ___ノ'''゙ ッパ      │
│       ノ/ :/                     │
│       ノ ̄ゝ                    │
│        Now Cooking ...        │
└──────────────────┘


6 :名無し三等兵:2008/04/13(日) 10:44:57 ID:???
「孫氏」というタイトルからして不安になる。スレ立て主は廟算を軽視する向きがあるようだな。

真面目な話はできそうに無いな。


7 :名無し整備兵:2008/04/19(土) 22:52:16 ID:???
孫子 計編
曹操:計は将を選び、敵を量り、地形を判断し、兵卒を考慮し、遠近・険易を廟堂において計ること。
李筌:計は兵の上である。太一遁甲もまず計をもって徳宮に神を加え、主客成敗を断じる。
    故に孫子も兵を論ずるに計を最初に持ってきたのだ。
杜牧:計とは計算すること。何を計算するかといえば、以下の五つ、即ち道・天・地・将・法である。廟堂の上で
    まず彼我のこの五つの優劣を計算し、然る後に勝負が定まる。勝負が定まってから、然る後に動員し
    戦争する。用兵の道はこの五つより先に考えることはない。したがってこの編を最初にしたのだ。
王ル:計とは、主将・天地・法令・兵衆・士卒・賞罰を計ることである。
張預:管氏(管仲?)いわく、「まず国内で計画を定め、しかる後に兵を国外に出す。」故に用兵の道は計が
    最初に来るのだ。こう聞く人もいる。「兵は敵に臨んで上手く運用するのが重要なのに、曹操が廟堂
    での計算を重要視したのは何故か?」将の賢愚・敵の強弱・地の遠近・兵の衆寡について、先に計算
    せずしてどうするか。両軍相臨むに至って、それなりの変化はありうる。しかし、現場で将軍が処置
    できることには限りがあるのだ。

8 :名無し整備兵:2008/04/19(土) 23:11:16 ID:???
孫子曰く、兵は国の大事
杜牧:左伝にいわく、「国の大事は祭祀と軍事である。」
張預:国の安危は兵に在り。故に武を講じ兵を練成することが、実に先務である。

死生の地、存亡の道、察せざるべからず。
李筌:兵は凶器であるが、死生存亡はこれにかかっている。したがってこれを重んじ、
    人が軽々しく使うのを恐れるのだ。
杜牧:国の存亡、人の死生、皆兵による。故に考慮しなければならない。
賈林:地とは、場所のことであり、また陣地を作り、行軍し、戦闘する地域である。その
    利を得れば生き、その便を失えば死す。故に「死生の地」という。道とは運用により
    勝利を得る道である。これを得れば存し、これを失えば亡ぶ。故に察せざるべから
    ざるなり。書経にいわく、「存する道にあるものは、これが堅固になるのを助け、
    亡ぶ道にあるものは、これの滅亡を助ける。」
梅堯臣:地には死生の勢いがあり、戦いには存亡の道がある。
王ル:軍事には、死生存亡が関わっている。
張預:民の死生は我に兆し、国の存亡は敵にかかっている。死生を地に求め、存亡を道に
    求めるのは、死生は勝負する地域にかかっており、存亡は得失の道によるからだ。
    慎重に考慮せざるを得ないではないか。

9 :名無し整備兵:2008/04/19(土) 23:33:12 ID:???
 故にこれを経(はか)るに五事をもってし、これを校(はか)るに計をもってし、その情を索(もと)む。

曹操:この後に述べる五事七計で、彼我の状況を求める。
李筌:この後に出てくる五事のことである。校は量ることで、遠近を量り情報を求め敵に対処する。
杜牧:経とは計ることである。五とは、このあとの所謂五事である。校は量ることである。計とは
    最初に出てきた計算のことである。索は捜索することである。情は彼我の情報である。この
    文は、先ず第一に五事の優劣を量り、次に計算の得失を量り、しかる後に初めて彼我の
    勝負の状況を求めることが出来ると述べている。
賈林:彼我の計謀を量り、両軍の情実を求めれば、(両者の)利点欠点が分かり、勝負も判明する。
梅堯臣:五事を量り、計算した利点を明らかにする。
王ル:経とは常態を把握することであり、また経緯の把握でもある。計とは、以下に出てくる七計である。
    索とは、全てを網羅することである。兵の大経は、道天地将法の範囲からはみ出るものではない。
    七計をもって量れば、彼我の勝負の情況を明らかにすることが出来る。
張預:経とは経緯である。上段は五事の優劣を分析し、下段は五事によって彼我の優劣を量り、勝負の
    情況を探索することを述べている。

10 :名無し整備兵:2008/04/19(土) 23:49:11 ID:???
一に曰く、道

張預:恩と信で民を使うこと

二に曰く、天

張預:上は天の時に従うこと

三に曰く、地

張預:下は地の利を知ること

四に曰く、将

張預:賢能に委任すること

五に曰く、法

杜牧:これが五事である。
王ル:これが五事を量るということである。用兵の道は人の和を本となす。天の時と
    地の利は、その補助である。この三者が具わって初めて戦争が出来る。
    戦争するためには有能な将が必要であり、有能な将がいて軍規が修まる。
    孫子がこの順番で書いたのは、こういう意味があるからだ。
張預:節制厳明なこと。将と法は五事の中では優先順位が低い。それは戦争の際
    廟堂で先ず恩信の厚薄を察し、次に天の時に従っているかを見て、さらに
    地形の険易を判断し、三者が明らかになってから将を任命して部隊を編成
    するからだ。軍が国外に出てからは、法令は将に一任される。そのために
    この順になる。

11 :名無し整備兵:2008/04/20(日) 00:10:55 ID:???
道とは、民をして上と意を同じくせしむるなり。

張預:恩信道義をもって人々を慰撫すれば、三軍は心を一つにし、使われることを楽しむ。
    易経に曰く、「難を犯すをもって悦びとし、民はその死を忘れる。」

故にこれとともに死すべく、これとともに生くべく、危うきを恐れざるなり。

曹操:教令のことを道という。危うきとは、恐れ疑うことである。
李筌:危うきとは、亡ぶことである。道をもって人々を教化すれば、人々は
    自ら変わるものだ。一致団結して運用されるなら、亡ぶことなど
    考えられない。
杜牧:道とは仁義のことである。李斯が荀卿に軍事を聞いたときの返答は、
    「仁義により政治を修めることだ。政治が修まれば民は上に親しみ、
    その君主(の治世)を楽しみ、その維持のために死すら軽んじる。」
    また趙の考成王に対し兵を論じていわく、「百将が心を一つにすれば、
    三軍は協力して力を発揮する。臣下が君主に対し、また下級のものが
    上級者に対するとき、子が父に従い、弟が兄に従うようになる。まるで
    手足が頭部や胸部(のような重要部位)を守るように。」このようになれば
    初めて上下が意識を統一し、死生を共にし、危険や疑念を恐れないよう
    になる。

12 :名無し整備兵:2008/04/20(日) 00:57:17 ID:???
(続き)
陳r:杜牧に同じ
孟氏:「人疑わず」とするテキストもある。終始二心を抱かないことである。また「人危うからず」
    とするテキストもある。政令をもって道とし、礼教をもってこれを整えれば、士民を教化し
    心服させることができ、上下心を同じくすることができる。用兵の妙は権術を道となすに
    ある。大道廃れて法があり、法廃れて権があり、権廃れて勢があり、勢廃れて術があり、
    術廃れて数がある。大道は朽ち果て、人情は落ちぶれ、権謀術数でこれを得なければ
    欲するところが得られない。故に権謀術数でも民をして上下同じ方向に向かせ、愛憎を
    共にし、利害を一にする。そうすれば人心は徳に帰り、人の力を得て無私に至る。故に
    百万の衆もその心を一つにし、これと共に死すべく力を動かし、危亡に至らざるなり。
    臣下が君主に対し、下級者が上級者に対し、子が父に従うように、弟が兄に従うように
    手足が頭部や胸部を守るように動くようになる。このようになって、初めて上下意を同じく
    すべく、死生を共にし、危疑を恐れなくなる。
賈林:将は道をもって心となし、人と利を同じくし患いを共にすれば、士卒は服し、自然に心は
    上級者と同じになる。士卒が我を父母のように慕い、敵を仇のように思うには、道に非ざれば
    不可能だ。黄石公いわく、「道を得るものは昌(さか)え、道を失うものは亡ぶ。」
杜佑:これを導くに政令をもってし、これを整えるに礼教をもってすることをいう。危とは疑うこと。
    上級者が仁を施すなら、下級者は命をかけて従うことができる。故に生きるか死ぬかの難局を
    共にし、危険な敗戦も恐れることがない。晋陽の包囲の際、かまどが沈んでカエルが住むように
    なっても、反乱が発生することがなかったように。


13 :名無し整備兵:2008/04/20(日) 00:58:19 ID:???
(続き)
梅堯臣:危とは、不安のことである。君主が有道であれば、政教が行われる。人心が同じなら、危険や
     不安は去る。故に君主が安心すれば共に安心し、君主が不安なら同じく不安になる。
王ル:道とは、君主が有道であれば民心を得られる事を言う。民心を得れば死力を尽くさせることができる。
    死力を尽くさせることができれば、患難を乗り切ることができる。易経に曰く、「難を犯すをもって悦びと
    し、民はその死を忘れる。」 このようになれば、危難を恐れる必要があるだろうか?
張預:危とは、疑うことである。士卒は恩に感じ、死生存亡を上と同じくして恐れ疑うことがない。


14 :名無し三等兵:2008/04/20(日) 21:35:35 ID:???
中国だけだと過疎落ちするから
欧州の古典も含めた総合スレで建てた方がよかったのでは


15 :名無し三等兵:2008/04/27(日) 15:10:05 ID:???
孫子 作戰第二

夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乘其弊而起、雖有智者、不能善其後矣。

訳:(国家が疲弊して)兵力が鈍り鋭気が挫け、国力を失い財政破綻すると、すぐに近くの諸侯が兵を起こして攻め込んでくる。

いかに知恵者が居たとしても、善後策なんぞ立てようもくなってしまう。

・・・この一文だけでも百篇は書き取りさせたい。

誰にって?

つい60年ほど前、常々やばいと言われてた隣国に、戦争終結のための斡旋を依頼したら、
その隣国にこの文そのままの形で攻め込まれたどっかの国の国家指導者達に、だ!

16 :名無し三等兵:2008/04/28(月) 23:31:43 ID:???
意外にも良スレの予感…
とりあえず保守!

>>14
それだと大風呂敷に過ぎる気がしない?
中国兵書に限っても十分研究する価値はあるだろうし…。


17 :名無し三等兵:2008/04/29(火) 11:04:48 ID:???
中国の兵書だけでも、独立したスレが欲しいところだが
語れる人が少なすぎる

軍板で武経七書などの中国古典兵書の話が出来る人は
クラウゼヴィッツの戦争論やマハンの海上権力史論まで語れるだろうしな。
それで、中国と欧米でジャンル分けすると、日本の兵学関係の古典はどうするという話になる。
一箇所の総合スレを用意して、スレ住人が増えてきたら、分野ごとにスレを独立を検討するのがいいのでは?

なんにしろ、1さんが頑張って、住人を増やさないとね。

参考
軍事百科事典 孫子・クラウゼヴィッツから佐藤大輔まで戦理解説
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub22.htm




18 :名無し整備兵:2008/04/30(水) 22:23:48 ID:???
天は、陰陽、寒暑、時制なり

曹操:天に従いて戦争を行うには、陰陽四時の制による。故に司馬法曰く、「冬夏には師を興さず。民を兼愛する所以なり。」
李筌:天に応じ人に従い、時に因りて敵を制する。
杜牧:陰陽とは、五行、刑徳、向背の類である。(陰陽家には)巫咸、甘氏、石氏、唐蒙、史墨、梓慎、裨竈といった人々の
著述があるが、結局重要なのは人間の行いである。呉が越に滅ぼされ、秦がその暴政で滅びたとき、星による兆候は
現れたかも知れないが、それは地上の人間の行いが反映されただけのことだ。
 刑徳向背(軍の態勢についての俗説。例えば「背水の陣は負け」など)は、もっと信用できない。周が殷を滅ぼしたときは
そうしたいわれに反していながら、わずか2万人強の軍勢で紂王を破ったではないか。現在でも、我が国(唐)は元和年間
(9世紀初頭)以来今に至るまで30年間のうち、4回も山西に出兵して昭義軍(軍閥の一つ)と戦い、十万と号する軍勢で
臨城県を包囲したが、東西南北から攻めても陥落しなかった。攻囲戦は通算すれば10年くらいになろうが、その間に
「刑徳向背」とかで良しとされている方角から攻めたことが何度もあるはずだ。陥とせなかったのは、ただ単に守りが堅かった
からではないか。歴史を見ても、秦が長年にわたり国力を強め他の6国を征服したのは、200年間運がよかったからでは
なくて、人材を集め富国強兵に励み法令を明確にしたからだ。
 梁の恵王が尉繚子にこのように聞いている。「黄帝は刑徳という方法で百戦し百勝したというが、本当か?」尉繚子の答えは
「違います。黄帝の刑徳のうち、刑とは武力で他国を攻めること、徳とは道義で国を治めることです。今世間で言われる
刑徳ではありません。人材登用はいつでも大切だし、良法制定は占わなくても必要だし、表彰栄典は先祖に祈らなくても重要です。」
(続く)

19 :名無し整備兵:2008/04/30(水) 23:13:18 ID:???
(杜牧註の続き)
 周の武王が殷の紂王を征伐したとき、様々な凶兆が表れたが、太公望呂尚は「軍事は天に
従わなくてもいい。暴政で民意を失った紂王を攻めるのに、占いなどに従う必要はない」として
先頭に立って進み、勝利した。(南北朝時代)宋の高祖(劉裕)が(南燕皇帝)慕容超を広固で
包囲して攻撃をかけるとき、「日が悪い」と諌められたのに対して「敵にとっての厄日だ。」と
攻撃を開始し、勝利している。また後魏の太祖武帝(道武帝・拓跋珪)が後燕の慕容麟を討った
ときも、「紂はこの日に敗れました」と言われたのに対し「周の武王はこの日に勝ったんだ」と
言い返して攻撃を続行し、勝利した。同じく太武帝(世祖・拓跋Z)は夏の統万城で赫連昌を
攻めたとき、天候の急変を「ただの自然現象だ」とする部下の忠告に従って戦闘を強行し
勝利している。それほど陰陽向背が信用できないなら、孫子は何故これを書いたのか、という
疑問もあるだろう。それは、暴君や暗君を説得する上で有効だからである。
 寒暑や時気は、その行動を節制するに止まる。周瑜が孫権に曹操の四敗を説いたとき、
そのうちの一つに「今は真冬で馬の飼葉がない。中原の兵隊を集めて遠く長江まで連れて
くれば、環境が合わずに病気が発生する。これは用兵上避けるべきこと」としている。寒暑も
天の時と同じことなので、一緒に述べているのだ。

孟氏:兵は天の運行を法とする。陰陽とは剛柔盈縮のことだ。陰とは行動を秘匿することであり、
陽とは勢いに乗って迅速に行動することである。先手を取られたら陰を用い、先手を取ったなら
陽を用いる。陰であれば敵は行動が秘匿できず、陽であれば敵に行動を察せられない。陰陽に
決まった形はないので、兵は天に従う。天には寒暑があり、兵には生殺がある。天は殺すこと
(植物が枯れることなど)で物事を制御し、兵は戦機で態勢を制御する。故に先ず天があるのだ。

20 :名無し整備兵:2008/04/30(水) 23:57:23 ID:???
賈林:時制を読み時気を為すとは、良い時期に従い、気候の利を占めることだ。
杜佑:天に順じて誅を行うとは、陰陽四時剛柔の制によることである。
梅堯臣:兵は必ず天道に従い、気候に従い、時をもってこれを制する。これが制ということだ。
司馬法曰く、「冬夏には師を興さず、民を兼愛する所以なり。」
王ル:陰陽とは、天道、五行、四時、風雲、気象をまとめたものだ。これに精通すれば勝利に
つながる。とはいえ特別な人からその秘訣を聞かない限り、習得は難しい。黄石公が張良に
書を授けた、太公兵法(三略)のようなものだ。書いてあることは天機神密であり、普通の人に
分かるわけがない。何十もの解釈が出ているが、取り上げるほどのものはない。寒暑は呉起が
いうように疾風、大寒、盛夏、炎熱の類だ。時制とは、時期の利害によって適切に制御する
ことである。范蠡は「天の時は作為できないが、人に主導権をとられるな」といっている。

21 :名無し整備兵:2008/05/01(木) 00:04:04 ID:???
張預:陰陽とは、孤虚向背とかではない。兵には自ずから陰陽がある。范蠡は「後手に回ったら
陰を用い、先手を取ったなら陽を用いる。敵の陽節を出し尽くさせ、我は陰を活用し、主導権を
奪う。」といい、また「右に備えるのを牝といい、左に備えるのを牡という。朝夕は天道に従う」と
ある。李衛公(李靖)はこれを解釈し、「左右とは人の陰陽、朝夕は天の陰陽。奇正とは天と
人とがそれぞれ変わることの陰陽である。」としている。これらの言葉は、兵には自ずから陰陽
剛柔の用があり、天官日時の陰陽ではない、ということを言っている。今尉繚子の天官の篇を
見れば、その意味は最も明らかである。太白陰経も天無陰陽の篇があり、これらはそれぞれの
書の冒頭に来ている。世の人の混乱を治めたいからだ。
 太公望呂尚は「聖人は後世の戦乱を招かないために、いろいろ偽書を作成して、天道に頼って
勝つという軍事的に無益なことを広めたのだ」と書いている。唐の太宗(李世民)もまた、「凶器は
軍隊よりはなはだしいものはない。戦争が政治に有益であるなら、それを避けることが疑われる
ようになるだろう」といっている。
 寒暑とは、冬や夏に戦争を行うことである。漢が匈奴を攻めたとき、(凍傷で)多くの兵が指を
失った。馬援が南方を征服したとき、多くの兵は疫病で死んでしまった。皆冬や夏に戦争を行った
からだ。時制とは、天の時に合わせて戦争を行う、ということだ。太白陰経では、天の時とは水害や
旱魃、蝗害や雹のような荒れた天候のことで、孤虚向背で言う天の時ではない、としている。

22 :名無し三等兵:2008/05/01(木) 23:28:09 ID:???
>>17
割と新参者のせいなのか、
考えてみると古典的な兵書を研究するようなスレって見かけないですよね

一応中国古典兵書となっていますが、
場合によっては西欧や日本も含めて良いかもしれませんね。
孫子などの中国古典と戦争論など西欧古典の共通性などの比較や
相互関係を見るというのも必要だと思いますし。
で、もし次スレ立つような時には総合スレにするって感じで…w

ところで、例えばイスラム世界などには
孫子などに匹敵するような兵書の類は無いんでしょうか?
オスマン帝国なんか一時はかなり強大でしたし
結構興味深いと思うのですが。

23 :名無し整備兵:2008/05/06(火) 00:07:34 ID:???
地は、遠近、険易、広狭、死生なり

曹操:九地の形勢は同じではなく、時制によって利があることを言う。「九地編」の中で
説明される。
李筌:形勢の地を得ることにより、死生の勢いを有する。
梅堯臣:形勢の利害を知ることである。
張預:およそ用兵には、先ず地形を知ることが重要である。遠近を知れば即ち迂直の
計をなすことができる。険易を知れば即ち歩兵と騎兵の利点を活かすことができる。
広狭を知れば、即ち大部隊・小部隊の運用に活かせる。死生を知れば、即ち戦うべきか
避けるべきかを判断することができる。

24 :名無し整備兵:2008/05/06(火) 00:09:20 ID:???
将は、智、信、仁、勇、厳なり

曹操:将はこの五徳を備えなければならない。
李筌:この5つは将の徳であり、故に戦争は「人材の比較」」とも言われるのだ。
杜牧:先王の道は仁を最初に挙げるが、兵家では智を最初に挙げる。智とは組織を
掌握し、変化に応ずることである。信とは部下に賞罰に対する疑念を抱かせないことである。
仁とは人や物を愛護し、いたわりの心を持つことである。勇とは決勝の勢いに乗り、逡巡しない
ことである。厳とは権威と刑罰とで三軍を統制することである。楚の申包胥は越(実際は秦)に
使者としていき、越王勾践に呉を攻撃するよう、戦争を促している。このように、戦争には智が
重要であり、仁がこれに次ぎ、勇がこれに次ぐ。智でなければ、国力の限界を知ることができず、
天下の大勢を判断することができない。仁でなければ、三軍と飢えや苦労を共にすることが
できない。勇でなければ、疑念を廃して計略を断行することができない。

25 :名無し整備兵:2008/05/06(火) 00:14:03 ID:???
賈林:智に任せすぎると大義を失い、仁に偏りすぎると臆病になり、信を守りすぎると愚行となり、
勇に頼りすぎると粗暴になり、厳に行き過ぎると残虐になる。この5つを兼備し、それぞれを適所に
使えば、将帥というべきだろう。
梅堯臣:智は計謀を案出できること。信は賞罰を公平にできること。仁は兵士の信望を集められること。
勇は果断に決心できること。厳は威厳のあること。
王ル:智とは先見の明があり惑うことなく、計略を案出でき変化に応じることである。信とは命令が一貫
していることである。仁とは思いやりの心があり、人心を得ることである。勇とは大義に従い懼れることなく、
果断に決心することである。厳とは威厳をもって群集を統制することである。この5つは全て必要であり、
一つが欠けてもいけない。したがって曹操は「将はこの五徳を備えなければならない。」と言っているのである。
何氏:智でなければ敵の動きを読んで戦機に応ずることができない。信でなければ部下を統率することが
できない。仁でなければ部下の兵士はついてこない。勇でなければ決戦することができない。厳でなければ
強制力で部隊をまとめることができない。この5つの全てをもって、将の体をなすのだ。
張預:智にして乱されず、信にして欺かれず、仁にして軽率にならず、勇にして懼れず、厳にして犯されず。
五徳が皆備わり、しかる後に大将となすべし。

26 :名無し整備兵:2008/05/06(火) 00:18:47 ID:???
法は、曲制、官道、主用なり

曹操:部曲、旙幟、金鼓の制である。官とは百官の身分である。道は補給路である。
主は軍事費の管理である。
李筌:曲は部署である。制は統制手段である。官は職位である。道は道路である。
主は管理である。用は軍用の資材等である。皆戦争のとき常に必要となるものであり、
将が管理すべきものである。
杜牧:曲は部曲隊伍の組織のことである。制は金鼓旌旗の統制のことである。
官は上下の職位制度のことである。道は陣地を設けたり出陣するために必要な
道路のことである。主は倉庫や家畜の管理を運営させることである。用は
車馬器械といった、軍が必要とする物のことである。荀子は「装備品には定数が
ある」としている。兵は食をもって本と為すのであり、まず補給路を計画した後で
開戦するのだ。
梅堯臣:曲制は部曲隊伍であり、組織には統制が必要だということである。
官道は上下の職位であり、統率には道理が必要だということである。主用とは
軍の各種装備や消耗品の管理であり、計画が必要だということである。
王ル:曲は兵士の所属のことである。制はその行動を律する統制手段である。
官は各級の職位である。道は軍が行動し、宿営する地域のことである。
主は所掌の事務に専念させることである。軍の用とは、輜重糧積のようなことである。
張預:曲とは部署である。制とは統制手段である。官とは上下の制度であり、
道とは補給路のことである。主は補給・経費担当者であり、用とは所要の物資を
見積もることである。この6つは用兵の要であり、上手く処置するためあらかじめ計画する。

27 :名無し三等兵:2008/05/16(金) 00:05:42 ID:???
保守

補給の要は遥か昔から指摘されてたということですね…


28 :名無し整備兵:2008/05/18(日) 00:18:41 ID:???
凡そこの五者は、将の聞かざるなく、これを知るものは勝ち、知らざるものは勝たず

張預:上の5つは、誰でも同じように知っている。但しその変極の理に深く通じているものは勝ち、
そうでなければ負ける。

故にこれを校(はか)るに計をもってし、その情を索(もと)む。

曹操:この5者を同じように聞いても、その変極を知っている方が勝つ。その情を索むとは、勝負の
情報のことだ。
杜牧:上の5事は、将軍が知りたいことであり、彼我の優劣を比べ、その後情報を調べる。これが
できれば勝ち、できなければ負ける。
賈林:書経に曰く、「これを知るは難きに非ず。これを行うの難きを惟る。」
王ル:まさに知を尽くすべし。五事は周知のことだといっても、その情報を十分入手しないと7計が
できない。
張預:上で既に5事が明らかになった。この後は彼我の得失を考慮し、勝負の情報を入手しないと
いけない。

29 :名無し整備兵:2008/05/18(日) 00:45:57 ID:???
曰く、主孰(いず)れか有道たる?

曹操:道徳智能のこと。
李筌:孰とは「実」である。有道の君主であれば、必ず智能の将がいる。范増は楚を辞し
陳平は漢に帰した。即ちそういうことだ。
杜牧:孰とは「誰が」という意味である。我と敵の主君のどちらが佞を遠ざけ賢に親しみ、
委任した相手を信用するか、ということを言う。
杜佑:主とは君主である。道とは道徳である。必ずまず両国の君主のどちらが有能かを
比較する。荀息が虞公を貪欲で宝物を好むと判断し、宮之奇を臆病で強く諌めることが
できないと判断したようなものだ。
梅堯臣:どちらが人心を得ているか、である。
王ル:韓信が項王を「匹夫の勇・婦人の仁であり、覇とはいっても天下の人心を失って
いる」といい、漢王(劉邦)が武関に入ったとき秋毫も犯すところなく秦の苛法を除いた
ため、秦の民は劉邦が秦の王になることを望んでいると言った様な事である。
何氏:書経には、「我を撫せば即ち后となり、我を虐げれば即ち讎となる」とある。撫虐の
政治はそれぞれどうか、ということだ。
張預:まず二国の君主で、どちらが恩信の道に従っているか、即ち上下が心を一つに
するような政治をしているかを比較する。淮陰候(韓信)が項王を仁勇とも高祖(劉邦)
より上だとしながら、功績ある部下を賞しないため「婦人の仁」と評したのも、これに
あたる。

30 :名無し整備兵:2008/05/18(日) 01:35:30 ID:???
将孰(いず)れか有能たる?

杜牧:将のいずれが有能か、とは、上で出てきた智信仁勇厳のことだ。
梅堯臣:杜牧に同じ。
王ル:漢王(劉邦)が魏の大将柏直を問い、「乳臭い若造で、韓信に敵うわけがない」と
判断したようなことだ。
張預:彼我の将を観察し、智信仁勇厳の能力を比較する。漢の高祖(劉邦)が魏の将
柏直を韓信にかなわないと判断したようなものだ。

天地は孰(いず)れか得たる?
曹操と李筌:天の時と地の利のことである。
杜牧:天とは上で述べた陰陽、寒暑、時制である。地とは上で述べた遠近、険易、広狭
死生である。
杜佑:両軍の拠るところを観察し、どちらが天の時と地の利を得ているかを知る。
梅堯臣:天の時に合っているかを調べ、地の利を詳細に観察する。
王ル:杜牧に同じ。
張預:両軍が行動しているところを観察し、どちらが天の時と地の利を得ているか見る。
魏の武帝が真冬に呉を攻めたり、慕容超が大「山見」(地名)を利用しなかったりした
のは、天の時や地の利を失うものである。

31 :名無し三等兵:2008/05/20(火) 10:34:45 ID:???
age

32 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 15:41:17 ID:???
法令は孰(いず)れか行はるる?

曹操:設けて犯さず、犯さば必ず誅する。
杜牧:法を作り禁止事項を明記し、身分の上下に関わらず執行する。魏絳が(主君の弟の)御者を
処刑したり、曹操が(自らを罰する代わりに)髪を切ったりしたのは、このためである。
杜佑:発出された号令に対し、部下が敢えて犯すことなく従うのはどちらか、というのを比較する。
梅堯臣:法をもって軍を整え、令をもって統一する。
王ル:どちらの方が法が明らかで令が現状にあっており、また部下がそれに従っているか(を比較する。)
張預:魏絳は楊干(君主の弟で、会盟時列を乱した)を処刑(実際は彼の御者を処刑)し、司馬穣苴は荘賈を
(出陣に遅刻したため)斬り、呂蒙は同郷人を(笠を盗んだため)処刑し、諸葛亮は馬謖を斬った。こうしたことは
いわゆる「法を設けて犯さず、犯さば必ず誅する。」ということである。どちらがこのような状態か判断する。

兵衆孰(いず)れか強き?

杜牧:上下が和同し、戦闘で勇敢であることを「強」という。また兵卒や戦車が多いのも「強」である。
梅堯臣:内和して、外に附く。
王ル:強弱は対陣した場合の陣形で分かる。
張預:戦車が堅固であり軍馬も良く、将校は勇敢で兵隊は気が利き、(前進の)太鼓の音を聞くと喜び
(後退の)銅鑼の音を聞くと不満に思う。どちらがこのような状態かを判断する。

33 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 16:20:56 ID:???
士卒は孰(いず)れか練れる?

杜牧:旌旗や金鼓という信号が良く伝わり、戦闘や進退、機動に関する戦術を良く知り、
弓矢や斬り合いについて訓練していることである。
杜佑:どちらの兵器が強力で、士卒の訓練が行き届いているか、ということである。故に王子
(不詳)は「兵士が訓練されていなければ、戦争時に恐れ混乱するばかり。将校が訓練されて
いなければ、戦争時にすべきことが分からない」と言っている。
梅堯臣:車騎等の運用は、どちらの国が上か。
王ル:どちらの訓練が精到か。
何氏:勇怯強弱は、敵味方全く同じに考えることはできない。
張預:離合集散の法や、坐作進退の令は、どちらが訓練されているか。

賞罰は孰(いず)れか明らかか?

杜牧:賞をみだりに与えず、刑もみだりに加えない。
杜佑:善を賞し悪を罰するのは、いずれが公明かを判断する。故に王子曰く、
「賞にけじめがないと、賞しても恩と思われない。刑にけじめがないと、処刑しても
威力がない」と。
梅堯臣:功あるものを賞し、罪あるものを罰する。
王ル:いずれが功績に合わせた賞を執行し、状況に合わせた罰を与えているか判断する。
張預:褒賞すべきものは、親の仇であっても必ず記録し、罰しなければならないものは、
親子といえども容赦されない。司馬法にも「賞は時を逾(こ)えず、罰は列を遷らず」とある。
どちらがこの通りにしているかを判断する。

吾此れをもって勝負を知る。

曹操:七事をもって比較し、勝負を判断する。
賈林:以上七事で彼我の政治を比較すれば、勝敗を予測することができる。
梅堯臣:こうした状況をよく調べれば、勝負を知ることができる。
張預:七事が全て優れていれば、戦う前に勝利すると分かる。七事が全て劣って
いれば、戦う前に負けが分かる。従って勝負は予知できる、というのだ。

34 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 16:54:14 ID:???
将我が計を聴き之を用うれば必ず勝たん。これに留まらん。将我が計を聴かずして、これを
用うれば必ず敗れん。これを去らん。

曹操:計を定めることができないのであれば、即ち退いて去る。
杜牧:若し彼が自ら護りに備え、我が計に従わず、形勢が均等で相加わること無ければ、戦っても
必ず負ける。辞めて去るべきだ。故に春秋では、「允当則ち帰す」とある。
陳r:孫武は闔閭に書をもって曰く、「吾が計策を聴きて用うれば、必ず敵に勝てる。我はこれに留まり
去らず。吾が計策を聴かざれば、必ず負けん。吾之を去りて留まらず。」闔閭はこれに感動し、必ず
用いようとしたのだ。だから闔閭は「子の13篇は、寡人尽くこれを見る」と言っている。この時闔閭は
戦争に当たり、多くは自ら指揮をしている。そのためここで「主」といわず、「将」といっている。
孟氏:将とは、部下の将校である。吾が計画を聴いて勝つなら、これを慰留する。吾が計画と違うことをして
負ければ、即ちクビにする。
梅堯臣:孫武は13篇の兵書を呉王闔閭に示すとき、最初の篇にこの言葉を入れて印象付けたのだ。
つまり王将が吾が計を聴きて行えば、兵を用いて必ず勝ち、我はここに留まる。吾が計を聴かずに行い、
兵を用いるなら必ず敗れ、我もここから去る、と。
張預:将とは、まさに、と読む。孫子は、今まさに紹介する計略を聞いて兵を用いれば必ず勝ち、我はこれに留まる。
まさに我が計画を聞かず、兵を用いれば必ず敗れ、我も他国に去ると言った。この言葉で呉王を刺激し、登用を
促したのだ。

35 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 17:15:09 ID:???
計利をもって聴かるれば、即ちこれが勢を為して、以ってその外を佐(たす)く。

曹操:常法の外である。
李筌:計の利が既に定まれば、即ちこれが形勢に乗じる。以ってその外を佐(たす)くとは、常法の外である。
杜牧:利害を計算するのは、軍事の根本である。利害は既に観察され、用兵も(君主に)聴かれた以上、
常法の外においてさらに兵勢を求め、考察した利の助けとする。
賈林:その利を計り、その謀を聴き、敵の情報を得て、我は通常ではない形勢で状況を動かす。外とは、
あるいは助攻、あるいは後方の撹乱であり、正面の戦闘を補佐する。
梅堯臣:内に計を定め、外に勢を為し、以って勝ちを成すを助ける。
王ル:我が計の利は既に聴かれ、また変化に応ずることを知り、その他を助ける。
張預:孫子はまた我が計の利を言い、それが既に聞き届けられているなら、また兵勢を為すところに戻り、
考察した利を外部から助長するようにする。兵の常法というものは、人に明言することが可能だが、兵の
利勢は、須らく敵によりて為す。

勢は、利によりて権を制するなり。

曹操:制は権により、権は事により制する。
李筌:時勢によりて謀る。
杜牧:ここで常法の外というのは、勢のことである。勢とは先見することができず、あるいは敵の弱点から我の
長所を見つけ、または敵の長所から我の弱点を見つけ、しかる後に始めて機権を制し勝ちを取る事ができる
ようになる。
梅堯臣:利によりて権を行い、これを制する。
王ル:勢とは、変化に乗ずることである。
張預:いわゆる勢とは、須らく事の利によりて、制して権謀と為し、以って敵に勝つのみ。故に先には言えない。
これより、権変と略される。

36 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 20:37:21 ID:???
兵は詭道なり

曹操:兵に常形は無く、詭詐をもって道と為す。
李筌:軍は詐を厭わず。
梅堯臣:譎(いつわ)りでなければ権を行えず、権が無ければ敵を制することはできない。
王ル:詭は敵に勝つために使うものであって、味方を統御するには必ず信による。
張預:用兵は仁義に基づくものだが、勝つためには必ず詭詐を使う。柴を曳いて塵を揚げるのは欒枝(晋の文公の将)の
譎である。万弩を斉発したのは孫「月賓」の奇略である。千牛をともに奔らせたのは田単の権である。土嚢で川を
せき止めたのは淮陰候韓信の詐術である。これらは皆詭道を用いて勝ちを制したものである。

故に能にしてこれに不能を示し

張預:実は強にしてこれに弱を示し、実は勇にしてこれに怯を示す。李牧が匈奴を破り、孫「月賓」がホウ(广の中に龍)涓を
斬ったようなことだ。

37 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 20:38:39 ID:???
用にしてこれに不用を示し

李筌:自らは軍を運用する準備を整えておきながら、外には恐れていると示す。漢将陳「豕希」が反し、匈奴と兵を連ねたとき、
高祖は10回使者を送り込み、状況を観察させた。全員撃つべしと言ったが、婁敬を送り込んだ時は、「匈奴と戦うべきではない」
と報告した。高祖がその理由を問うと、それに次のように答えた。「両国が相対するときは、通常自分の強さを誇示するものです。
今私が使者として行きますと、疲労した兵しかいませんでした。これは能にしてこれに不能を示しているものです。撃つべきでは
無いと思います。」高祖は怒って曰く「斉の捕虜は口舌で官職を得ただけだ。我が軍を混乱させるとは!」そして婁敬を広武(地名)に
監禁し、三十万人の軍をもって白登(地名)に至ったが、高祖は匈奴に包囲され、7日間飢えに苦しんだ。これが師はこれを外に
示すに怯をもってするという意味である。
杜牧:これはすなわち詭詐は形を蔵(かく)すということである。形とは、敵に見せてはならないものであり、敵が形を見れば、必ず反応する。
左伝にいわく、鷙鳥まさに撃たんとするや、必ずその形を蔵(かく)す」と。匈奴が漢の使者に疲労した兵を見せたようなことだ。
杜佑:我が実際には能力があり、使えるのに、外には無能で使えないと見せ、敵をして我に対する備えをさせないようにすることだ。
例えば、孫「月賓」がかまどを減らしてホウ(广の中に龍)涓を制したようなことだ。
王ル:強にして弱を示し、勇にして怯を示し、治にして乱を示し、実にして虚を示し、智にして愚を示し、衆にして寡を示し、進にして退くと示し、
速くして遅いと示し、取るのに捨てると示し、彼(遠方)にあるのにここにあると示す。
何氏:能にしてこれに不能を示すとは、(匈奴の)単于が弱兵を見せて高祖を誘い、これを平城に包囲したようなことである。用にして
これに不用を示すとは、李牧が雲中(地名)に兵を按じ、匈奴を大いに破ったようなものだ。
張預:戦いを欲するもこれに退くと示し、速からんと欲するもこれに緩いと示す。班超が莎車(国名)を撃ち、趙奢が秦軍を破ったようなものだ。

38 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 21:36:51 ID:???
近くしてこれに遠きと示し、遠くしてこれに近きと示し

李筌:敵をして備えを失わしめる。漢の将韓信が魏王豹を虜としたとき、初めは舟を揃えて臨晋を渡らんと見せかけ、
部隊を迂回させて木のカメで川を渡り、夏陽から安邑を襲わせたため、魏は備えを失したのだ。耿エン(合の下に廾)が
張歩を攻めた際、また先に臨シ(さんずいと、巛の下に田)を攻めた。皆遠きの勢を示したものだ。
杜牧:近くで敵を襲わんと欲するならば、必ず遠く去るの形を示す。遠くにおいて敵を襲わんと欲するならば、必ず近くに
進撃する形を示す。韓信が兵を臨晋に集結させて、しかし夏陽から渡河したが、これは近き形をもって遠くに敵を襲った
例である。後漢末、曹操と袁紹は官渡で相対峙していたが、袁紹は郭図、淳于瓊、顔良等の将を派遣し東郡太守劉延を
白馬に攻めることにした。袁紹は兵を率いて黎陽に至り、まさに黄河を渡河しようとした。曹操は北に向かい延津を救おうと
したが、荀攸曰く「今は兵が少なく敵いません。兵勢を分ければできます。公は兵を延津に至らせ渡河し、敵の背後に回り
ます。袁紹はそれに対応するため、必ず西に向かうでしょう。そこで軽装備の部隊で白馬を急襲すれば、その不備を突く
ことができ、顔良を捕虜にできるでしょう。」曹操はこの助言に従った。袁紹は曹操軍が渡河したと聞くと、自分の軍は停止させ、
一部を西に派遣して対処させた。そこで曹操が部隊を率いて白馬に向かうと、十余里も行かないうちに顔良は驚いて
駆けつけてきたため、張遼と関羽を前進させ撃破し、顔良を斬って白馬の包囲を解いた。これが遠形を示して近くに敵を襲った
例である。
賈林:去就は我にあり、敵は何によってそれを知ることができようか。
杜佑:近からんと欲すればその遠きを設け、遠からんと欲すればその近きを設ける。敵軍を誑かし、これに遠いと見せかけ、
その近きに従う。韓信が安邑を襲ったようなものだ。
(続く)

39 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 21:38:21 ID:???
(続き)

梅堯臣:敵が我の行動を測れないようにする。
王ル:同上
何氏:遠くしてこれに近きと示すのは、韓信が臨晋に舟を集め、しかし夏陽から渡河したようなことだ。近くしてこれに遠きと
示すのは、晋候がカク(妥の女を寸に変えたものに、つくりは虎)を攻めるため虞に道を借りたようなことだ。(唇歯輔車の故事)
張預:近くにこれを襲わんとすれば、かえって遠きを示す。呉と越が夾水(川)で対陣した際、越は左右に別働隊を出し、各5里
離して、夜間鼓を鳴らして進撃させた。呉は部隊を分置してこれに備えた。越は密かに渡河して、呉軍の中央に出てこれを撃破し
呉は大敗したような例がある。遠くにこれを攻めんとすれば、かえって近きを示す。韓信が兵を臨晋に集め、夏陽から渡河したような
例がある。

40 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 21:55:49 ID:???
利にしてこれを誘い

杜牧:趙将李牧は大勢の牧人で野に満たしたが、匈奴が小規模に侵入したときには、偽って逃げ
勝とうとせず、数千人の捕虜をとられた。単于はこれを聞き大いに喜び、大軍で侵入してきた。
牧は意表をついた陣地を多数設け、左右から挟撃し、匈奴の十余万騎を大いに破り殺した。
賈林:利をもってこれを動かす。動けば形が明らかになる。我はその形によって勝を制する。
梅堯臣:敵が利益に弱いなら、貨をもってこれを誘う。
何氏:利にしてこれを誘うとは、赤眉(新末後漢初の反乱軍)が輜重を委ねてケ禹(後漢の将)への好餌と
したような例がある。
張預:小利をもって示し、誘いてこれに勝つ。楚人が絞(国名)を討つとき、莫傲(本名は屈瑕)はこう進言した。
「絞は小国で軽々しい。武器を持たない木こりをもって誘致しましょう。」ここにおいて絞は楚人30人を
捕虜とし、次の日も絞人は争って出撃し楚の木こりを山中で追いかけたが、楚人は山の下に伏兵を設けており、
大いに破った例がある。

41 :名無し整備兵:2008/05/25(日) 22:30:50 ID:???
乱してこれを取り

李筌:敵が利を貪るなら、必ず乱れる。秦王姚興が禿髪シン(人偏に辱)檀を攻めたとき、部内の牛羊を悉く
駆って野に散放させ、秦人が略奪するがままにさせた。秦人は利を追求し、既に行列など無くなってしまった。
シン檀は十将を密かに分置し、これを伏撃させ、大いに秦人を破り、7000あまりの首級を得た。乱してこれを
取るとはこういうことだ。
杜牧:敵に混乱があれば、それに乗じてこれを取る。左伝にいわく、「弱を兼ね昧を攻め、乱を取り亡を侮す。
武の善経なり」
賈林:我は奸智をもってこれを乱し、乱の兆候を得てこれを取る。
梅堯臣:敵が乱れれば、即ちそれに乗じてこれを取る。
王ル:乱とは節制無きを言う。「取」とは易と読む。
張預:偽りて紛乱を為し、誘いてこれを取る。呉越が相攻めたとき、呉は罪人三千をもって整わざるを示し
越を誘った。罪人はあるいは逃げ出しあるいは止まり、越人はこれと争い、呉の破るところとなる。
敵が乱れた後にこれを取るというのは間違いである。春秋では「取」と書いてあるところは、「易」と
読む。魯の師が「寺におおざと(不詳。国名?)」を取るといったように。

42 :名無し整備兵:2008/06/07(土) 17:30:09 ID:???
実なればこれに備え

曹操:敵が実を治めているなら、これに備えなければならない。
李筌:敵の実情に備える。蜀の将関羽は魏の樊城を包囲しようとしたが、呉の将呂蒙がその背後を襲うことを
懼れ、多くの兵を残して荊州を守らせた。呂蒙は密かにこれを知り、仮病を用いることにした。関羽はそれを
信じて荊州に残した兵を引き上げたため、ついに呂蒙に攻め落とされ、荊州全体が呉のものとなった。
このような意味である。
杜牧:陣地で対峙しているときは、虚実を問わず、常に警戒することになる。この文は、むしろ平時において
国境を接する隣国が、国内の政治で実を治め、上下相親しみ、賞罰は明確で信頼され、士卒の練度も高いなら
これに備えなければならず、戦争が始まってから軍備を進めるようであってはならない。
陳r:敵が若し動きが無く内実を堅固にしているようであれば、我もまた防備を厳にし、内実を充実させて
敵に備えなければならない。
梅堯臣:敵が実を備えているなら、我はそれに対し防備を固めないといけない。
王ル:敵将は我の備えていないところを突いてくる。
何氏:敵の充実しているところだけ明らかであり、虚となっているところが明らかになっていないのであれば
実力を蓄えこれに備えなければならない。
張預:易経に「対戦して余りの有るところと不足しているところとが明らかになる」とある。余りの有るところとは
充実したところで、不足しているところとは空虚なところである。この文は敵の兵勢が充実しているなら
我は負けないようそれに備えなければならず、軽挙してはいけないということである。李靖の「軍鏡(兵法書?)」
には「その虚を観れば即ち進み、その実を見れば即ち止まる」とある。

43 :名無し整備兵:2008/06/07(土) 20:43:26 ID:???
強ならばこれを避け

曹操:敵の長所を避ける。
李筌:力量のことである。楚子(楚の武王熊通)が随を攻撃した際、随の臣季梁は「楚では左側を
尊ぶため、君主は左翼に陣取ります。王(の親衛隊)と正面衝突しないよう、敵の右翼を攻めてください。
右翼にはろくな兵がいないから、必ず敗れるでしょう。片翼が崩れれば、全軍を捕虜にできます。」
と進言したが、将軍の少師は「敵の王と対戦しなければ、戦いとはいえない」と従わなかったため、
随軍は戦いに敗れ、随の君主は戦場から逃走することになった。敵の強点を攻めたための敗北である。
杜牧:敵の強点を避けることである。この文は敵の兵士が強く士気が揚がっているなら、これとの決戦を
避け、その勢いが衰弱するのを待って、その隙を突くべきだ、ということである。晋末に嶺南(広州)の
反乱軍盧循と徐道覆が防備の薄かった建業を攻撃した。劉裕はこれに対し、「敵軍が新亭から直接
こちらに向かってくるなら、いったん退避するべきだ。蔡洲に戻るなら、決戦して捕虜にするのみ」と
言っている。徐道覆は舟を燃やして退路を断っての直接攻撃を主張したが、盧循はこれに反対して
蔡洲に戻り、結局敗れている。
賈林:弱をもって強を制するには、変化を待つのが理である。
杜佑:敵の軍費が充実しており、士卒が強いのであれば、退避してその衰えを待ち、変化を見てこれに
応ずるべきである。
梅堯臣:敵が強いなら、我はその鋭鋒を避けるべきである。
王ル:敵兵が精鋭であり、我が軍が少なく弱いなら、退避しなければならない。
張預:易経に「正々の旗を邀(むか)ふるなかれ、堂々の陣を撃つなかれ」とある。敵の縦隊や陣地が
整斉としており、節度がよく守られているなら、我はそれを避けて、軽々しく戦うべきではない。秦と晋が
相戦い、お互いに兵を引いて、惨敗にならないよう気をつけていたように。

44 :名無し整備兵:2008/06/07(土) 22:02:46 ID:???
怒らせてこれを撓め

曹操:その勢いが弱まるのを待つ。
李筌:怒りっぽい将は、その計略も乱されやすく、性格に堅固なところもない。漢の大臣陳平は
楚を弱体化させる計略として、楚の使者に太牢(豪華なもてなし)をしておきながら、対面すると
驚いたふりをして「なーんだ、亜父(項羽の軍師である范増)の使者かと思ったら、項羽の使者か。」
といい、以後ぞんざいに扱った。これが怒らせてこれを撓める実例である。
杜牧:大将で剛直なものは、挑発して怒らせるのが容易であり、そうなると感情に任せてすぐに
決心してしまい、士気は乱れ、本来の戦略に思いが行かなくなってしまう。
孟氏:敵が激怒しているような場合は、挑発するべきである。
梅堯臣:敵が怒りやすいなら、これを撓めるべきで、そうすれば軽々しく不利な戦闘を挑んでくる。
王ル:敵が慎重なら、怒りを誘ってこれを撓める。
何氏:怒らせてこれを撓める例としては、漢軍が曹咎を水で攻撃したようなものがある。
張預:敵の性格が剛直であるなら、辱めて怒らせるべきだ。そうすれば士気が乱れ、よく考慮せずに
軽々しく進撃してくる。晋軍が宛春により楚を怒らせたようなものだ。尉繚子には「寛大な者は挑発して
怒らせることができない」とある。性格が寛大な将は、挑発して我が計略に嵌めることができない、ということだ。

45 :名無し整備兵:2008/06/07(土) 22:44:20 ID:???
卑(ひく)くしてこれを驕らせ

李筌:贈り物を多くして甘い言葉を言うのは、狙いが大きいからである。後趙の石勒は王浚の臣となると称したが、
王浚の部下はこれを攻撃せよと進言した。王浚は「石の奴が来たのは、俺の部下になりたいからだ。変な進言する
奴は斬る!」と言って宴席を準備した。石勒は牛羊数万頭を贈り物とし、上礼をもって各街角を回ったので、王浚の
部下も手を出しようが無かった。そして薊城に入り、王浚を捕らえて斬り、燕を手に入れたのだ。「卑(ひく)くして
これを驕らせ」とは、こういう意味である
杜牧:秦末に匈奴の冒頓単于が即位したときは東胡が強く、冒頓に使者を出して千里の馬を要求した。冒頓が部下に
助言を求めると、全員「国宝だし、渡すべきではない」という意見だったが、冒頓は「隣国との友好のためだから、馬の
一頭くらいどうってことない」と言って与えることにした。次に東胡は「単于の寵姫を一人くれ」と使者を出してきた。
冒頓はまた部下に助言を求めたが、全員「東胡は無茶だ。戦うべし」という意見だった。しかし冒頓はまたも「隣国との
友好のためだから、寵姫の一人くらい」と与えることにした。しばらくして、東胡は「使ってない土地があるようだけど、
くれない?」と使者を寄越してきた。冒頓が部下に意見を求めると、「やってもやらなくてもいいんじゃないでしょうか」という
意見があったが、冒頓は大いに怒り「土地は国の本だ。やるわけにはいかん!」として譲渡に賛成した部下を全員切り捨て、
さらに「今回の戦争に従わないものは斬る」とお触れを出して東胡を攻撃した。東胡は冒頓を馬鹿にして防備を怠って
いたので、冒頓はこれを滅ぼした。冒頓はさらに西の月氏を攻撃し、南の楼煩、白羊、河南を征服し、北は燕や代州に侵攻し
秦の蒙恬に奪われた匈奴の土地を全て回復した。

46 :名無し整備兵:2008/06/07(土) 23:02:50 ID:???
(続き)

陳r:欲するところがあるならば、必ずこだわらないと装い、敵の心を惑わせ、玉帛をもって
その気持ちを驕らせる。范蠡や鄭の武公の謀である。
杜佑:敵は国を挙げて戦争を行い、怒りにより進撃してくる。したがって外には屈従すると
見せかけ、敵の気持ちを上滑りさせ、その弱体化を待ってから攻撃する。王子(不詳)が言う
ように、「善く法を用いるものは、狸が鼠に対するように、力と知力によって、当初負けを装い、
静かになってから急襲するのである。」
梅堯臣:我の弱さを示し、敵の驕りを誘う。
王ル:我が弱さを示して敵を驕らせ、敵が我に備えなくなったら、そこを攻撃する。
張預:例えば言葉をへりくだり贈り物を贈り、また戦って偽って敗退するなど、敵を驕らせ
防備を緩めさせる策である。呉王夫差が斉を攻めたとき、越王句銭も軍勢を率いて参加し、
呉王やその部下に賄賂を送った。呉人は皆喜んだが、呉子胥のみ「これは呉を滅ぼす」と
懼れた。その後、呉は越に滅ぼされることになった。楚が庸を攻撃した際、7回遭遇したが
楚軍は全て逃げた。庸軍は「楚軍恐るるに足らず」と戦備をおろそかにしたため、楚は2隊を
もって庸を攻撃し滅ぼした。これらがいい例である。

47 :名無し整備兵:2008/06/07(土) 23:35:41 ID:???
佚にしてこれを労し(あるテキストでは、引いてこれを労し、となる。)

曹操:利によって敵に無駄な動きをさせる。
李筌:休んでいる敵を我が動かすのは、よい働きである。呉が楚を攻撃するとき、公子光は伍子胥に計略を聞いた。
伍子胥は「3個の部隊を編成しましょう。我が1コ部隊が侵入すれば、敵は必ず動員して出撃してきます。そうしたら
我が軍は引き上げます。こうして敵が疲れ、誤判断をするようになってから、3コ部隊全部投入すれば、必ず勝てます。」
と助言した。公子光はこれに従った。楚が呉の攻撃に悩むようになったのはこれからである。
杜牧:(前半は李筌とほぼ同様)楚の将子重はこのとき1年で7回出陣することになった。これにより呉の攻撃に悩む
ようになり、首都の郢を奪われた。後漢末曹操は劉備を破り、劉備は袁紹の下に逃走して曹操と戦うよう仕向けた。
それに対し田豊は「曹操は戦上手であり、軽々しく戦うべきではない。機会を待つべきだ。将軍はこの堅固な山河に拠り、
4州を治めているのだから、外は同盟軍と結び、内には富国強兵に努め、精鋭を練成して奇兵とし、敵の虚に乗じて
出撃させて河南を混乱させるべきだ。右を救えば左が危うく、左を救えば右を撃つというように敵を振り回し、民衆が
生業に専念できないようにすれば、我は労せずに敵を疲労させることができる。3年もしないで勝てるだろう。今こういう
必勝の策を捨て、乾坤一擲の勝負に出るのは、失敗して後悔しても遅い」と助言したが、袁紹は従わず、敗北した。

48 :名無し整備兵:2008/06/07(土) 23:45:44 ID:???
梅堯臣:我は労せず、敵の疲労を待つ。
王ル:ゲリラ戦を活用する。敵が出撃したら我は退き、敵が帰ったら我は出撃する。左を救えば右へ、右を救えば左へ。
このようにして敵を疲労させるのだ。
何氏:孫子は部隊を節用することを書いている。敵に余裕があるなら、我はそれを振り回して疲労させる。その後に
勝利を追求するのだ。
張預:我は力量をフルに使えるようにし、敵は疲労させる。晋と楚が鄭のことで争ったときのように、引き伸ばして決定的な
戦果を与えない。晋の知武子は四軍を3部隊に分け、それぞれが動くたびに楚の三軍を誘致した。こうして疲弊した楚は
戦争を継続できなくなった。また、申公巫臣は呉に楚を攻撃する方法を助言し、そのため楚の子重が1年に7度も出兵
することになったようなことである。

49 :名無し整備兵:2008/06/08(日) 00:17:58 ID:???
親しみてこれを離し

曹操:間者により離間する。
李筌:その行約を破り、敵の君臣を離間して、その後に攻める。昔秦が趙を攻めたとき、秦の大臣応候(范雎)は
趙王に伝わるように「趙が趙括を任命するのが怖い。廉頗なら組し易し」と言いふらした。趙王はこれに引っかかり、
趙括を(それまで秦軍の攻撃を撃退していた)廉頗に代えて任命した。このため趙は敗れ、秦軍は趙の捕虜
40万人を長平で生き埋めにしてしまった。こういうことを言っているのだ。
杜牧:敵が若し上下相親しんでいるのであれば、利によって離間するべきだ、ということだ。陳平は漢王(高祖)に
「項羽の頼りになる部下は、范増、鍾離昧、龍且、周殷くらいなもので、何人もいません。貴方が数万斤の金を
ばら撒いて、君臣の間を離間すれば、敵は内部で闘争が始まります。そこで漢が挙兵して攻めれば、楚は滅ぼせ
ます」と助言した。高祖はこれに従い、4万斤の黄金を出して陳平に使わせ、敵を離間させた。このため項羽は范増を
疑いだし、(高祖が包囲されている)ケイ陽への攻撃が弱まったため、高祖は脱出できた。
陳r:敵が爵禄を与えないなら、我は進んで与えるべきだ。敵が財貨を惜しむなら、こちらは惜しげもなく使うべきだ。
敵が刑罰を峻厳にするなら、我は緩やかにするべきだ。こうして敵の上下を互いに疑わせ、離間するのである。
由余が秦に従い、英布が漢のために働くようになったように。

50 :名無し整備兵:2008/06/08(日) 01:02:13 ID:???
(続き)

杜佑:利益でこれを誘い、各種の間者を全部使うとともに、弁論の上手い人間を送り込み、君臣それぞれと
親しくさせて離間する。秦が反間により趙の君主を欺き、廉頗を辞めさせ趙奢の子を登用させて、長平の
敗戦を誘ったように、である。
梅堯臣:杜牧に同じ。
王ル:敵が相親しんでいるなら、計略をもって離間するべきである。
張預:或いはその君臣を工作し、或いは同盟関係に対して工作し、離間した後にこれを陥れる。応候が趙に
工作して廉頗を辞めさせたり、陳平が楚に工作して范増を追わせたのは、君臣離間の例である。秦と晋が
協力して鄭を攻撃した際、燭之武は夜密かに秦伯を説得し、「今鄭を得ても、結局晋のものになって秦には
利益にならない。鄭を残して東側の同盟国にしておくべきです」といって、秦伯を撤退させた。同盟関係を
離間した例である。


51 :名無し整備兵:2008/06/14(土) 22:44:11 ID:???
その備え無きを攻め、その不意に出ずる

曹操:その懈怠を撃ち、その空虚に出ずる。
李筌:懈怠を撃ち、空虚を襲う。
杜牧:その空虚を撃ち、その懈怠を襲う。
孟氏:その空虚を撃ち、その懈怠を襲い、敵をして備えるべきところを分からなくする。故に曰く、
「兵は無形を妙と為す」と。太公望は「動くは不意にするより神なるはなく、謀は識らざるより善はない」と。
梅堯臣、王ル:同上

52 :名無し整備兵:2008/06/14(土) 23:01:40 ID:???
(続き)

何氏:その備え無きを攻めるとは、魏の太祖(曹操)の烏桓征伐の例がある。郭嘉曰く「胡はその遠きを
恃み、必ず備えを設けざらん。その備え無きにより、卒然としてこれを撃てば、破り滅ぼすべきなり」と。
太祖は行軍して易水に到着した。郭嘉はまた進言して、「兵は神速を貴ぶ。今遠距離の敵を攻撃しているが、
輜重が多ければ、利点を追求しようとしても上手くいかない。軽装備部隊に裏街道から進出させ、奇襲を
追求するべきだ」という。即ち密かに廬龍塞に出で、直接単于の直轄地域に進出して戦い、大いに敵を
破った。また、唐の李靖は十策を述べてもって蕭銑を図るため、三軍の指揮を李靖に委任させた。
八月、兵をキ州に集めた。銑は当時秋潦にいたが、長江の水位が上がり、三峡の路が危うくなったため、
李靖は絶対進撃できないだろうと考えて、備えをしなかった。九月、李靖は兵を率いて進撃し、「兵は神速を
貴ぶ。機は失うべからず。今兵を集結させたことは、銑はまだ知らないはずだ。漲る水の勢いに乗り、
城下に至るならば、所謂疾雷耳を掩うに及ばず、ということになる。例えこの状況を知ったとしても、急な
ことで対応できるはずも無く、必ず我の捕虜になるだろう」と予測していた。(李靖の)兵が夷陵に至ると
銑は警戒しはじめ、江南の兵を動員したが、結局間に合わず、李靖の兵に包囲され、ついに降伏した。

(さらに続く)

53 :名無し整備兵:2008/06/14(土) 23:03:02 ID:???
(続き)

その不意に出ずるとは、魏末に鐘会とトウ(登の右におおざと)艾を派遣して蜀を攻めさせた例がある。
蜀の将姜維は剣閣を守り、鐘会はこれを攻めたが勝てなかった。トウ艾は進言し、「陰平から裏道を通って
剣閣を出て、西から成都に入りましょう。奇襲部隊が敵の重要地域を突けば、剣閣の軍は必ず救援のため
後退します。そうすればこちらも進撃できるでしょう。もし剣閣の軍が後退しないなら、成都を守る兵は
少ないままです。(そうすれば我が撃破できます。)軍志(不詳)には、その備え無きを攻め、その不意に
出ずるとあります。今その空虚を掩(おお)えば、必ず撃破できます。」と言った。冬十月になり、トウ艾は
陰平から無人の地を七百余里も進撃し、山を削って道を通し、橋等を作成したが、山は高く谷は深く、その
険しさは大変なものだった。また糧秣の補給も尽きかけ、危うく自滅するところまで追い込まれた。トウ艾は
自ら絨毯で身を包み崖から転がり落とさせたり、将士は皆木や崖を手がかりに上り下りし、真っ直ぐ
続けた。まず江油に登り至り、蜀の守将馬バク(しんにゅうの中に貌)は投降した。諸葛瞻は綿竹(線行)に
向かい、布陣してこれを防ごうとしたが、トウ艾はこれを大いに破り、瞻や尚書の張遵らを戦死させた。
さらに進軍して成都に至り、蜀の君主劉禅は降伏した。

(さらに続く)

54 :名無し整備兵:2008/06/14(土) 23:36:43 ID:???
(続き)

 また、斉の神武帝(北斉の高歓)が東魏の将だったとき、兵を率いて西魏を攻め、蒲坂に宿営して三道の
浮橋を作成し黄河を渡る準備をした。またその将竇泰を派遣し潼関を、高敖曹に洛州を包囲させた。西魏の将
周文帝(宇文泰の間違い?)が広陽から軍を出し、諸将を召して言った。「敵は今我を三方向から攻め、
また黄河に架橋して渡河し、我を牽制してその隙に竇泰を西から攻めさせるつもりだろう。持久戦に
なれば敵の策に陥り、良策ではない。且つ高歓の用兵では、常に竇泰を先鋒としているため、
その配下には精鋭が多く、しばしば勝っているために驕りが見える。今その不意に出で、これを襲えば
必ず勝てる。竇泰に勝てば、高歓は戦わずに逃げていくだろう」と。諸将はこれに対し、「敵がすぐ
そこにいるのに、先に遠い方を攻撃するなんて、失敗したら取り返しがつきません」と進言したが、文帝は
「高歓は以前潼関を攻撃しているが、その時我が軍は覇上までしか行っていない。今敵は、我が出陣してい
ないのを見て戦意が無いと思っているだろう。また敵は勝ちに乗っており、我を軽んじている。これに乗じて
攻撃すれば、勝てないわけが無い。敵は架橋しているが、まだ渡河はできないだろう。この五日ほどで
竇泰を必ず破る。疑うことは無い。」といい、六千騎を率いて長安に戻り、「隴右に行く」と触れ回らせた。
辛亥(日付、不詳)に密かに出陣し、癸丑(2日後)朝潼関に到着した。竇泰は敵が出現したと聞いて
慌てて山によって布陣したが、それが完成する前に攻撃され、文帝に撃破されて長安でさらし首にされた。
高敖曹は洛州を陥落させたところだったが、竇泰の敗北を聞き、輜重を焼いて城を捨て、逃走した。

(もういっちょ続く)

55 :名無し整備兵:2008/06/14(土) 23:51:05 ID:???
(続き)

張預:その備え無きを攻めるとは、つまり懈怠のところ、敵の予想していない時期に攻撃することだ。
燕が鄭の三軍を恐れたのに制(国名)に備えなかったため、制に破られることになったようなものだ。
不意に出ずるとは、虚空の地、敵が予想していない場所を攻撃することだ。トウ艾が蜀を攻撃したとき、
無人の地七百余里も進撃したようなものだ。

此れ兵家の勝(勢とするテキストもある。)、先には伝うべからざるなり

曹操:伝とは、漏洩のことである。兵に常勢無く、水に常形無し。敵に臨んで変化し、先に伝うべからざるなり。
故に敵を料(はか)るは心に在り、機を察するは目に在るなり。
李筌:備え無きと不意とは、此れを攻めれば必ず勝つ。これは兵の要であり、秘にして伝えざるなり。
杜牧:伝とは、言うことである。これは、上で述べられたことは尽く用兵上勝ちを得るための策ではあるが、
もとより一定の制度があるわけではなく、敵の形を見て、初めて運用することができるのであり、事に先んじて
言うことができない、ということである。
梅堯臣:敵に臨んで変に応じ宜しきを制するのであって、事前に予測できるものではない。
王ル:計略を策定し兵を運用するのには、いわゆる常法がある。しかし機に乗じ勝ちを決めることは、事前に
予測して伝えられるようなものではない。
張預:上で述べられたことは、兵家の勝策であるが、敵に臨んでこれを制するには、事前に予測して
言うことなどできるわけが無い。

56 :名無し整備兵:2008/06/15(日) 00:42:32 ID:???
それいまだ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。いまだ戦わざるに廟算して
勝たざるものは、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。いわんや算無きに
おいてをや。吾此れをもってこれを観れば、勝負見(あら)わる。

曹操:このようにして観察するのだ。
李筌:戦争とは、廟堂において勝ちが決まり、しかる後に敵と利を争う。およそ反乱軍を攻撃し遠方の
国を懐柔し、亡国を復活させ現状を維持させ、弱い国を併合しダメな国を攻めるのは、皆状況が
見えるものである。国内外で反目があるとき、例えば周が殷を滅ぼしたような戦争は、いまだ戦わざるに
廟算して勝つ者である。太一遁甲における置算の法は、六十算以上を算多きとなし、六十算以下を
算少なきとなす。攻者の算が多く算が少ない相手に当たれば、攻者が勝つ。攻者の算が少ないのに
算が多い相手に当たれば、防者が勝つ。このように勝負が簡単に判断できるのだ。
杜牧:廟算とは、廟堂の上で勝敗を計算することである。
梅堯臣:算が多ければ、戦う前の廟堂での会議で勝てると分かる。算が少なければ、戦う前の廟堂での
会議で勝てないと分かる。算が無ければ勝てるわけが無い。
王ル:この文は、読者が「先には伝うべからざる」というのを気にして、(廟算の意義について)混乱する
のを防ぐため、再び計編の意義について強調したものである。
何氏:計には巧拙があり、それが成敗につながる。
張預:昔は戦争をする前に、将軍を廟堂に呼び出して、成算があるか計算させて、その後に派遣した。
これを廟算という。慎重に策をめぐらせば、その計が得るところ多く、したがって戦う前に勝ちが明らかに
なる。計略が浅薄なものであれば、その計が得るところ少なく、したがって戦う前に敗戦が分かる。もし
計が得るところ無ければ、勝てるわけが無い。だから、「勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、
敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちを求める」と言われるのだ。計があるものと無いものとでは、勝負は
明白だ。

57 :名無し整備兵:2008/06/15(日) 00:53:43 ID:???
孫子 計編 了

底本:宋本「十一家註孫子」(北宋 鄭友賢編)

疲れた〜。13篇はとても続きそうに無いです。こんなに大変だとは思わなかった。

58 :名無し三等兵:2008/06/15(日) 01:07:15 ID:???
乙です

59 :名無し三等兵:2008/06/15(日) 01:34:43 ID:/8sUhKg3
さあ、ここまでのを実際の戦史にあてはめて研究してみよう

60 :名無し三等兵:2008/06/15(日) 17:00:43 ID:???
墨子扱った本で何か良いのない?(墨攻って言わないでね)

61 :名無し三等兵:2008/06/24(火) 18:28:44 ID:mIDcOL4I
三十六計とは、どんな内容ですか?

62 :名無し三等兵:2008/06/24(火) 19:13:13 ID:???
右手と床しか知らない

63 :名無し三等兵:2008/06/24(火) 23:26:24 ID:JUxnFm82
>60
韓非子


64 :名無し三等兵:2008/06/26(木) 20:53:34 ID:xXM+aBcn
戦国策とポリュアイノスの戦術書とどちらが優れていますか?

65 :名無し三等兵:2008/06/26(木) 22:38:41 ID:???
>>64
後者は知らないが、戦国策は兵法書や戦術書の類ではないだろ。
あれはあくまで政治・外交に関する文言を集めた説話集。

66 :名無し三等兵:2008/06/26(木) 22:51:02 ID:???
>>61
逃げるに如かず

67 :名無し三等兵:2008/06/27(金) 07:52:15 ID:???
>>65
権謀術数も戦術の一つと考えれば、同列に批評は出来ると思うが。

68 :名無し三等兵:2008/07/19(土) 00:44:04 ID:???


69 :名無し三等兵:2008/08/10(日) 00:10:08 ID:???
グルジアの件が乱立傾向にあるな・・・保守

70 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 00:47:20 ID:???
作戦篇

曹操:戦わんと欲すれば必ず先ずその費を算し、務めて糧を敵に因る。
李筌:先ず計を定め、然る後に戦具を修める。是を以て戦いを計の次の篇とする。
王ル:計を以て勝を知り、然る後に戦を興し軍費を具える。猶久しきを以てすべからざるなり。
張預:計算すでに定まり、然る後に車馬を完くし、器械を利し、糧草を運び、費用を約し、
もって戦備を作る。故に計に次ぐ。

71 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 00:50:24 ID:???
孫子曰く、凡そ用兵の法は馳車千駟、革車千乗、帯甲十万

曹操:馳車は、軽車であり、四頭立ての馬車である。革車は重車であり、一万騎の輜重を運ぶ。四頭立ての車両で、三万人を率いる

が、(一車当り)二人の炊事係、一人の武器係と二人の馬係という5人の使用人がいる。歩兵十人当りには、牛が挽く大車で輜重を

運ぶが、それとは別に二人の炊事係と一人の武器係で3人の使用人がいる。帯甲十万と言うのは、それらを含めた士卒の数である。
李筌:馳車とは、戦車(チャリオット)である。革車とは、軽車である。帯甲とは歩兵の数である。車両1両は四頭立てであり、歩

兵70人を率いる。千駟の軍を計算すると、帯甲7万人と、馬4千匹になる。孫子は軍資の数を約するのに十万の軍をもって例とし

た。ここから、百万の軍でも計算可能だ。
杜牧:軽車とは、戦車のことである。古代では戦車で戦った。革車は輜重用であり、重車である。器械や財貨、衣装を搭載した。司

馬法に曰く、「戦車には甲士(乗員)3人、歩兵72人、炊事係10人、武器係5人、馬係5人、薪水係5人がつく。軽車は(戦闘

員)75人、重車は(後方要員)25人が付属する。」とある。故に(軽車と重車の)2乗を兼ね、100人で1隊とする。十万の

軍を動員すれば、革車千乗となる。それに必要とする費用を基準とすれば、百万の軍を動員した場合でも計算できる。
梅堯臣:馳車とは、軽車である。革車とは、重車である。凡そ軽車1乗には甲士歩兵25人が、重車1乗には甲士歩兵75人が付属

する。2車それぞれ千乗ずつ合わせれば、帯甲十万となる。

72 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 00:55:00 ID:???
王ル:曹操は「軽車は4頭立てで、これを千乗」と書いているが、馳車とは革車を動かすことではないか。一乗に四頭を駟といい、
千駟即ち革車千乗となる。曹操は「重車」と言っているが、革車とは戦車のことではないか。五戎千乗の賦では、諸侯の大なる者を
指している。曹操は「帯甲十万とは、歩兵の数である」としているが、井田法によれば兵車一乗あたり甲士3人、歩兵72人であり、
千乗ならば7万5千人となる。ここで帯甲十万と言っているが、当時の兵制を反映したものなのだろうか?
何氏:十万とは、切りのいい数字にしたものだ。
張預:馳車とは、攻撃用の車両である。革車とは、防御用の車両である。曹公新書では、攻車1乗の前方に1隊、左右に2隊配置し、
合わせて75人。守車1乗には炊事係10人、武器係5人、馬係5人、薪水係5人の合わせて25人。攻守2乗を合わせて100人。
十万の軍を動員するときには、2千乗の車両を用い、軽重半々とする。この編制と同じである。

73 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 00:58:23 ID:???
千里に糧を饋(おく)れば

曹操:千里に越境する。
李筌:遠くへ遠征する。

74 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:00:57 ID:???
即ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やし、然る後に十万の師興る。

曹操:報奨金はこの他にかかる。
李筌:軍が外征する場合、国内の蓄えはほとんど尽きてしまう。千金というのは、多額であることの例えである。千里の外に食料を
送るとしたら、二十人の後方支援要員で一人の戦闘員を養うことになる。
杜牧:軍でも諸侯との外交交渉を行うことがあるので、賓客の用というのを挙げている。車甲器械を完全な状態に修繕する他に、
膠漆と言っているのは、その微細な例を挙げている。千金とは費用の多さを例えたものだ。その他にまだ報奨金がある。
賈林:費用を計算して不足であれば、軍を動員するわけにはいかない。故に李太尉(李靖)曰く、「三軍の門には、必ず賓客の
論議がある。」
梅堯臣:十万の軍を動員し、千里に糧を送るのであれば、一日の戦費はこのように多額となるので、長期戦は避けなければならない。

75 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:03:11 ID:???
王ル:内とは国内のこと、外とは軍の所要である。賓客とは、諸侯の使者が軍中に来た場合の饗宴等にかかる費用である。
膠漆や車甲とは、大きなものの例や微細なものの例を挙げたものである。
何氏:長期戦は財貨を浪費するので、智者はこれを懸念する。
張預:国を去ること千里になれば、食料は現地調達すべきである。もし国内から送るなら、内外は騒動になり、運搬経路で
疲労を招き、損耗は極まりない。賓客とは軍使の供応や兵士の慰労である。膠漆とは器械の修繕のことである。
車甲とは金属や皮革のことである。その費用として一日に千金を費やし、然る後に十万の師興るとしている。千金とは費用の多さを
例えたものだ。その他にまだ報奨金がある。

76 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:08:15 ID:???
その戦に用いるや、勝つといえども久しければ即ち兵鈍り鋭挫け、城を攻めれば即ち力屈し

曹操:鈍るとは、疲弊することである。屈するとは、尽きることである。
杜牧:勝つの久しきとは、戦争が長引いた後に勝つということである。即ち敵と持久戦になったあげく勝ったということで、
甲兵は疲弊し、鋭気は挫け、城を攻めても人力は使い尽くされ失敗する状態である。
賈林:戦って敵に勝つといえども、長期戦では利益は無い。兵は勝ちを全うするを貴ぶもので、兵鈍り鋭挫け、
士傷つき馬疲れたようであれば、屈するだけである。
梅堯臣:勝つといえども長期戦では、即ち必ず兵士は疲弊し、軍の士気は下がっている。城を攻めて長期になれば、
戦闘力を出し切って屈してしまう。
王ル:屈するとは、困窮することである。長期戦になれば、軍は疲労し士気は下がる。攻城戦ならさらに甚だしい。
張預:戦闘を開始してから長時間が経ってしまうなら、勝ったとしても兵は疲れ士気は低い。千里遠征して城を攻めるならば、
戦闘力は必ず使い尽くされてしまう。

77 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:11:52 ID:???
久しく師を暴(さら)せば即ち国用不足す。

孟氏:久しく千里の外に師を暴し衆を露(さら)せば、即ち軍国の費用は相供するに不足す。
梅堯臣:師を久しく外に暴せば、所要の物資を送ろうにも送りきれない。
張預:日に千金を費やし、師を久しく暴(さら)せば、即ち国の用を給することができるだろうか?漢の武帝が外征して深入りし、
長期戦になって泥沼にはまり、その国庫が空虚になるに及んで、哀痛の詔を下したようなものだ。

78 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:16:07 ID:???
それ兵を鈍らせ、鋭を挫き、力屈し、貨を殫(つ)くせば、即ち諸侯その弊に乗じて起こり、智者ありといえどもその後を善くするあたわず。

李筌:十万の衆を挙げ、日に千金を費やせば、ただ外に頓挫するのみにあらず、また財は内に尽く。これをもって聖人は師を暴(さら)すことなきなり。
隋大業初年、煬帝は兵を重んじ外征を好み、力は雁門の下に屈し、兵は遼水の上に挫く。黄河から淮水まで運河を引き、広範囲から物資を輸送して
万里の外に出征し、国用不足す。ここにおいて楊玄感や李密がその弊に乗じて起こり、例え蘇威、高エイあるといえども、謀を巡らすことなど
できるわけがない。
杜牧:蓋し師久しくして勝たず、財力共に困窮し、諸侯がその弊に乗じて起これば、智能の士ありといえどもこの後のことを上手く処理することなど
できようはずが無い。
賈林:人離れ財尽き、伊尹・呂尚の生まれ変わりであっても、この亡敗を救うことはできない。
杜佑:当時用兵の術ありといえども、その後の患いを防ぐことはできない。
梅堯臣:勝ちを取り城を攻めるも、師をさらして久しいならば、即ち諸侯その弊に乗じて起こり、我を襲う。我に智将ありといえども制するあたわず。
王ル:その弊甚だしきをもって、必ず危亡の憂いあるべし。
何氏:その後とは、兵勝たず敵がその危殆に乗じるをいい、智者もその善計を尽くして全きを保つことができない。
張預:兵はすでに疲れ、戦闘力もすでに困窮し、財もすでに尽きている。隣国はその疲弊によって、兵を起こしこれを襲う。例え智能の人がいても、
その後患を防ぐことができない。呉が楚を討って郢に入り、久しく帰らず、越兵ついに呉に入る。この時伍員、孫武といった名臣はいたが、
この後のことを上手く図ることは結局できなかった。

79 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:23:27 ID:???
故に兵は拙速を聞くも、未だ巧みの久しきを睹ざるなり。

曹操、李筌:拙いといえども、速きを以て勝つあり。未だ睹ざるとは、無いということである。
杜牧:攻取の間は、機知に拙いといえども、神速を以て上とする。師老(つか)れ、財費やし、兵鈍る患(わざわい)無きを、即ち巧となす。
孟氏:拙いといえども、速きを以て勝つあり。
陳r:所謂疾雷耳を掩(おお)うに及ばず、卒電目を瞬くに及ばず、ということである。
杜佑:孟氏に同じ
梅堯臣:拙くとも尚速きを以て勝つ。未だ巧にして久しきの可なるを見ざるなり。
王ル:久しければ即ち軍隊は疲労し財貨は費消し、国は空虚となり人は困窮する。巧とはこの患無きを保つことである。

80 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:29:13 ID:???
何氏:速ければ拙いといえども、財力を費やさない。久しければ巧といえども、後患の生ずるを恐れる。後秦の姚萇と苻登が対峙していたとき、
萇の将苟曜は逆万堡に拠り、密かに苻登と通じた。萇は登と戦い、馬頭原に敗れ、敗残兵を集めてまた戦おうとした。姚碩徳は諸将にこのように
言った。「姚萇さまは軽々しく戦わず、計略で敵を倒した方がいい。今回の戦いではすでに不利、さらに敵と戦ったら、必ず失敗する。」
姚萇はこれを聞くと、姚碩徳に対し、「苻登の用兵は遅滞しがちで、虚実を知らない。今軽兵で直進し、道を吾東に拠っている。必ずや苟曜と
連結しているだろう。事久しければ変成し、その禍は測りがたし。それ故速戦すれば、苟曜の謀も成就せず、問題が困難になる前に押さえ込める。」といい、
果たして敵を大いに破った。また武后初年、徐敬業は江都に兵を挙げ、皇家を復すると称した。魏思恭を軍師とし、計略を聞いたのに対し、
魏思恭は次のように応えた。「武后が皇帝を幽閉したのが明らかであり、皇家を復するつもりで挙兵したなら、兵は拙速を貴びます。速やかに淮北に渡り、
自ら大軍を率いて、真っ直ぐ洛陽に入りましょう。山東の将士は、貴方が勤皇の兵を挙げたと知れば、皆死ぬまで従でしょう。このようにすれば、
短期間で天下は安定します。」徐敬業はそれに従おうとしたが、薜璋がこれに対し、「金陵の地には王気がすでに見えています。これに早く応じましょう。
長江を障害として地盤を固めるべきです。さらに常州や潤州を攻略し、その後から兵を率いて北上すれば、負けても帰るところがあるし、
勝てば不利なところはありません。良策ではないですか。」と進言したため、これを認めた。そして薜璋自ら4千人の軍を率いて南に渡り、潤州を攻撃した。
魏思恭は密かに杜求仁に対し、「兵勢は統一するべきで分割すべきではない。今魏思恭は兵力を分割して淮河を渡り、山東の兵を率いて洛陽で合一
しようとしているが、必ずや失敗するだろう。」と言っている。果たして徐敬業は敗北した。
張預:勝ちを取るには、むしろ拙速であるべきで、巧久はない。司馬宣王が上庸を討った時、一年かかるといわれた作戦を一月で済ませ、死傷者の数にかまわず、
糧秣を競争して運ばせた。これは拙速を欲したといえるだろう。

81 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:34:08 ID:???
それ兵久しくして国が利するは、未だこれ有らざるなり。

李筌:春秋に曰く「兵は猶火のごとし。おさめざれば将に自ら焚す。」
賈林:兵久しければ功無く、諸侯に(逆)心生ず。
杜佑:兵は凶器なり。久しければ即ち変生ず。智伯が趙を囲み、年を越して帰らず、卒(にわ)かに襄子の擒(とら)えるところとなり、
身は死して国分かるるが若し。故に新序伝いわく「戦を好み武を窮め、滅びざるもの未だあらざるなり。」
梅堯臣:力屈し貨つくし、何の利かこれある?
張預:軍隊は疲れ財貨は尽き、国に何の利があるのか。

82 :名無し整備兵:2008/08/14(木) 01:36:25 ID:???
故に尽く用兵の害を知らざるものは、即ち尽く用兵の利を知ることあたわざるなり。

李筌:利害は相依るところに生ずる。先ずその害を知り、然る後にその利を知るなり。
杜牧:この害とは人を疲労させ財を費やすことで、この利とは敵を破り国境を開拓することである。我の害を顧みないのであれば、
今現在の味方であっても、敵国のために尽くすことになる。敵人から利益を得ることなどできるだろうか?
賈林:将が驕り卒は惰り、利を貪り変を忘れる。この害が最も甚だしい。
杜佑:国を謀り軍を動かし師を行うと言い、先ず危亡の禍を慮ることをしない。これでは利を取ることなどできない。
秦伯が鄭を襲うの利を見て、コウ函の敗を顧みなかったようなものだ。呉王が斉攻撃の功を知り、姑蘇の敗戦の禍を忘れたようなものだ。
梅堯臣:再籍せず、三載せずというのが利である。国民が虚となり、国庫が費やされるのが害である。害を知らずして、
利を知ることなどできようか?
王ル:久しければ勝てたとしても、害を生ずることになる。速ければその利を尽く収めることができる。
張預:先ず兵疲れ貨を尽くす害を知り、然る後に敵を擒え勝ちを制するの利を知ることができる。

83 :名無し整備兵:2008/08/15(金) 21:06:37 ID:???
善く兵を用いるものは、役は再籍せず、糧は三載せず

曹操:籍とは、兵役のことである。民を一度兵役に徴用し、その兵隊で勝ちを収め、帰国してからまた徴兵することがないということだ。
当初は兵糧を輸送するが、その後は敵地における徴発で食料を入手し、帰国するときも兵糧を準備することがないということだ。
李筌:籍とは、徴兵名簿のことである。再び籍に記載しないのは、民が疲労して恨みを生じることを恐れるのだ。秦が関中の卒を発し、
これにより陳勝・呉広の乱が起きたようなものだ。軍が出陣した後、遠近によりこれに補給し、帰国するとき兵糧を準備してこれを迎える。
これを三載という。越境したならば敵の穀物を徴発するようにすれば、三載しなくてもいい、ということだ。
杜牧:敵を攻めるべきと判断し、我も戦争ができると判断してから、然る後に兵を起し、敵に勝ってから帰国する。鄭司農の周礼註によれば、
役とは、戦争に動員することで、籍とは伍籍(兵籍)のことである。参籍ではなく伍籍というのは、内政のための徴用をもって
軍役に充てることを示している。この伍籍によって、軍を動員し、兵を徴用するのだ。
陳r:籍とは、借りることである。民を借り上げ徴用することだ。糧とは、出陣のときに積んでいき、帰国のときにこれを迎えるために準備する。
(この2回だけ準備するので)三載せずというのだ。兵は困窮せず、国力が尽きることも無い。速戦の利を説いている。
梅堯臣:陳rに同じ。
王ル:曹操に同じ。
張預:役とは、戦時に国民を動員することを言う。故に師卦註曰く、「任大きく役重く、功無ければ即ち凶」という。籍とは徴兵名簿のことであり、
漢の制度では尺籍伍符といった。一度の徴用で勝ちを収め、国内で再度の徴用などあってはならない、ということだ。兵糧は出撃時に積んでいき、
越境したならば敵の穀物を徴発し、帰国するときにこれを迎えるため準備する。これが三載せずということだ。以上のことは、
兵を久しくさらすべからず、ということを言っている。

84 :名無し整備兵:2008/08/15(金) 21:11:58 ID:???
用を国に取り、糧を敵に因る。故に軍食足るべし。

曹操:兵甲戦具は、国内の用で取る。糧食は敵に因る。
李筌:我の兵器を具え、敵の食による。千里に出師するといえども、欠乏することは無い。
杜佑:兵甲戦具は、国内の用で取る。糧食は敵に因る。資材や我が国から送り、糧食は敵の倉庫に因る。晋の師が楚の穀物を徴発し
保管したようなものだ。
梅堯臣:軍に必要な物資は国内から送り、軍の糧食は敵に因る。
何氏:因るとは、兵が国境を越えてからは、分散して徴発し、敵に勝ち城を抜くに及んでは、その蓄えを得ることである。
張預:器物の用を国に取るとは、(比較的)軽量で取り扱いやすいからである。糧食を敵に因るとは、兵糧は重くて輸送が困難だからである。
千里に糧を送れば、兵士に飢色あり。故に敵の食料を奪えば足りる。

国の貧しきは師が遠輸すればなり。遠輸すれば即ち百姓貧し。

李筌:兵役しばしば起こり、賦斂重ければなり。
杜牧:管氏曰く「粟三百里を行けば、即ち国に一年の積無し。粟四百里を行けば、即ち国に二年の積無し。粟五百里を行けば、
即ち衆に飢色あり。」こう言うとおり、兵糧は重量物なので、軽々しく輸送できない。輸送しようとすれば、農夫や耕作用の牛が徴用され、
田畑を失うことになる。故に国民は貧しくならざるを得ない。
賈林:遠輸すれば、即ち財は道路輸送で消耗し、転運に疲弊し、国民は日に日に貧しくなる。
孟氏:兵車を千里の外に転運すれば、財は即ち道路に費やされ、人は困窮者あり。
張預:70万家の力をもって、十万の軍隊を千里の外で補給することになる。即ち、国民は貧しくならざるを得ない。

85 :名無し整備兵:2008/08/15(金) 21:15:58 ID:???
師に近きは貴売し、貴売すれば即ち百姓財竭(つ)く。

曹操:軍が国境を越えていれば、軍の近くにいる商人は財を貪り、皆高く売りつける。そうすると住民はインフレで財産を失う。
李筌:軍に近ければ必ず軍市ができる。住民は自分の財産を買い上げられ、蓄えも尽きてしまう。
賈林:軍隊が集まるところでは、物価は皆暴騰する。住民は非常の利を貪り、財物を尽くしてこれを売る。初めは利を獲ること殊に多しと雖も、
終には当に力疲れ貨尽きるべし。またこういう説もある。すでに非常時の税がかけられており、売るものはとにかく高値で売ろうとする。
一般国民は力を尽くしてこれを買うも、自然と家も国も空虚になる。
杜佑:軍隊に近いところでは、市場には非常の売買が多く、その時は利を貪って高値で売るが、後には財貨を使い尽くしてしまい、
家も国も空虚になる。
梅堯臣:遠ければ役務で輸送し、近ければ利を貪り高値で売りつけてくる。皆国や民を貧しくする道である。
王ル:遠輸すれば人力を浪費し、近くで軍市を設ければ物価が騰貴する。これゆえに長期戦は国の患いである。曹操は
「軍が国境を越えていれば、軍の近くにいる商人は財を貪り、皆高く売りつける。」と書いているが、私は「軍が国境を越えようとすれば」
ではないかと思う。
張預:軍隊に近いところの住民は、必ず利を貪り、遠くから輸送してきたものも高くなる。即ち財力を使い尽くさざるを得ない。

86 :名無し整備兵:2008/08/15(金) 21:20:08 ID:???
財竭(つ)きれば即ち丘役に急なり。

張預:財力が尽きれば、即ち丘井の役を激しく迫り、国民はなかなか提供できなくなる。或いは曰く、丘役とは、
魯の成公が作る丘甲の如きを謂う。国用が急迫したため、即ち丘に甸が出すほどの兵士を出させるという、
平時と違う状態である。丘は16井(村落の単位)、甸は64井。

力屈し、財殫(つ)き、中原は家内に虚しく、百姓の費、十に其の七を去る。

曹操:丘は16井である。国民の財産が使い尽くされても戦争が終わらなければ、兵糧を輸送しても原野で力尽きる。
十に其の七を去るとは、破産することである。
李筌:兵久しく止まず、男女怨曠し、輸輓丘役に困し、力屈し財殫(つ)き、百姓の費、十に其の七を去る。
杜牧:司馬法に曰く「六尺を歩と為し、歩百を畝と為し、畝百を夫と為し、夫三を屋と為し、屋三を井と為し、四井を邑と為し、
四邑を丘と為し、四丘を甸と為す。丘は蓋し十六井なり。丘には戎馬1匹、牛四頭。甸には戎馬四匹、牛十六頭。丘には車一乗、
甲士三人、歩卒七十二人。」今兵解けずというは、即ち丘役益々急に、百姓糧尽き財竭き、力は原野に尽き、家業十のその七を耗す。
陳r:丘とは、集めることである。税金や兵士を集めて軍の所要に応じるが、このようであれば即ち国民の財産を尽くし、困らない人はいなくなる。
王ル:急とは、税を厳しく取り立てることをいう。魯の成公が丘甲をつくったようなものだ。このようであれば国民の財産の大半を使い尽くし、
公費も減ることになる。故に十分の七という。曹操は丘を十六井だとし、兵解けざれば即ち糧を運ぶに力原野に尽きる、としている。
何氏:国は民を以て本と為し、民は食を以て天と為す。人の上に居る者は、宜しく重惜すべし。
張預:糧を運べば即ち力屈し、餉を輸すれば即ち財殫(つ)く。原野の民、家産は内に虚しく、その費やすところを度(はか)れば、十にその七無し。

87 :名無し整備兵:2008/08/15(金) 21:21:53 ID:???
公家の費、車破り馬罷(たお)れ、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十に其の六を去る。(十に其の七を去る。とするテキストもある。)

曹操:丘牛とは、丘(村落の単位)が所有する牛である。大車とは、轂の長い戦車である。
李筌:丘とは、大きいことである。ここで出てくる物資は、皆軍需物資である。遠近の費、公家の物、十にその七を損じるという。
梅堯臣:国民は財糧や役務で軍の所要を満たすが、十の財産のうち七を使い尽くす。公費は牛馬や兵器を軍の所要に支出するが、
十の国財のうち六を使い尽くす。これをもって国費が尽き兵窮まり、国民は疲弊する。役務や税を無理に取り立て、民は貧しく、
国家は空虚となる。
王ル:楯とは、干(大型の盾)である。蔽とは、覆い隠すことができる、という意味である。櫓とは、大きい楯のことである。
丘牛とは、昔の言い方の匹馬丘牛である。大車とは、牛車である。易経に曰く「大車は以て載せる。」
張預:兵は車馬をもって本と為す。故に先ず車馬が疲弊したという。蔽櫓とは、楯のことである。今では彭排という。丘牛とは、
大きい牛のことである。大車は、必ずや革車のことだろう。始めに破車疲馬といったのは、攻戦で使う馳車のことである。
次に丘牛大車といったのは、即ち輜重に使う革車である。公家の車馬器械は、また十に其の六を損じる。

88 :名無し三等兵:2008/08/19(火) 22:56:37 ID:???
下がりすぎ

89 :名無し三等兵:2008/08/25(月) 00:46:07 ID:???
上げとく

90 :霧番:2008/08/25(月) 00:54:00 ID:xmc2UiFw
90なら加藤ジーナとセックスできる。
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90ならJSFに法則発動
90なら空自の次期F-XはF/A-18F
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません


91 :名無し三等兵:2008/08/25(月) 15:01:17 ID:dWcIrEsj
中国兵書を紹介してるサイトでどっかいいところある?
兵書買いたいのだけど


92 :名無し三等兵:2008/08/25(月) 15:09:03 ID:???
中国関連書類
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~china/BOOK.HTML

ここくらいしか知らん

93 :名無し三等兵:2008/09/02(火) 11:46:11 ID:k2mDGLC8
>>44
「撓める」の意味がよくわからないんだけど。。。
なだめるってことかな?

94 :名無し三等兵:2008/09/02(火) 14:36:16 ID:???
辞書ぐらい引け

95 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:05:43 ID:???
故に智将は務めて敵に食む。敵の一鐘を食むは、我が二十鐘に当る。「草冠に忌」「禾干」一石は、吾が二十石に当る。

曹操:六斛四「豆斗」を鐘と為す。「草冠に忌」は、豆がらである。「禾干」は、稲藁である。石とは、百二十斤である。
転輸の法では、二十石を費やし一石を得る。一に曰く、「草冠に忌」の音は「忌」であり、豆のことである。七十斤を一石と為す。
吾が二十に当るとは、遠距離からの輸送にかかる費用をさす。
杜牧:六石四「豆斗」を一鐘と為し、一石は百二十斤である。「草冠に忌」とは、豆がらのことである。「禾干」とは、稲藁である。
或いは言う、「草冠に忌」とは、稲藁である。秦が匈奴を攻めるに、天下に糧を運ばしむ。黄「月垂」、瑯?、負海といった郡から起ち、
北河に転輸するに、三十鐘を率いて一石到る。漢の武帝の建元中、西南夷に通じ、作者数万人、千里に饋糧を負担し、
十余鐘を率いて一石到る。今孫子の言を校(はか)るに、敵の一鐘を食むは吾が二十鐘に当るとは、蓋し平地千里の転輸の法を
約すべし。二十石を費やし一石を得るは、道が遠いからというわけではなく、その間の消耗によるものだろう。黄「月垂」とは、
音は直瑞の反、又音は誰と読む説もある。東莱にあり。北河とは、今の朔方郡である。
李筌:遠くの師に一鐘の粟を転ずるに、二十鐘を費やしてまさに達すべし。軍将の智なるは、務めて敵に食み、己の費やしを省くなり。

96 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:07:28 ID:???
孟氏:十斛を鐘と為し、千里を転運するを計れば、道路に耗費し、二十鐘も軍中には一鐘致すべし。
梅堯臣:曹操に同じ。
王ル:曹操は「「草冠に忌」は、豆がらである。「禾干」は、稲藁である。石とは、百二十斤である。転輸の法では、二十石を費やし一石を
得る。」といっているが、上の文で千里に糧を饋るとは、つまり転輸の法の例えで千里と言っているだけだろう。「草冠に忌」とは、今は
「箕」と作る。「禾干」とは、昔は「芋」と書く書もあったが、「禾干」とするべきである。
張預:六石四「豆斗」を鐘と為し、百二十斤を石と為す。「草冠に忌」とは、豆がらのことである。「禾干」とは、稲藁である。千里に糧を
饋(おく)れば、二十鐘・石を費やして、一鐘・石を軍に到るところとして得る。若し険阻を越えれば、即ち猶足らず。故に秦の匈奴を
征するや、三十鐘を率いて一石到る。この言は将に必ず敵に糧を因るべきだ、と言っている。

97 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:10:44 ID:???
故に敵を殺すは、怒なり

曹操:威怒敵に到る。
李筌:怒とは、軍威なり。
杜牧:万人が心を同じくして皆怒ることなど出来はしないのに、我が之を激して勢いに任せることだ。
田単が即墨を守るに、燕人をして降者の鼻を切らせ、城中人の墳墓を掘らしめたようなものだ。
賈林:人の怒ることなければ、即ち殺すことを肯んぜず。
王ル:兵は威怒を主とす。

98 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:14:06 ID:???
何氏:燕が斉を即墨に囲んだとき、斉の降者は尽く鼻を削がれ、斉人は皆怒り、愈々堅守す。田単はまた反間により曰く、「吾は燕人が
吾が城外の塚墓を掘り、先人を辱めるのを懼れる。寒心を為すべし。」燕軍は尽く墓を掘り、死人を焼く。即墨の人は城の上から望み見、
皆泣いて、出でて戦わんと欲し、怒りは自ずから十倍す。田単は士卒が用いるべきと知り、遂に燕の師を破る。後漢の班超は西域に
使いし、ゼン(善におおざと)善に到る。その吏士三十六人と会し、共に飲む。酒酣となり、激怒によりて曰く「今共に絶域にあり、大功を
立て富貴を求めんと欲す。虜使は到って数日にして、王の礼貌即ち廃す。吾が属を匈奴に送り、骸骨は長じて豺狼の食とならん。」
官属皆曰く、「今は危亡の地にあり、死生は司馬に従わん。」班超曰く、「虎穴に入らずんば虎児を得ず、今に当っての計は、独り夜に
因りて虜を火攻するのみ。彼に我が多少を知らざらしむれば、必ずや大いに震怖せん。皆殺しにできるだろう。この虜を滅すれば、
即ち功成り事立たん。」衆曰く「善し」と。将吏士虜営に奔る。天の大風に会い、班超は十人に鼓を持たし

め、虜舎に隠し、約して曰く、「火が燃えるを見れば、当に皆鼓を鳴らし大いに叫ぶべし。」余人は尽く弓弩を持ち、門を挟んで伏す。
班超は風に順じ火を放ち、虜衆は驚き乱れ、衆尽く焼死す。蜀のホウ(まだれに龍)統は劉備に益州の牧劉璋を襲わんと勧めるも、
劉備曰く「此れは大事、倉卒にすべからず。」劉璋が劉備に張魯を撃たんと使いするも、(劉備は)劉璋に従うが万兵と資宝を求め、
東に行かんと欲する。劉璋はただ兵四千を許し、その余も皆半ばを給す。劉備は激怒によりその衆に曰く、「吾は益州の為に強敵に
征し、師徒は勤めに疲れ、寧居する暇あらず。今帑蔵の財を積み、しかして賞功に吝たり。士大夫為に死力を出だして戦わんと
望むも、その得べきや。」これによりて相ともに劉璋を破る。
張預:吾が士卒を激し、上下同じく怒らしめれば、即ち敵殺すべし。尉繚子曰く「民の戦う所以の者は、気なり。」気怒れば人々皆
自ずから戦うを謂う。

99 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:16:36 ID:???
敵の利を取るは、貨なり。

曹操:軍に財無ければ、士来たらず。軍に賞無ければ、士往かず。
李筌:利は軍の実を益するなり。
杜牧:士をして敵の利を取るを見せしむるは、貨財なり。敵の貨財を得るに、必ず之を賞するをもってすれば、人皆欲有りて、各自為に
戦わしむる。後漢の荊州刺史度尚は、桂州の賊帥卜陽、潘鴻等を討ち、南海に入り、その三屯を破り、多く珍宝を獲る。
しかして潘鴻等党は猶衆を集めるも、士卒は驕り富み、闘志あるなし。度尚曰く「卜陽潘鴻、賊をなすこと十年、皆攻守を習う。
当に須らく諸郡力を併せて之を攻めるべし。今軍は射猟をほしいままにす。」兵士は喜悦し、大小相共に禽に従う。度尚はすなわち密かに
使いして人を潜ませ、自らの営を焼く。珍積皆尽き、猟者来たり還りて泣かざるなし。度尚曰く「卜陽等財貨、数世を富ますに足る。
諸卿ただ力を合わさざるのみ、失うところは少なし。何の意に介するに足るか。」衆聞きてにわかに憤踴し戦を願う。度尚は馬に秣し
食を蓐し、明晨賊屯に赴く。卜陽、潘鴻備えを設けず、吏士鋭に乗じ、遂に之を破る。之すなわち是なり。
孟氏:杜牧に同じ。
杜佑:人敵に勝ちて厚賞の利あるを知れば、即ち白刃も冒し、矢石に当る。進戦を楽しむものは、皆貨財酬勲賞労の誘いなり。
梅堯臣:敵を殺すは、即ち吾人が怒りをもって激すればなり。敵を取るは、即ち吾人が貨を以て利すればなり。
王ル:厚賞を設けるを謂うのみ。衆が利を貪り自ら取らしむるごときは、或いは節制に違うのみ。
張預:貨を以て士に食らわせ、人をして自ら戦いを為さしむれば、即ち敵の利は取るべし。故に曰く「重賞の下、必ず勇夫あり」と。
皇朝の太祖が将に命じて蜀を討つに、諭して曰く「獲得した諸州や町は私のものだ。しかしその間に手に入れた敵の財貨をもって
士卒に振舞え。国家が欲しているのは土地だけだ。」ここにおいて将吏は死戦し、至る所は皆下して、遂に蜀を平らぐ。

100 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:18:32 ID:???
故に車戦では、車十乗已上を得れば、其の先に得たものを賞す。

曹操:車戦をもって敵の戦車十乗以上を得たものは、賞してこれを賜る。車戦で戦車十乗以上を得たものを賞すると言わないのは、
何を賞するべきだろうか。それは、戦車に従う歩兵たちを賞として与えるのだ。陳車の法として、五車を隊と為し、僕射一人。十車を官と為し、
卒長一人、車は十乗で満ち、将吏二人。故に別に之を賜うといい、恩としてこれを使わしむる。或いは曰く、自ら十乗以上の戦車で敵と戦い、
その有功者を取りてこれを賞す。十乗以下であれば、一乗だけ独りで得たといえども、残りの九乗を皆賞として与え、士の励みとする。
李筌:重賞により励みとする。
杜牧:戦車十乗以上を得たものとは、命じて多くの兵士を率いてようやく可能になる。もし皆に賞を与えようとしても、力が不足している。
獲得した戦車は、公家にとって自らの財貨ではあるが、先にこれを得たものに与えることで、士卒を励ますのだ。故に上の文で曰く、
敵の利を取るは、貨なりと。十乗というのは、その綱目を挙げたものだ。
賈林:達成できない者に対する励みとするのだ。
梅堯臣:賞を皆に与えようとしても難しい。故に一を賞して百を励ますのだ。
王ル:財を以て先に獲得した卒を賞するのだ。
張預:戦車一乗は七十五人、戦車戦で敵の戦車十乗以上を得たのであれば、吾が士卒は千余人以上いるはずだ。それほど多くの兵隊全員に
賞を与えることはできないが、先に獲得したものに厚く利を与え、他の兵隊を励ますのだ。古人の兵を用いるには、戦車には必ず戦車で奪い、
騎兵には騎兵で奪い、歩兵には歩兵で奪う。故に呉起が秦人と戦うに、三軍に令して曰く、「若し車を車で得ず、騎を騎で得ず、徒を徒で得ざれば、
軍を破るといえども、皆功無し」と。

101 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:21:43 ID:???
而して其の旌旗を更え

曹操:我が軍と同じにする。
李筌:(敵軍の旗の色を嫌い、)色を我が軍と同じものにする。
賈林:我が軍のものと識別できなくする。
張預:敵の旗の色を変え、我が軍と同じものにする。

車を雑えてこれに乗り

曹操:捕獲した車の単独での任務は与えない。(敵部隊と誤認するため)
李筌:捕虜部隊の旗は我が軍のものに変えなければならないが、車は我が軍のものと混在させて運用する。
杜牧:士卒が自ら捕獲した敵の車は、我が軍のものと混在させて使用させるが、官品としての登録はしない。
梅堯臣:車は雑えて乗るを許すが、旗はこれによらない(旗の色は軍で統制し、捕獲部隊の自由にはさせない)。
王ル:敵の車を得れば、我が軍のものと混在させて使用させることができるということだ。
張預:我が軍の車と敵の車は必ず混在させて使用し、捕獲した車だけで使用することは無い。

102 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:25:52 ID:???
卒は善くしてこれを養い

張預:捕虜は必ず恩信をもってこれを撫養し、我が用のために使う。

是を敵に勝ちて益々強しと謂う。

曹操:我が強さを益す。
李筌:後漢の光武帝は南陽に銅馬賊を破り、虜衆数万をそれぞれ部隊に配分した。しかし兵士の心情が安定しないので、光武帝は部隊を
本営に帰らせたが、その行程を楽なものにして兵士を労わった。(兵士たちは)お互いに、「蕭王様は我々に赤心(真心)を与えた。死をもっても
応えなければ」と言い合い、ここにおいて漢はますます振るった。このような意味である。
杜牧:敵の卒を得、敵の資に因り、己の強さを益す。
梅堯臣:卒を獲たらその長ずるところに任じ、これを養うに恩をもってすれば、必ず我が用となる。
王ル:敵卒を得れば即ちこれを養い、我が卒と同じにする。善くするとは、これを侵辱することなきを謂う。厚撫して初めて附す。或いは人心を失う。
何氏:敵に因りて以て敵に勝つ、どうして強くならないことがあろうか。
張預:その敵に勝ち、その車と卒を獲、すでに我が用の為にする。即ちこれ己の強さを益す。光武帝が赤心を推し、人々死に投ずるの類なり。

103 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:31:32 ID:???
故に兵は勝ちを貴ぶも久しきを貴ばず。

曹操:久しければ即ち利あらず。兵はなお火のごとし。おさめざればまさに自ら焚す。
孟氏:速やかに勝ち、疾く還るを貴ぶなり。
梅堯臣:上で言ったことは、皆速さを貴ぶということだ。速ければ財用を省し、民力を息する。
何氏:孫子は首尾に兵久しきの理を言う。蓋し「兵は玩ぶべからず、武は黷(けが)すべからず」の深きを知るべし。
張預:久しければ即ち師老(つか)れ財竭き、もって変を生じ易し。故にただその速やかに勝ち疾く帰るを貴ぶなり。

故に兵を知るの将は、生民の司命、国家安危の主なり。

曹操:将賢ければ即ち国安きなり
李筌:将には殺伐の権あり、威は敵を却(しりぞけ)るを欲す。人命繋がるところ、国家の安危はここにあり。
杜牧:民の性命、国の安危、皆将に由るなり。
梅堯臣:この言葉は、将を任ずる重さを言う。
王ル:将賢ければ即ち民はその生を保ち、国家安らかなり。しからざれば即ち民は毒殺され、国家危うし。明君は属に任ずるに、
精ならざるべけんや。
何氏:民の性命、国の治乱、皆将を主とする。将の材難あるは、古今患いとするところなり。
張預:民の死生、国の安危、繋ぐは将の賢否なり。

104 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 14:38:40 ID:???
孫子 作戦篇 了

 お盆休みで集中して終わらせるつもりが、だらだら長引いてしまいますた。
 現在の「作戦」というよりは、作戦基盤の整備のような内容ですね。

 第3編「謀攻」のうぷは未定です。年内には第4編「形」までは行きたいところですが。

 ところで、「十一家註孫子」の解説まで日本語で訳したテキストって無いんですかね。
昔の写本なら、少なくとも白文で載っているのでしょうけど。「孫子」の本文だけで
曹操以下の解説を切り捨てたのは、ちょっともったいない気がします。

105 :名無し三等兵:2008/09/07(日) 22:45:28 ID:5fNhQpv4
曹操以外知ってる奴いないんだが
誰だこいつら?

106 :名無し三等兵:2008/09/07(日) 22:52:54 ID:???
気になるならググるぐらいのことはしてみたらどうだい?

107 :名無し整備兵:2008/09/07(日) 23:12:37 ID:???
>>105

 杜牧くらいはご存じないですか?詩人としての方が有名ですよ。

108 :名無し三等兵:2008/09/10(水) 10:26:24 ID:d1AJJsJz
>>91
書籍購入に特化した紹介はここが一番いい
http://page.freett.com/lunarwarfare/
というか、ほかにそういうサイトやいいところがないのが現状

おいらはここで中国兵書全部買ってしまった。
お勧めを買えば間違いないと思う。
英語版の紹介も面白い。英語版の中国兵書があることが驚き。
次はここで西洋兵書を買おうかと思ってる。


109 :名無し三等兵:2008/09/10(水) 21:31:30 ID:RofNzjlJ
司馬懿って諸葛亮に次ぐ軍師みたいですが、そんな凄い人物ですか?

110 :名無し三等兵:2008/09/10(水) 22:01:05 ID:???
実際、諸葛亮より司馬懿のほうが上だから。

111 :名無しの愉しみ:2008/09/10(水) 23:11:46 ID:???
中国兵書ではないけど、
「士鑑用法」って、なんであんなに高いんじゃー!

112 :名無し三等兵:2008/09/23(火) 04:28:37 ID:pecxARkZ
孫子を題材にした映画はありますか?

113 :名無し三等兵:2008/10/02(木) 19:44:14 ID:A8Hh7LG6
もっと三十六計の本出ないかな。

114 :名無し三等兵:2008/10/16(木) 17:52:32 ID:???
孫(ぴん)兵法 ─もうひとつの『孫子』
金谷 治 翻訳 , 金谷 治 注釈
シリーズ:ちくま学芸文庫
定価:1,155円(税込)
刊行日: 2008/10/08
戦国時代の幻の兵書の全貌
『史記』『漢書』に記載されながら、二千年にわたって姿を隠していた幻の兵書の全訳。
戦国時代を反映した、人間の生死を賭けた知恵と行動の原理。

ttp://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480091789/

115 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:05:48 ID:???
 随分下がったので、保守も兼ねてカキコ。まだ翻訳途中ですが・・・

謀攻篇

曹操:敵を攻めんと欲すれば、必ず先ず謀る。
李筌:陣を合わせるを戦と為し、城を囲むを攻という。このため、この篇は「作戦篇」の次となる。
杜牧:廟堂の上にて計算已に定まり、戦争の具、糧食の費、悉く已に用を備え、謀を以て攻むべし。
故に曰く「謀攻」なりと。
王ル:敵の利害を謀攻するに、当に策を全うして以てこれを取る。兵を伐ち城を攻めることばかりではない。
張預:計議已定まり、戦具已に集まり、然る後に智謀を以て攻めるべし。故に「作戦」に次ぐ。

116 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:08:29 ID:???
孫子曰く、凡そ用兵の法は国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。

曹操:師を興して深く入り長躯し、その城郭を距て、その内外を絶ち、敵が国を挙げ来たり服するを上と為す。
兵を以て撃破し、敗りてこれを得るは、その次なり。
李筌:殺すを貴ばざるなり。韓信は魏王豹を虜にし、夏説を?え、成安君を斬る。これは国を破るを為すものなり。
広武君の計を用いるに及び、北は燕路に向かい、一介の使を遣わし、咫尺の書を奉じるに、燕は風に従い靡く。
即ち国を全うするなり。
賈林:全くして其の国を得れば、我が国も亦全きなり。即ち上と為す。
杜佑:敵国が来たり服するを上と為し、(兵を)以て撃破するは次と為す。
王ル:韓信が燕を降伏させたようなものが、この例である。
何氏:方略気勢を以て、敵人をして国を以て降らしめる。上策なり。
張預:尉繚子曰く、「武を講じ敵を料り、敵をして気を失わしめ師を散じ、形全きと言えどもこれが用を為さず。
これ道勝なり。軍を破り将を殺し、堙に乗じ機を発し、衆を会し地を奪う。これ力勝なり。」と。然れば即ち所謂
道勝・力勝とは、即ち国を全うする、国を破るの謂いなり。それ民を弔い罪を伐つに、全くして勝つを上と為す。
已むを得ざるため破るに至る、即ちその次なり。

117 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:10:22 ID:???
軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ。

曹操・杜牧:司馬法に曰く「一万二千五百人を軍と為す。」(「一万五千五百人」としているテキストもある。)
何氏:其の城邑を降し、我が軍を破らず。

旅を全うするを上と為し、旅を破るはこれに次ぐ。

曹操:五百人を旅と為す。

卒を全うするを上と為し、卒を破るはこれに次ぐ。

曹操:一旅已下、一百人に至る。(「一校已上」とするテキストもある。)
李筌:百人以上を卒と為す。
杜佑:一校とは百人以下である。

伍を全うするを上と為し、伍を破るはこれに次ぐ。

曹操:百人已下五人に至る。
李筌:百人以下を伍と為す。
杜牧:五人を伍と為す。
梅堯臣:謀の大なるものは、全くしてこれを得る。
王ル:国軍卒伍、小大を問わず、これを全くするは即ち威徳優れると為し、これを破るは威徳劣ると為す。
何氏:軍より伍に至るは、皆上下の順序を表したものである。此の意は策を以て略取するを妙と為し、
一軍のみならず一伍に至るまで、全からざるべからざるにある。
張預:周制では、一万二千五百人を軍と為し、五百人を旅と為し、百人を卒と為し、五人を伍と為す。
軍より伍に至るまで、皆戦わずしてこれに勝つを上と為す。

118 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:11:25 ID:???
是が故、百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり。

曹操:未だ戦わずして戦えば(敵が)自ずから屈する勝ち方が善である。
李筌:計を以て敵に勝つ。
陳r:戦えば必ず殺人する故なり。
賈林:兵威が遠くに振るい、全くして来たり降伏する、これを上と為す。詭詐謀を為し、敵衆を摧破し、
人を残し物を傷つけ、然る後にこれを得るは、又その次なり。
杜佑:未だ戦わずして敵自ずから屈服する。
梅堯臣:殺傷残害を悪(にく)むなり。
張預:戦いて後能く勝つは、必ず殺傷多し、故に善に非ずと云う。

119 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:13:23 ID:???
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。

曹操:未だ戦わずして敵自ずから屈服する。
杜牧:計を以て敵に勝つ。
陳r:韓信は李左車の計を用い、咫尺の書を馳せ、戦わずして燕城を下せしなり。
孟氏:廟勝を重んじるなり。
王ル:兵は謀を伐つを貴び、戦いに務めざるなり。
何氏:後漢の王覇が周建・蘇茂を討ち、既に戦いて帰営したときのこと。賊また集まり挑戦したが、王覇は堅く守って出ず、
宴会を開いて歌や踊りで盛り上げていた。蘇茂は王覇の陣営中に向け雨のように矢を放ち、王覇の目の前の酒樽に当るほど
だったが、王覇はゆったり座って動かない。軍吏曰く「蘇茂は已に破れており、今なら簡単に勝てます。」王覇は答えて、
「そうではない。蘇茂は遠くから攻めてきた客兵で、糧食が不足している。だからここで戦いを挑み、乾坤一擲の勝負に出ようと
しているのだ。今は陣営を閉じ兵を休ませておく。所謂戦わずして人の兵を屈するは、善の善なりということだ。」蘇茂は果たして
退却した。
張預:賞罰を明らかにし、号令を徹底し、器械を準備し、士卒を演練し、その強さを見せ付けて、敵が風に従って靡くように我に
屈服すれば、即ち大善と為す。呉王の黄池の会において、晋人がその法有るを畏れ服したようなものだ。

120 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:15:02 ID:???
故に上兵は謀を伐つ。

曹操:敵始めに謀有らば、これを伐つは易きなり。
李筌:その始謀を伐つ。後漢の寇恂が高峻を囲み、高峻は謀臣皇甫文を遣わし恂に謁するも、辞礼屈さず。
寇恂これを斬り、高峻に「軍師無礼なれば、已にこれを斬る。降伏したければすぐに降伏せよ。さもなければ、
せいぜい固守せよ」と伝えると、高峻は即日開城し降伏した。諸将が「敢えて問いますが、軍使を殺されて
降伏したのは、どういうことでしょうか?」と聞くと、寇恂は「皇甫文は高峻の腹心で、その謀を計画する者だ。
これを捕らえれば、それこそ皇甫文の計にはまるだろう。その意表に出て殺してしまえば、高峻は肝をつぶすだろう。
所謂上兵は謀を伐つということだ。」と答え、諸将も「そこまで考え付きませんでした。」と納得した。

121 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:18:32 ID:???
(続き)

杜牧:晋の平公は斉を攻めようとし、范昭を使者として派遣し様子を伺った。斉の景公これをもてなした。宴酣となり、
范昭は景公の酒器からの酌を請うた。公曰く「私の酒器を客に進めよ」と。范昭が一杯だけ飲むと、晏子は酒器を変えて
酌をした。范昭は酔った振りをして、不機嫌になったので気分転換したいように装い、太師(音楽担当)に「舞いたいので
成周の楽を演奏してくれ」と頼んだが、太師は「練習していないので演奏できない」と謝絶した。范昭はそのまま帰ってしまった。
景公は「晋は大国だ。我が国の政治状況を確認に来たのだろう。今回その大国の使者を怒らせて帰してしまった。どうして
あんなことをしたんだ。」と二人を責めたが、晏子は「范昭は儀礼に詳しくないはずがありません。(君主の酒器からの酌を
強要するような)無礼な真似をして、我が国を侮辱しようとしたのでしょう。そのため、敢えて従いませんでした。」と答えた。
また太師も「成周の楽とは天子の楽曲なので、普通の人はこれを舞いません。范昭は人の臣下なのに、天子の楽を舞おうと
しました。そのため、従いませんでした。」と答えた。一方、范昭は帰国して晋の平公に報告し、「斉はまだ攻めるべきではありません。
私が斉の君主を侮辱しようとしたら、晏子がそれに気付いて対処しました。私が無礼な振る舞いをしようとしたら、太師がそれに気付いて
対処しました。(このように、侮られず、しかも攻める口実を作らせないような有能な臣下が多い国です。)」孔子もこの事について
「宴会の場に過ぎないのに、千里の外での外交を上手く進めるのは、晏子の優れたところだ」と評している。

(まだ杜牧の註が続く。)

122 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:20:09 ID:???
(杜牧註の続き)

春秋時、秦は晋を攻め、晋の将趙盾が防御に当った。晋の上軍佐(参謀)臾駢は「秦は長期戦ができない。
城の守りを固めて敵の撤退を待ちましょう」と上申している。秦軍は速戦速決を望み、(秦将の)秦伯は士会に
「どうやって決戦に持ち込もうか」と相談した。士会は「趙氏とやらは最近役職についたもので、その計謀は
臾駢が立てたものでしょう。長期戦で我が軍を疲労させる狙いです。趙盾には趙穿という従兄弟がいて、
晋の君主の婿です。君主の覚えはいいのですが軍事には疎く、勇猛ですが軽率で、しかも臾駢が上軍佐に
なっているのを嫌がっています。彼を挑発すればいかがでしょうか」と答えた。秦軍は晋の上軍を攻撃し、
趙穿はこれを追撃したが及ばず、帰ってから「我々が兵糧を蓄え鎧の上に座り込んでいるのは、
敵の思うままじゃないのか。敵が来ても反撃しないのは、一体どういうことだ。」と怒った。軍吏が
「待機との命令が出ています。」ととりなしたが、趙穿は「計略なんて分からん。独りでも出撃する」と、
部下を率いて単独で出撃してしまった。趙盾は「秦軍が趙穿を捕虜にしたら、晋の将軍が捕虜になったことになり、
敵の勝利となってしまう。そんな報告はできない。」と出撃したが、勝負はつかず、その場は引き上げた。
さて、晏子の対応は、敵が計謀をもって我を伐とうとしたが、我がその計謀を封じたため、敵が我を
攻撃できなくなったものである。士会の対応は、敵に我を封ずる計謀があったので、その謀を破り、
我と戦わざるを得なくしたものである。この二者は、いずれも謀を伐ったものである。故に敵が我を謀ろうと
するのであれば、その計謀が形を成す前に伐ち、我が敵を伐つのであれば、(敵が)既に実施している計謀を伐つ。
もとより一つの方式に止まるものではない。

(続く)

123 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:21:07 ID:???
孟氏:(墨子が)九度攻められ九度拒んだのは、この謀である。
杜佑:敵がまさに謀を設け軍を動員しようとしているならば、我が軍はそれを未然に抑止する。これが上策である。
故に太公曰く「善く患を除く者は、未だ生ぜざるを理(なお)す。善く敵に勝つ者は、無形において勝つ」と。
梅堯臣:智を以て勝つ。
王ル:智謀を以て人を屈するを最も上と為す。
何氏:敵始めに謀で我を攻め、我先ずこれを攻めるは、易きなり。敵人の謀の趣向を知り、因りて兵を加え、
彼の心の発するを攻めるなり。
張預:敵始めに謀を我に発する、従ってこれを攻めれば、彼は必ず計を喪って屈服する。晏子が范昭を阻止した
ようなものがこれである。或いは曰く、謀を伐つとは、謀を用いて以て人を伐つなり、と。奇策秘算を以て戦わずして
勝つを、兵の上なりと言う。

124 :名無し整備兵:2008/10/27(月) 23:22:25 ID:???
 とりあえず、ここまでです。

 「その次は交わりを伐つ」以降は、またの機会に。

125 :名無し三等兵:2008/10/28(火) 23:16:36 ID:???
乙です!

126 :名無し三等兵:2008/10/30(木) 16:51:43 ID:KdED6fy3
>>114
何年か前にハードカバーで出てたけど、それの文庫化?

127 :名無し三等兵:2008/11/14(金) 01:01:58 ID:???
良スレ保守

128 :名無し三等兵:2008/12/04(木) 12:20:37 ID:???
関連スレ
孫子などの書物を語るスレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175088127/
中国古典文学
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1020869278/
【孫子】お前ら、兵法は勉強してるよな?【六韜】
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1202746011/
論語や孫子の兵法書、老子などを読みたいです
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1065634804/
孫子兵法總覽
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1161978174/
【孫】もう一つの「孫子」【ビン】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1012393090/
【SJ】 ビン 〜孫子異伝〜 【星野浩字】
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/comic/1203672923/


129 :名無し三等兵:2008/12/22(月) 17:47:37 ID:yJQ4sFI8
保守

130 :名無し三等兵:2008/12/31(水) 13:25:50 ID:???
年末点検保守

131 :名無し整備兵:2009/01/11(日) 18:19:54 ID:???
その次は交わりを伐つ

曹操:交わりとは、将軍同士の和合である。
李筌:その始めの交わりを伐つなり。蘇秦は六国に秦に事えざるを約し、秦は関を閉ざすこと十五年、敢えて山東を窺わざるなり。
杜牧:将軍同士の和合のみに止まるにあらず、連合しているものは皆伐つべきなり。張儀は秦の地六百里を楚の懐王に献ずると
願い、斉との交わりを絶つを請う。随何は黥布の坐上で楚の使者を殺し、以て項羽と絶たしむ。曹公は韓遂と馬語を交わし、以て
馬超を疑わしむ。高洋は蕭深明を以て梁と講和し、以て侯景を疑わしめ、終に台城を陥とす。此れ皆交わりを伐つなり。権道の
変化は一途にあらざるなり。
陳r:或いは云う、敵已に師を興し合を交うるに、伐ちてこれに勝つは、是その次なり。晋文公が宋を敵とし、曹、衛を離す若し。
孟氏:強国と交合すれば、敵敢えて謀らず。
梅堯臣:威を以て勝つ。
王ル:未だ敵の謀を全て屈するあたわざるに、まさにその交わりに当り、これを解散せしむ。彼の外交が成功すれば即ち事件は
大きくなり敵は堅く、彼の外交が不成功なら事件は小さく敵は脆い。
何氏:杜牧が例に出した四事は、即ち親しみて之を離すの義なり。交わりを伐つは、兵が交合せんと欲するも、疑兵を設けて
以て之を懼れしめ、進退を得ざらしめ、因りて来たりて屈服さす。旁隣既に我が援けとなり、敵は孤弱にならざるべからざるなり。
張預:兵将交戦し、将合なれば即ち之を伐つ。左伝に曰く、「人に先んずれば人の心を奪うあり」と。両軍の将合するに、即ち先ず
之を薄くす。孫叔敖の晋師を敗り、厨人濮の華氏を破りしは之なり。或いは曰く、交わりを伐つは、交わりを用いて以って人を伐つ
なり、と。兵を挙げ敵を伐つに、先ず隣国と結び掎角の勢を為せば、即ち我彊くして敵弱しと言う。

132 :名無し整備兵:2009/01/11(日) 18:24:07 ID:???
その次は兵を伐つ

曹操:兵形已に成るなり。
李筌:敵に臨みて陣を対するは、兵の下なり。
賈林:攻取を善くし、挙げて遺策無きは、又その次なり。故に太公曰く、「白刃の前において勝を争うは、良将にあらざるなり。」と。
梅堯臣:戦いを以って勝つ。
王ル:戦いは危事なり。
張預:その始謀を敗り、その将合を破るあたわざれば、即ち兵器を犀利にし以って之に勝つなり。兵とは、器械の総名なり。
太公曰く、「必勝の道は、器械を宝と為す」と。

その下は城を攻む

曹操:敵国已にその外糧を収め城を守るに、之を攻めるは下攻と為すなり。
李筌:それ王師境を出ずるに、敵即ち壁を開き款(降伏文書)を送り、ひつぎを轅門に挙げ、百姓怡悦するは、攻の上なり。
堅城の下に兵を頓し、師老(つか)れ卒惰し、攻守の勢殊にして、客主の力倍するが若きは、此れを以って攻の下と為すなり。
杜佑:城を攻め邑を屠ると言うは、攻の下なり。害する所の者多し。
梅堯臣:財役を費やすを最も下と為す。
王ル:士卒殺傷し、城或いは未だ克たず。
張預:それ城を攻め邑を屠るは、ただ師老(つか)れ財を費やすのみならず、兼ねて亦害する所の者多し、これ攻の下と為す
者なり。

133 :名無し整備兵:2009/01/11(日) 18:30:54 ID:???
攻城の法は、已むを得ざればなり。

張預:城を攻めれば即ち力屈す。以って必ず攻める所のものは、蓋し已むを得ざるのみ。

櫓、フンオンを修め、器械を具え、三月にして後成る。距インまた三月にして後に已む。

曹操:修めるとは、治すことである。櫓は大楯のこと、フンオンは、フン牀のことである。フン牀は4輪車で、中に入って押し、
城下に至る。具えるとは、備えることである。器械とは、攻守に関する機械の総名で、飛楼雲梯の属である。距インとは、
土を積み高くして進み、その城への進撃路を作ることである。
李筌:櫓とは、楯のことである。頭を守って城下に趨る。フンオンは、四輪車である。その下に兵数十人を蔵し、堀を埋めて
これを押し、直ちにその城に就く。木石の壊すあたわざるところなり。器械とは、飛楼、雲梯、板屋、木幔の類なり。距インとは、
土木の山で城に乗るものである。東魏の高歓の晋州を囲むに、候景の台城を攻めるは、即ちその器なり。役は約三月、
兵久しくなり人の疲れるを恐れるなり。

134 :名無し整備兵:2009/01/11(日) 18:33:19 ID:???
(続き)

杜牧:櫓とは、即ち今の所謂彭排である。フンオンは、四輪車である。大木を配列してこれを為し、上は生の牛皮で覆う。下には
十人を収容でき、往来して土を運び堀を埋める。木石の傷つけるあたわざる所なり。今の俗に所謂木驢これなり。距インとは、
土を積みてこれを為す。即ち今の所謂塁道である。三月とは、時間がかかるということだ。器械を修治し、更にその距インをなすは、
皆須らく時を経て精好に成就するべし。人を傷つけるの甚だしきをおそる。管子曰く「器を致すことあたわざる者は困する」と。
以って敵に応ずること無きを言う。太公曰く、「必勝の道は、器械を宝とす」と。漢書志に曰く、「兵の伎巧は、十三家あり。手足を
習い、器械機関を便じ、以って攻守の勝を立てる者なり」と。それ城を攻めるものには撞車、「戔リ」鈎車、飛梯、蝦蟇木、解合車、
狐鹿車、影車、高障車、馬頭車、独行車、運土豚魚車あり。
陳r:杜牧は櫓を彭排であるとしたが、間違いである。もし彭排だとしたら、即ち「木鹵」の字を使うはずである。曹操のいう大楯が、
或いは近いと思われる。蓋し器械を全て具えるに三月を要し、距インにまた三月を使い、已に六ヶ月、将もしこれを待たずして
忿りを生じれば、速やかに必ず士卒を多く殺すと言うべし。故に下に云う、将その忿りに勝(た)えず、これに蟻附するは、災いなり。
杜佑:フンオン、上は汾(フン)と読み、下は温(オン)と読む。距インは、土を高く積んで進め、もって城への進撃路を作ることであ

る。土を積んで山を為すを堙といい、もって敵城を距て、その虚実を観る。春秋伝に曰く、「楚の司馬子反は堙に乗り宋城をうかがう」と。

135 :名無し整備兵:2009/01/11(日) 18:35:26 ID:???
梅堯臣:威智以って人を屈するに足らず、已むを得ずして城を攻めるなり。攻具を治めるには須らく時を経るなり。曹操は
「櫓は大楯のこと、フンオンは、フン牀のことである。フン牀は4輪車で、中に入って押し、城下に至る。具えるとは、備える
ことである。器械とは、攻守に関する機械の総名で、蜚梯の属である。」としているが、櫓を大楯としているのは誤りである。
兵の装備は甚だしく多いのに、何故大楯の修理にとりわけ言及するのか。今城の上の防御用楼閣を「櫓」と言っているが、
このように櫓とはフン牀上の革屋で、矢石を防ぐものではなかったのか?
張預:櫓を修めるとは、大楯のことである。左伝に曰く、「晋侯巣車に登りて以って楚軍を望む」とあり、註に云わく、「巣車とは、
車上に櫓を為す」とある。又晋師のフク陽を囲むや、魯人は大車の輪を建て、これを覆うに甲を以ってし、以って櫓と為す。
左はこれを執り、右は戟を抜き、以って一隊を成す。註に云わく、「櫓とは、大楯なり」と。これを以ってこれを観れば、
櫓を修めるとは大楯を為すこと明らかである。フンオンは、四輪車である。その下に兵数十人を収容でき、土を運び堀を埋めるもの
である。器械とは、城を攻めるものの総名である。三月とは、完成に必要な大体の時期である。或いは曰く、孫子は忿りて速やかに
これを攻める心を戒めるため、わざと器械を成すのに三月、距堙を起てるに三月と言っているのであって、実際には必ずしも三ヶ月
かかるわけではない、と。城なお下すあたわざれば、即ち又土を積みて城と斉しくし、士卒をしてこれに上らせ、或いはその虚実を
観、或いはその楼櫓を毀し、必ず取らんと欲する。土山を堙という。楚の子反が堙に乗り宋城をうかがったのがこれである。器械の

成ると言うのは、時間をかけて成就させるからである。距堙の已むと言うのは、時間をかけて上に上れるようになるからである。
皆已むを得ざるの謂いである。

136 :名無し整備兵:2009/01/11(日) 18:37:58 ID:???
将その忿りに勝えずして、これに蟻附し、士の三分の一を殺し、しかして城の抜けざるは、これ攻の災いなり。

曹操:将忿りて攻城の器を待たず、士卒をして城に縁どり上り、蟻の如くこれを牆に縁どり、士卒を殺傷するなり。
李筌:将怒りて攻城を待たず、士卒をして肉薄して城に登らせ、蟻の如く牆に附くところとなり、木石の殺すところとなる者は、
三に一あり。しかも城抜けざるは、これ攻の災いなり。
杜牧:これは敵の辱めるところとなり、忿怒に勝えざるを言うなり。後魏の太武帝は十万の衆を率い宋の蔵質を「目于」「目台」に
寇す。太武帝は始め就いて質に酒を求むるに、質は溲便(小便)を封じてこれに与える。太武帝は大いに怒り、遂に城を攻む。
即ち肉薄して城に登るを命じ、番を分け相代わり、墜ちてまた昇り、退くもの有るなく、屍と城と平らかになる。またその高梁王を
殺す。かくの如くして三旬、死者半ばを過ぐ。太武帝は彭城がその帰路を断つと聞き、疾疫甚だ衆きを見て、即ち解き退く。
左伝に曰く、「一女も城に乗れば、十夫に敵うべし」と。これを以ってこれを梭れば、なおただのみならざるを恐る。
賈林:ただ人心をして外に附し、士卒内に離れれば、城乃ち自ずから抜く。
杜佑:守るに二時を過ぎ、敵人服さざれば、将心の忿りに勝えずして、多くは士卒をしてその城に蟻附し、我が士民の三分の一を
殺傷するなり。攻めうながして抜けざれば、還りて己に害を為すを言うなり。故に韓非曰く、「それ一戦して勝たざれば、即ち
禍曁(およ)ぶ」と。
何氏:将の心忿りに急に、士卒をして蟻の如く縁どり登らせ、死者半ばを過ぎ、城且つ下らざれば、これ害なるのみ。
張預:攻めるに二時を逾え、敵なお服さず、将の心忿り躁ぎ、持久するあたわず、戦士をして蟻縁し城に登らしめれば、
即ちその士卒は敵人の殺すところになるもの三中に一、しかして堅城終に抜くべからず、これ攻城の害なるのみ。或いは曰く、
将の心忿りに速く、六月の久しきを待たず、進みてこれを攻めるに、即ちその害かくの如し。

137 :名無し整備兵:2009/01/12(月) 18:01:13 ID:???
故に善く兵を用いる者は、人の兵を屈するも、戦うにあらざるなり。

李筌:計を以って敵を屈し、これと戦いて屈するにあらざるなり。晋将郭淮が麹城を囲むに、蜀将姜維来たり救う。郭淮は牛頭山に趨り、
姜維の糧道及び帰路を断つ。姜維は大いに震え、戦わずして遁げ、麹城遂に降る。即ち戦わずして屈するの義なり。
杜牧:周亜夫七国を敵とし、兵を東北に引きて昌邑に壁し、梁をもって呉に委ね、軽兵をして呉の餉道を絶たしむ。呉、梁相弊れ食竭き、
呉遁れ去る。因りて追撃し、大いにこれを破る。蜀将姜維、勾安・李韶を将とし麹城を守らしめるが、魏将陳泰これを囲むに、姜維
来たり救い、牛頭山より出でて、陳泰と相対す。陳泰曰く、「兵法の貴ぶは戦わずして人を屈するにあり。今牛頭を絶てば、姜維返る道
無く、即ち我の擒となる。諸軍それぞれ守り戦うことなく、その還路を絶て。」と。姜維懼れ、遁れ去り、勾安等遂に降る。
梅堯臣:戦えば即ち人傷つく。
王ル:李左車が成安君を説き、奇兵三万人を以って、韓信を井ケイに扼さんと請うがごときの策はこれなり。
何氏:謀を伐ち交わりを伐つと言うは、戦いに至らざるなり。故に司馬法に曰く、「上謀は闘わず」と。その旨見わる。
張預:前に陳べるところのものは、庸将のためのみ。善く兵を用いる者は即ち然らず、或いはその計を破り、或いはその交わりを敗り、
或いはその糧を絶ち、或いはその路を断ち、即ち戦わずしてこれを服すべきなり。田穣苴が法令を明らかにし、士卒を拊するに、
燕晋これを聞き、戦わずして遁げるがごときもまた是なり。

138 :名無し整備兵:2009/01/12(月) 18:04:43 ID:???
人の城を抜くも攻めるにあらざるなり。

李筌:計を以ってこれを取る。後漢の「賛+おおざと」侯臧宮は妖賊を原武に囲み、月を連ねても抜けず、士卒疾癘する。東海王は
 臧宮に曰く、「今兵を擁し必死の虜を囲むは、計にあらざるなり。宜しく囲みを撤しその生路を開きてこれに示せば、彼必ず逃散し、
 一亭長も擒えるに足る。」これに従いて原武を抜く。魏が壷関を攻めるも、またその義なり。
杜牧:司馬文王が諸葛誕を寿春に囲むや、議する者多くはこれを急ぎ攻めんと欲する。文王は誕の城固く衆多きをもって、これを
 攻めれば力屈し、もし外に救いあれば、表裏に敵を受け、これ危うきに至る道なりとし、吾当に全策をもってこれを縻げば、坐りて
 制するべきなりとす。誕二年五月に反き、3年2月に破滅す。六軍甲を按じ、溝を深くし塁を高くし、しかして誕自ら困ず。十六国の
 前燕の将慕容恪は兵を率いて段龕を広固に討つに、恪これを囲む。諸将恪に急ぎてこれを攻めんと勧めるも、恪曰く「軍勢には
 緩ありて敵に克ち、急ありてこれを取る。もし彼我の勢すでに均しく、外に強援あれば、力はこれを制するに足る。当に羈縻して
 これを守り、以ってその斃れるを待たん。」と。乃ち室を築き反りて耕し、囲塁を厳しく固め、遂に広固に克ち、刃を血ぬらさざるなり。
孟氏:威刑を以って敵を服し、攻めずして取るは、鄭伯が肉袒して以って楚の荘王を迎えるがごときの類を言う。
梅堯臣:攻めれば即ち財傷つく。
王ル:唐太宗が薛仁杲を降すがごときは是なり。
張預:或いはその必ず救うところを攻め、敵をして城を棄てて来援させしめ、即ち伏を設けこれを取る。耿エンが臨シを攻めるに西安に克ち、
 巨里を脅かして費邑を斬るがごときは是なり。或いは外にその強援を絶ち以ってこれを久しく持し、坐りてその斃れるを俟つ。楚師が
 室を築き反りて耕し以って宋を服するがごときは是なり。これ皆攻めずして城を抜くの義なり。

139 :名無し整備兵:2009/01/12(月) 18:06:49 ID:???
人の国を毀つも、久しきにあらざるなり。

曹操:人の国を毀滅するも、師を露すこと久しからざるなり。
李筌:術を以って人の国を毀ち、久しからずして斃す。隋の文帝は僕射の高ケイに陳を伐つの策を問う。曰く、「江外の田収は、
 中国と同じからず。彼の農時を伺うに、我正に暇豫、徴兵し掩襲すれば、彼農を釈て守り禦ぎ、その兵聚まるを候ち、我便に
 解きて退く。再三かくのごとければ、彼農事に疲れる。また南方の地は卑にして、舎悉く茅竹、倉庫儲積、悉くその間に依る。
 密かに人を行かしめて風によりて火を縦ち、その營立つを候ち更にこれを為せ。」と。その謀を行い、陳始めて病む。
杜牧:敵に乗るべきの勢い有るに因り、その機を失わず、枯朽を摧くが如し。沛公入関し、晋の孫皓を降し、隋の陳氏を取るや、
 皆これを久しくせざるなり。
賈林:兵は久しくすべからず、久しければ即ち変生ず。ただその国を毀滅し、人を傷残せず。武王殷を伐ち、殷人為に父母と
 称するがごとし。
杜佑:暴虐を誅理するがごとく、敵国を毀滅し、師衆を暴さざるなり。
梅堯臣:久しければ即ち変生ず。
王ル:梅堯臣の註に同じ。
何氏:善く攻めるものは攻めるに兵を以ってせず、計を以ってこれを困じ、その自ら抜かしめ、その自ら毀たしめ、久しく守るを
 労することあらずして之を取る。
張預:順を以って逆を討ち、智を以って愚を伐ち、師久しく暴さずしてしかも敵国滅ぶ。何ぞ六月の稽の假あらんや。

140 :名無し整備兵:2009/01/12(月) 18:09:34 ID:???
必ず全きをもって天下を争う。故に兵頓れずして利全かるべし。これ謀攻の法なり。

曹操:敵と戦いをともにせず、必ず完全にこれを得、天下に勝ちを立てれば、兵頓れ刃血ぬられざるなり。
李筌:全勝の計を以って天下を争うは、これ以って頓れずに利を収めるなり。
梅堯臣:全くして争うは、兵戦わず、城攻めず、毀つも久しからず、皆謀を以って敵を屈す、これを曰く謀攻と。故に兵を鈍くせずして
 利自ら完くす。
張預:戦わざれば即ち士傷つかず、攻めざれば即ち力屈さず、久からざれば即ち財費やさず。完全を以って天下に勝ちを立て、
 故に兵頓れ刃血ぬられるの害無し。しかして国富み兵強きの利あり、これ良将計攻の術なり。

141 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 22:19:24 ID:R49tQPir
故に用兵の法、十ならば即ちこれを囲み

曹操:十を以って一に敵すれば、即ちこれを囲むは、これ将の智勇等しく兵の利鈍均しければなり。もし主弱く客強ければ、
 曹操の倍兵下ヒを囲み呂布を生きて擒える所以なり。
杜牧:囲むとは、四面塁を合わせ、敵をして逃げ逸するを得ざらしむるを謂う。凡そ四合を囲むは、必ず須らく敵城をやや
 遠くに去るべく、地を占めることすでに広く、守備須らく厳にする。もし兵多くに非ざれば、即ち欠漏あり。故に兵を用いること
 十倍あるなり。呂布の敗れるはこれ上下相疑い、侯成陳宮に呂布を委ねて降らしめ、以ってよく擒らえるところとなる。
 曹操の兵力に非ずしてよくこれを取るなり。もし上下相疑い、政令一ならざれば、設けて囲まざらしむるといえども、自ら潰叛す。
 何をか況やこれを囲む、固より須らく破滅すべきなり。孫子の十なれば即ちこれを囲むと言う所のものは、これ将の勇智等しく
 兵の利鈍均しければなり。敵人自ら離叛するあるを言わざるなり。曹操が倍兵で呂布を降したと称するは、蓋しこれを囲みて
 力窮むるに非ざるなり。これ以って訓にすべからざるなり。
李筌:愚智勇怯等しければ、敵に十倍ならば即ちこれを囲み、攻守殊の勢いなり。
杜佑:十を以って一に敵すれば即ちこれを囲むは、これ将の智勇等しく兵の利鈍均しければなり。もし主弱く客強ければ、
 十を用いず。曹操の倍兵下ヒを囲み、呂布を生きて擒える所以なり。もし敵塁固守し、険阻に依附し、彼一で我十ならば、
 乃ち以ってこれを囲む。敵盛んといえども、據する所不便なれば、未だ必ずしも十倍ならずして、然る後これを囲む。
梅堯臣:彼一で我十ならば、以って囲むべし。
何氏:囲むとは、四面兵を合わせ以って城を囲むなり。彼我の兵勢を校量するに、将才の愚智勇怯等しく、而して我十倍
 敵人に勝れば、これ十を以って一に対し、以って之を囲むべく、越え逸せしめるなからん。
張預:我の衆敵に十倍ならば、即ち四面囲み合し以って之を取る、これ将の智勇等しく兵の利鈍均しくなればなり。
 もし主弱く客強ければ、必ずしも十倍ならずして、然る後これを囲む。尉繚子曰く、「守るの法は、一にして十に当り、
 十にして百に当り、百にして千に当り、千にして万に当る」と。守者十人にして、囲む者百人に当ると言うは、この法と同じなり。


142 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 22:21:46 ID:???
五ならば即ち之を攻め

曹操:五を以って一に敵すれば、即ち三術は正と為し、二(一)術は奇と為す。
李筌:五ならば即ち之を攻む、攻守の勢い殊なればなり。
杜牧:術とは猶道のごときなり。五を以って一に敵すると言うは、即ち当に己を取りて三分し三道を為し、以って敵の一面を攻め、
 己にこの二を留め、その無備の処を候ち、奇に出でて之に乗ず。西魏末、梁州の刺史宇文仲和は州を據して代を受けず、
 魏将独狐信兵を率いて之を討つに、仲和は嬰城に固守す。独狐信は諸将をして衝梯を以ってその東北を攻めさしめ、信は親しく
 将士を帥いてその西南を襲い、遂に之に克つ。
陳r:兵の敵に五倍と説くは、自ら是我に余力有り、彼の勢分かれるなり。豈分かれて三道を為して以って敵を攻めるに止めんや?
 これ独り攻城を説く。故に下文に云う、小敵の堅なるは大敵の擒なりと。
杜佑:もし敵兵を併せ自ら守り、我と戦わず、彼一にして我五なれば、乃ち攻め戦うべきなり。或いは敵人内外の応無ければ、
 未だ必ずしも五倍ならずして然る後に攻む。
梅堯臣:杜佑の註に同じ。
王ル:十は囲み五は取ると謂うは、即ち攻者皆勢力余りありて、その虚懈を待たざるなり。これ以下また智勇利鈍等しきを謂うのみ。
何氏:愚智勇怯(恃)等しく、我を量るに五倍敵人より多ければ、三分を以って城を攻め、二分は奇に出でて以って勝ちを取るべし。
張預:吾の衆敵に五倍すれば、即ち当に前を驚かし後ろを掩い、東を衝き西を撃つ。五倍の衆無ければ、即ちこの計を為すあたわず。
 曹操は三術を正と為し二術を奇と為すと謂うが、そのしからざらんや?もし敵に外援なく、我に内応有れば、即ち須らく五倍なる
 べからざるも然る後に之を攻める。

143 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 22:23:45 ID:???
倍ならば即ち之を分かち

曹操:二を以って一に敵すれば、即ち一術は正と為し、一術は奇と為す。
李筌:それ兵は敵に倍すれば、即ち分かちて半ばを奇と為す。我衆にして敵寡なれば、動くに制すること難し。符堅は「三肥」水に至り、
 分かたずして敗る。王僧弁は張公洲に至り、分かちて勝つなり。
杜牧:この言非なり。これは二を以って一に敵すれば即ち当に己の一を取り、或いは敵の要害に趣き、或いは敵の必ず救うところを攻め、
 敵をして一分の中に復た須らく分かち減らし相救うべからしめ、因りて一分を以って之を撃つ。それ戦法は衆寡を論ずるに非ず、
 毎陣皆奇正有り、人の衆を待ちて、然る後によく奇を設けるにあらざるなり。項羽は烏江の二十八騎において、尚之を聚めず、
 猶奇正を設け、循環し相救う、況やその他においておや。
陳r:直ちに我敵に倍すれば、兵を分かちてその必ず救う所に趨り、即ち我倍中更に倍し、以って敵の中分を撃つを言う。
 杜牧は之を得るといえども、未だその説を尽くさざるなり。
杜佑:己二に敵一ならば、即ち一術は正と為し、一術は奇と為す。彼一で我二ならば、変を為すに足らず、故に偽兵にてその軍を
 分離するなり。故に太公曰く、「分移あたわざれば、以って奇を語るべからず」と。
梅堯臣:彼一にして我二なれば、その勢を分かつべし。
王ル:分かつと謂うは、分かちて二軍と為し、その腹背に敵を受けさしめれば、即ち我一倍の利を得るなり。
何氏:兵敵に倍すれば、即ち半ばを分かちて奇と為す。我衆にして彼寡なれば、兵を分けるべくに足る。主客力均しければ、
 善く戦う者が勝つなり。
張預:我の衆敵に一倍ならば、即ち当に分かちて二部と為し、一は以ってその前に当り、一は以ってその後ろを衝き、
 彼前に応ずれば即ち之の後ろを撃ち、後ろに応ずれば即ち之の前を撃つ。これ所謂一術を正と為し、一術を奇と為すなり。
 杜牧は兵に曉らかならず分ければ即ち奇と為し、聚まれば即ち正と為し、遽に曹操を非とす、何たる誤りか。

144 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 22:25:07 ID:???
敵すれば即ち能く之と戦い

曹操:己と敵人衆等しければ、善き者は猶伏奇を設け以って之に勝つ。
李筌:主客の力敵すれば、惟だ善き者のみ戦う。
杜牧:この説非なり。凡そ己と敵人兵衆の多少、智勇利鈍一旦相敵すれば、即ち以って戦うべき。それ伏兵の設け、或いは敵前に在り、
 或いは敵後に在り、或いは深林叢薄に因り、或いは暮夜昏晦に因り、或いは隘阨山阪に因り、敵の不備を撃つを、自ずから名づけて
 伏兵とす、奇兵に非ざるなり。
陳r:己と敵人の衆寡を料り相等しければ、先ず奇兵の勝つべきの計を為し、即ち之と戦う。故に下文に云う、若かざれば即ち能く之を避く、と。
 杜牧の奇伏を説くは、之を得るなり。
梅堯臣:勢力均しければ即ち戦う。
王ル:能くとは能く士卒の心を感じ、その死を得て戦うを謂うのみ。奇伏を設け以って勝ちを取るがごときは、これ智の優れるを謂い、
 兵敵するに在らざるなり。
何氏:敵するとは、敵と等しきを言い、唯だ能者のみ以って戦い勝つべきのみ。
張預:彼我相敵すれば、即ち正を以って奇と為し、奇を以って正と為し、変化紛紜とし、敵をして測ることなからしめ、以って之と戦う、
 これ所謂奇伏を設け以って之に勝つなり。杜牧は兵に曉らかならず凡そ陣を置けば皆奇を揚げ伏を備うるに、伏兵は当に山林に
 在るという、非なり。

145 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 22:26:37 ID:???
少なければ即ち能く之を逃れ

曹操:壁を高くし塁を堅くし、ともに戦うことなかるべし
李筌:力を量りしからざれば、即ち壁を堅くして出でずその鋒を挫き、その気の懈たるを待つ。斉将田単即墨を守るに、牛の尾を焼きて
 即ち騎劫を殺すは、即ちその義なり。
杜牧:兵敵せざれば、且つその鋒を避け、当に(尚)隙を俟ち、便に決を奮いて勝ちを求む。能くと謂うは、能く忿りを忍び恥を受け、
 敵人求め挑むも出でざるなり。曹咎のシ水の戦いに似ざるなり。
陳r:この説非なり。ただ敵人の兵我に倍すれば、即ち宜しく之を避け、以ってその志を驕らせ、後図の為に用いるは、忿りを忍び
 恥を受けるに非ざるなり。太宗の宋老生を辱めて以ってその衆を虜にするは、豈これ兵力等しからざるや?
賈林:彼衆にして我寡なければ、逃げて兵形を匿し、敵に知らしめず、当に奇伏を設け以ってこれを待ち、詐を設けてこれを疑わしめる、
 亦勝ちを取るの道なり。亦一に云う、逃げて兵形を匿し、敵に備えるところを知らざらしめ、その変詐を懼れさせ、全軍亦逃げる。
杜佑:壁塁を高くし(又は壁を高くし塁を堅くし)、ともに戦うことなきなり。彼の衆、我の寡、敵せざるべからざれば、即ち当に自ら逃げ
 守りその形を匿す。
梅堯臣:彼衆にして我寡なれば、去りて戦うことなかれ。
王ル:逃げるとは、伏するなり。能く固に倚り逃げ伏せ以って自ら守るなり。左伝に曰く「師夫人の宮に逃ぐ」と。或いは曰く、
 兵少にして以って勝つ有るものは、蓋し将優れ兵強きのみ、と。
何氏:兵少なれば壁を固くし、変を観て形を潜め、可なるを見て即ち進む。
張預:彼衆にして我寡なれば、宜しく逃げ之を去りてともに戦うことなからんとは、これ亦将の智勇等しく兵の利鈍均しき為なり。
 若し我治まり彼乱れ、我奮いて彼怠れば、即ち敵衆といえども、亦以って合戦すべし。呉起の五百乗を以って秦の五十万の衆を破り、
 謝玄の八千の卒を以って符堅の一百万を破るがごとければ、豈須らくこれを逃げるべけんや?

146 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 22:27:36 ID:???
若かざれば即ち能く之を避く。

曹操:兵を引きて之を避けるなり。
杜牧:若かざると言うは、勢力交援倶に如かず、即ち須らく速やかに之を去り、遷延するべからざるなり。敵人我が要害を守り、
 我が津梁を発し、合わせて我を囲めば、即ち去らんと欲するも復た得ざるなり。
杜佑:兵を引きて之に備うるも、強弱敵せず、勢い相若からざれば、即ち軍を引きて避け、利を待ちて動く。
梅堯臣:勢力如からざれば、即ち引きて避ける。
王ル:将と兵倶に若からざれば、敵攻に遇えば必ず敗れるなり。
張預:兵力謀勇皆敵に劣れば、即ち当に引きて之を避け、以ってその隙を伺う。

147 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 22:29:01 ID:???
故に小敵の堅なるは、大敵の擒なり。

曹操:小なれば大に当るあたわず。
李筌:小敵の力を量らずして堅く戦うは、必ず大敵の擒とするところになる。漢の都尉李陵は歩卒五千の衆を以って十万の軍に対し、
 匈奴に歿するを見る。
杜牧:堅と言うは、将の性堅忍にして、能く逃れず、能く避けず、故に大者の擒とするところになる。
孟氏:小なれば大に当るあたわざるなり。小国のその力を量らずして、敢えて大邦と仇を為し、時を権し城を堅くし固守するといえども、
 然る後に必ず擒獲されるを見る。春秋伝に曰く、「すでに強くなるあたわず、また弱くなるあたわず、以って敗るるところとなる」と。
梅堯臣:逃げず避けざれば、堅なりといえども亦擒らわる。
王ル:梅堯臣に同じ。
何氏:右将軍蘇建、前将軍趙信の将兵三千余人、大将軍衛青と分行し、独り単于の兵数万と逢う。力戦一日、漢兵且つ尽く。前将軍趙信は
 胡人にして、降りて翕侯となりしを、匈奴之を誘い、遂に将とその余騎八百余あるべきは、奔りて単于に降る。右将軍蘇建遂にその軍を尽く亡ぼし、
 独り身をもって亡ぶを得自ら帰る。大将軍その正コウ、長史安、議郎周覇等に、蘇建をいかにするか問う。覇曰く「大将軍出でてより、未だかつて
 一裨将も斬らず。今蘇建軍を棄てる、斬りて以って威重を明らかにすべし」と。コウ、安曰く「然らず。兵法に小敵の堅なるは大敵の擒なりと。
 今蘇建数千を以って単于の数万に当り、力戦一日余り、師尽く敢えて二心を有さず、自ら帰るに之を斬れば、これ後人に示すに帰意無きなり」と。
張預:小敵強弱を度らず堅戦すれば、必ず大敵の擒とするところとなる。息侯の鄭伯に屈し、李陵の匈奴に降るは是なり。孟子曰く、小固より以って
 大に敵すべからず、弱固より以って強に敵すべからず、寡固より衆に敵すべからず」と。

148 :名無し三等兵:2009/01/18(日) 23:11:39 ID:???
独演会になっていて、むしろお客さんが逃げていないか


149 :名無し整備兵:2009/01/18(日) 23:44:04 ID:???
>>148

 まだ謀攻篇の途中なので、今盛り上がってもらってもかえって困ります。
 とはいえ、取っ付きを良くするために、曹操以下の解説文に関しては読み下しでは無く
口語体にしましょうか。その方が投下速度も上がりそうだし。

150 :名無し三等兵:2009/01/24(土) 23:57:00 ID:mfC8koJq
必ず全きを以って天下に争う
読み仮名教えて。

151 :名無し三等兵:2009/01/25(日) 01:21:55 ID:???
>>149
口語体でお願いします

152 :名無し三等兵:2009/01/25(日) 18:54:51 ID:???
文語体でいいよ。頭は使わないと。

>>150
かならずまったきをもっててんかにあらそう。

153 :名無し整備兵:2009/01/25(日) 22:26:06 ID:???
それ将は国の輔なり。輔周なれば即ち国必ず強し。

曹操:将が周密であれば、謀が漏れる事は無い。
李筌:輔とは、助けである。将の才能が十分であれば、即ち兵必ず強し。
杜牧:才能が高い。
賈林:国の強弱は、必ず将にかかっている。将が君主の助けであり才能が高ければ、その国は強い。君主の助けとならず、
 内に二心を持っていれば、即ち弱い。人を選んでその任を授けるということは、決して疎かにしてはいけない。
何氏:周とは、才智が備わっていることである。才智を偏りなく備えた将を得れば、国即ち安らかにして強し。

輔隙あれば即ち国必ず弱し。

曹操:(将の才能の有無は)形が外に現れる。
李筌:隙とは、欠陥である。将の才が不十分なら、兵必ず弱し。
杜牧:才能が不十分である。
梅堯臣:賢を得れば即ち周密な備えができ、士を失えば即ち欠陥ができる。
王ル:周とは、将が賢いこと、即ち忠実さと才能を兼ね備えていることをいう。隙とは、欠陥があることである。
何氏:その才能は高くなければならず、事に用いるには知識が十分になければならない事を言う。故に将は軍にあっては、
 必ず先ず五事、六行、五権の用を知り、九変、四機の説を備え、然る後に内には士衆を御し、外には戦形を整えることができる。
 いやしくもこれに通じていないのであれば、一日といえども三軍の上にいるべきではない。
張預:将の謀が周密であれば、即ち敵は隙を窺うことができず、故にその国は強い。わずかな隙でもあれば混乱に乗じて侵入でき、
 故にその国は弱い。太公曰く「士を得る者は昌(さか)え、士を失う者は亡ぶ」と。

154 :名無し整備兵:2009/01/25(日) 22:27:43 ID:???
故に君の軍に患う所以のもの三あり。

梅堯臣:君主がこれらを知らないことを患う。
孟氏:この下に説明がある。
張預:下の三事のことである。

軍の進むべからざるを知らずして、之に進めと謂い、軍の退くべからざるを知らずして、之に退けという、之を縻軍と謂う。

曹操:縻とは、御することである。
李筌:縻とは、絆である。進退を知らざれば、軍必ず敗れる。馬の足を縛るようなもので、駆けることができない。楚の将龍且が
 韓信を追って敗れたのは、進むときを知らなかったからだ。秦の将苻融が軍を少し退却させたために敗れたのは、退くときを
 知らなかったからだ。
杜牧:縻とは、不自由にすることである。君とは国の君主である。軍に患うとは、軍にとっての患害となることである。それ斧鉞を
 授かって軍の陣容を整えた以上、戦争のことは将軍がこれを判断する。趙充国が屯田を欲したのに、漢の宣帝が必ず
 決戦するよう命じたり、孫皓が滅ぶに臨んで、賈充が出陣を請うたようなことは、(君主が)進退を知らないということである。
賈林:軍の進退は、将が臨時に判断すべきことであり、君命により制御するのは患いになる。故に太公曰く、「国は外より治めるべからず、
 軍は中より御するべからず」と。
杜佑:縻とは、御することであり、靡とは逆の意味である。君主が軍の形勢を知らず、しかし国内から制御せんと欲することである。
梅堯臣:君主が進退の宜しきを知らずして、進退を専断するのは、軍を縛り付けるようなもので、六韜の所謂「軍は中より御するべからず」
 にあたる。
王ル:縻とは、繋ぐことである。この患いを去るには、国内からは制御しない大権を委託することになるので、必ず忠義と才能を兼備した
 臣下を将にしなければならない。
張預:軍が進むべきではないのに進めさせ、軍が退くべきではないのに退かせる、これは軍を縛ることである。故に曰く、進退を内御に由れば、
 即ち功成り難し、と。

155 :名無し整備兵:2009/01/25(日) 22:30:32 ID:???
三軍のことを知らずして、三軍の政を同じくすれば、即ち軍士惑う。

曹操:軍の統率は国政に応用すべきではなく、国政は軍の統率に応用すべきではない。礼によっては兵を治めることはできない。
李筌:将を任ずるのにその人を以ってしない。燕の将慕容評が出陣すると、軍の所在するところで山泉に因り薪や水を売り、
 民間から金を集め、そのため三軍の帥は、軍の指揮は本来どうするべきか知らなくなった。
杜牧:礼度法令というが、(軍が)従事すべき軍法がある。通常の国内法を適用しては、軍士に惑いが生ずる。周亜夫が天子を見ても
 拝さなかったため、漢の文帝がその勇敢さを知り、魏尚が雲中を守り首級を上げるも弾劾されたとき、馮唐が発奮したようなところにいたる。
杜佑:それ国を治めるのは礼儀によるが、兵は権詐を貴ぶ。形勢は各々異なり、教化は同じではない。君主がその変を知らず、
 軍と国内の政治を同一視して、一般国民を統治するようにしては、即ち軍士疑惑し、措くところを知らず。故に兵経に曰く、
 「国に在りては信を以ってし、軍に在りては詐を以ってする」と。
陳r:三軍の事を知らずと言うのは、軍勢が違い連絡がうまくいっていないことを言う。左伝には、晋のテイ季が軍師の謀に従わず、
 一部の軍勢で先に進み、ついに楚軍の敗るところとなると記されている。
梅堯臣:軍務を知らないのに、そのやり方に手を出せば、即ち軍隊は惑い乱れる。曹操が司馬法を引用し、「軍容は国に入らず、
 国容は軍に入らず」というのは、この事である。
何氏:軍と国とは治め方が異なる。国内を治める方法で軍を統制しようとすれば、即ち軍隊は惑い乱れる。
張預:仁義は国を治めることができるが、軍を治めることはできない。権変は軍を治めることができるが、国を治めることはできない。
 理の当然である。カク公は慈愛を修めず、晋の滅ぼすところとなる。晋侯は四徳を守らず、秦の克するところとなる。
 仁義を以って国を治めなかったからだ。斉侯は君子を射たず、晋に敗北した。宋公は二毛を擒えず、楚に滅ぼされた。
 権変を以って軍を治めなかったからだ。故に仁義に当るところに権詐を用いれば国必ず危うし。晋やカクはこれだ。
 変詐に当るところに礼儀を用いれば兵必ず敗れる。斉や宋はこれだ。治国の道では、固より軍を治めることはできない。

156 :名無し整備兵:2009/01/25(日) 22:30:57 ID:???
三軍の権を知らずして、三軍の任を同じくすれば、即ち軍士疑う。

曹操:その人意を得ないからである。
杜牧:将に権智なく、軍士の能力を判断してその得意とするところに任ずることができず、人任せでこれを配置し、
 その才能を活かすことができなければ、即ち三軍に疑いが生ずる。黄石公曰く、「善く人を任ずるものは、智を使い、
 勇を使い、貪を使い、愚を使う。智者はその功を立てるを楽しみ、勇者はその志を行うを好み、貪者はその利に趨るを邀え、
 愚者はその死を顧みず。」と。
陳r:将が軍に在り、権は専制できず、任は不自由であれば、三軍の士自然に疑う。
杜佑:その人を得ざるなり。君主が将を任ずるには、当に精選しなければならない。将がもし権変を知らなければ、
 有利な態勢をとることができない。いやしくも有能でない人を任じてしまっては、失敗ばかりで、軍は敗北してしまう。
 趙が広武君を用いず成安君を用いたようなものだ。
梅堯臣:権謀の道を知らず、しかもそんな人材を登用してしまっては、軍衆はこれを疑う。
王ル:政といい、権といい、知らないものがこれらに口を出せば、行動に一貫性がなくなり、必ず互いに牽制しあうようになる。
 こうなると軍衆はこれを疑いだす。裴度が自ら監軍になると奏上して蔡州を平定したのはこのためである。
 上記は全て君主が賢将に専任することができず、これに口を出すことである。故にこれらを三患と謂う。
何氏:用兵権謀を知らない人が、これを用いて将になれば、軍は治まらず士は惑う。
張預:軍吏の中で兵家権謀を知らない人が、将帥の任と同居することになれば、政令は一にならず、軍は疑う。
 ヒツの戦いにおいて、中軍の帥荀林父は退却しようとしたが、裨将先穀は従わず、楚に負けてしまったようなことだ。
 近世中官をもって監軍とするが、その患いはまさにこれである。高崇文が蜀を伐ったとき、この制度をやめ、
 遂に成功している。

157 :名無し整備兵:2009/01/25(日) 22:32:09 ID:???
三軍既に惑い且つ疑えば、即ち諸侯の難至る、これを軍を乱して勝を引くと謂う。

曹操:引くとは、奪うことである。
李筌:引くとは、奪うことである。兵は権道であり、使いどころを間違えてはいけない。趙の上卿藺相如が言う如く、
 「趙括はいたずらに能くその父の書を読むも、未だ変を合わせるを知らず。王今名を以って括を使うは、
 柱を膠して瑟を鼓するが如し。これ即ち三軍の権如かずして、三軍の任を同じくするなり」と。趙王は従わず、
 果たして長平の敗北を招き、諸侯の難至った。
杜牧:我が軍疑い惑えば、自ら擾乱を致し、敵人を引きこんで我に対し勝たせるようなことになる。
孟氏:三軍の衆が、その任ずるところを疑い、その為すところに惑えば、即ち隣国の諸侯がその混乱に乗じ、
 口実を作って出兵してくる。太公曰く、「志を疑えば以って敵に応ずるべからず」と。
梅堯臣:君主がいたずらにその将を制御することを知り、その人材を用いることができず、その軍政・軍令に
 口を出すようであれば、部下は疑惑し、故に諸侯が攻撃してくる。これは自ら自軍を乱し、自ら勝ちを去るようなものだ。
王ル:諸侯を引き込んで、我に対して勝たせる。
何氏:士が疑惑すれば脅威がなくても混乱し、敵国は我の隙に乗じて攻め込んでくる。
張預:軍士が疑惑すれば、命令を出しても聞かず、諸侯の兵が隙に乗じて攻め込んでくる。これは自ら自軍を潰し、
 自ら勝利の機会を奪い取るようなものだ。

158 :名無し整備兵:2009/02/10(火) 20:54:14 ID:???
故に勝ちを知る者に五あり。

李筌:下の五事を謂う。
張預:下の五事である。

以って戦うべきと以って戦うべからざるを知るものは勝つ。

李筌:人事の逆順を料り、然る後に太乙遁甲をもって三門を算し奇五将と遇い関格無く、主客の計に迫り脅すものは、必ず勝つ。
杜牧:下の文で所謂「彼を知り己を知るもの」である。
孟氏:敵情を料り知ることができ、その虚実を審らかにできるものは勝つ。
梅堯臣:できるかできないかを知ることが良い。
王ル:可能なら進み、不可なれば止まるのは、勝ちを保つ道である。
何氏:己と敵とを審らかにする。
張預:戦えるなら進攻し、戦えないなら退き守る。攻守の宜しきを審らかにできれば、勝たざるは無い。

159 :名無し整備兵:2009/02/10(火) 20:55:52 ID:???
衆寡の用を識る者は勝つ。

李筌:力を量る。
杜牧:先ず敵の衆寡を知り、然る後に兵を起しこれに応じる。王センが荊(楚)を伐つときに、「六十万にあらざれば不可」といったようなものだ。
杜佑:兵の形を言うとき、衆有るも寡を撃てない時や、或いは弱を以って強を制する時など、能く変を知るものは勝つ。故に春秋伝に曰く、
「師の克つは和に在りて衆に在らず」というのは、これである。
梅堯臣:力を量って動く。
王ル:我と敵兵の衆寡により、囲攻分戦するをいう。
張預:用兵の法は、少を以って衆に勝つあり、多を以って寡に勝つあり、その所用を度り、その宜しきを失わざるを善しとする。呉子の所謂
衆を用いるは務め易く、少を用いるは務め隘しとはこれである。

上下欲を同じくするものは勝つ。

曹操:君臣欲を同じくする。
李筌:士卒の心を観、上下欲を同じくし、私仇を報ずるがごときは勝つ。
陳r:上下その利欲を共同するをいい、即ち三軍に怨みなければ、敵に勝つべきなり。左伝に曰く、「欲を以って人に従えば、即ち人を以って
欲に従うべく、済むこと鮮なきなり」と。
杜佑:君臣和同し、勇にして戦う者は勝つを言う。故に孟子曰く、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と。
梅堯臣:心を斉一にする。
王ル:上下一心。先コクが剛愎なために敗北し、呂布が部下と意見を異にして亡びたようなことは、皆上下欲するところが同じでなかったためだ。
何氏:書経に曰く、「受(紂王)は億兆の夷人有るも、心を離れ徳を離れる。予に乱臣十人有るも、心同じくし徳を同じくする。商亡び周興る」と。
張預:百将一心、三軍力を同じくし、人々戦いを欲すれば、即ち向かうところ阻むものは無い。


160 :名無し整備兵:2009/02/10(火) 22:00:22 ID:???
虞れをもって虞れざるものを待つものは勝つ。

李筌、杜牧:備えがあることを言う。
孟氏:虞とは、度ることである。左伝に曰く、「備えず虞れざれば、以って師するべからず」と。敵の勝つべきを待つなり。
陳r:先ず勝つべからざるの師を為して、敵の勝つべきを待つなるを謂う。
杜佑:虞とは、度ることである。我の戦闘を予測している軍をもって、敵の戦闘を予測していない兵を撃つ事である。
梅堯臣:備えを非常に慎重にする。
王ル:我は戦闘を予測し、敵の不測を撃つ。

161 :名無し整備兵:2009/02/10(火) 22:01:55 ID:???
何氏:春秋時代、城濮の(戦いの)後、晋は楚に備えず、ヒツの戦いで負けることになった。ヒツの戦いの後、楚は晋に備えず、エンの戦いで
負けることとなった。エンの戦いの後、晋は備えを疎かにせず、更に礼を加え、外交を重んじたので、楚は晋を攻めることができなくなった。
また周末に荊人が陳を伐つに、呉がこれを救う。軍行三十里、雨十昼夜、星を見ず。左史倚相は大将の子期に謂いて曰く、「雨十昼夜、
兵隊は集まっている。呉人は必ず到着しているだろう。これに備えるに如かず。」と。乃ち陣を為す。呉人は到着したが、荊が備えているのを
見て退却した。左史曰く、「その反覆六十里、その君子は休み、小人は食を為す。我三十里を行き、これを撃たば必ず克つ」と。これに従い、
遂に呉軍を破る。魏の大将軍呉に南征し、積湖にいたる。魏の将満寵諸軍を率いて前にあり、敵と河を挟んで相対した。満寵は諸将に命令して、
「今夜は風甚だ強く、敵は必ず来て火計をするだろう。宜しくこれに備えよ」とした。諸軍は皆警戒した。夜半に敵は果たして十部を派遣し
軍営を焼こうとしたが、満寵はこれを撃破した。また春秋に衛人燕の軍を以って鄭を伐ち、鄭の祭足、原繁、洩駕三軍をもってその前に軍し、
曼伯と子元を(制の軍を率いさせて)その後ろに潜ませた。燕軍は鄭の三軍を恐れたが、制の軍のことを考えなかった。六月、鄭の二公子
(曼伯と子元)は制軍をもって北制に燕軍を破った。君子曰く、備えず慮らざれば、以って師するべからず、と。又楚の子重が陳よりキョを攻め、
渠丘を囲む。渠丘の城は弱く、戦い敗れてキョに逃げ込み、楚は渠丘を手に入れた。一方、キョの軍は楚の公子平を捕らえた。公子は「殺すな、
捕虜になるから」といったが、キョ軍はこれを殺した。楚軍はキョを囲んだが、キョ城もまた弱く、庚申の年にはキョは潰え、楚はついに鄲に入城した。
キョに備えなきがためだった。君子曰く、「陋を恃み備えざるは、罪の大きいものなり。予め不虞に備えるは、善の大なるものなり。
キョはその陋を恃み城郭を修めず、キョウ辰の間にあり、しかも楚はその三都に克つ。備え無きとは!
張預:常に不敗を為して敵を待つ。故に呉起曰く、「門を出ずるに敵を見るが如し」と。士季曰く、「備えあれば敗れず」と。

162 :名無し整備兵:2009/02/10(火) 22:03:38 ID:???
将能にして君の御せざるものは勝つ。

曹操:司馬法曰く、「進退ただ時あり、寡人を曰うなし」と。
李筌:将が外にあり、君命の受けざるところを受けないのであれば勝つ。これこそ真の将軍である。呉が楚を伐ったとき、呉の公子光の
弟夫キ王至り、楚の子常を撃つことを請うたが、許さなかった。夫キ曰く、「所謂義を見て行なうは、命を待たざるなり。今日我死すとも、
楚に入るべきなり」と。その部下五千人を以って、先ず子常を撃ち、これを破った。これを審らかにすれば、即ち将能にして君御する
能わざるなり。晋の宣帝が諸葛亮を五丈原に拒んだとき、辛ピに軍門に触れ回らせて曰く「敢えて戦うと言うものは斬る」と。孔明は
笑って曰く、「我を制することができるなら、遠くから戦いに来ることはない。天子から許さずといわれたからといって、それを触れ回るのは、
無能な証拠だ」と。
杜牧:尉繚子曰く、「それ将は、上は天に制せられず、下は地に制せられず、中は人に制せられず。故に兵は凶器なり。将は死官なり」と。
杜佑:将すでに能力があり、兵を鍛えているなら、君主はこれに委任して、国内から制御する必要はない。故に王子曰く、「指授は君にあり、
決戦は将にあり」と。
梅堯臣:国境から外に出れば、将軍がこれを制する。
王ル:君が能将を御すとは、疑忌を絶つことができないだけである。若し賢明の主が、必ず能く人を知れば、責任を委任して効果を挙げ、
賞罰を任せる、これはそういうことである。戦争についてもこれを専らにし、中途で制御することなくすれば、権威は統一され、その才を
尽くさせることができる。いわんや敵に臨んで機に乗ずるとき、間一髪ほどにも余裕が無いというのに、どうして遠くからの制御を受けることが
できるだろうか?

163 :名無し整備兵:2009/02/10(火) 22:04:50 ID:???
何氏:昔は将軍を派遣するときは太廟において、君主自ら鉞を操り、その首を持ち、その柄を授けて曰く、「これより天に至るまで、
将軍これを制せよ」と。乃ちまた柄を操り、刃を授けて曰く「これより淵に至るまで、将軍これを制せよ」と。故に李牧が趙の将となって
辺境にいたとき、軍市の税を全て兵士のために使い、賞賜を自分で決めても、国内からは制御されなかった。周亜夫の軍が細柳に
あったときも、軍中には将軍の命のみを聞き、天子の詔を聞かなかった。蓋し用兵の法は、一歩百変し、可なりと見れば進み、
難きを知れば退く。したがって、王命といっても、大人が消火に当るように、及ばなければ命に反しても、焼かれるに任せるしかない。
監軍があるといっても、道端に家を建てるようなもので、謀は従うことなく、完成する事は無い。故に能将を御して上手くやろうとするものは、
韓盧を繋いで狡兎を獲るようなもので、また何か違うところがあるだろうか。
張預:将に智勇の能があれば、委任して成功させるべきで、制御するべきではない。故に曰く、国外のことは、将軍これを裁く、と。

この五者は、勝を知るの道なり。

曹操:以上の五事である。

164 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 10:41:53 ID:???
故に曰く、彼を知り己を知るものは、百戦して殆うからず

李筌:力を量って敵を拒めば、何の危殆かこれあらん。
杜牧:我の政治と敵の政治を比較し、我の将軍と敵の将軍を比較し、我の兵士と敵の兵士を比較し、我の食と敵の食を比較し、
我の地域と敵の地域を比較する。比較ができれば、優劣短長は皆事前に判断でき、その後で兵を動かすので、故に百戦して
百勝できる。
孟氏:彼我の強弱利害の勢を審らかに知ることができれば、百戦しても実に危殆なし。
梅堯臣:彼我の五者を尽く知ることができれば、無敗である。
王ル:殆とは、危ういことである。彼我の実情を尽く比較し、勝てると知った後に戦うため、百戦しても危ういことが無い。
張預:彼を知り己を知るものとは、攻守の謂いである。彼を知るとは攻めて勝てるということであり、我を知るとは守って
勝てることである。攻は守の機会を作り、守は攻の策である。これを良く知っておけば、百戦しても危ういことが無い。
或いは曰く、士会が楚軍に勝てないことを察し、陳平が劉邦と項羽の長短を比較したようなことが、彼を知り己を知ると
いうことである。

165 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 10:43:19 ID:???
彼を知らず己を知れば、一勝一負す

李筌:己の強さをもって、敵の力を量らなければ、勝負は分からない。秦の符堅が百万の兵を率いて南方を攻めたとき、
「彼にも人あり。謝安、桓沖は江表の偉才、軽んずべからず」という人もいたが、符堅曰く「我は八州の衆をもって、士馬百万、
鞭を投ずれば江水を断つべし。何の難きかこれある」と。果たして敗北した。このようなことをいう。
杜牧:我の強さを恃んで、敵の伐つべからざるところを知らなければ、一勝一負する。王猛が死ぬ直前、符堅を諌めて曰く
「晋氏江表にあるといえども、正朔稟ずるところ、謝安、桓沖は江表の偉人、伐つべからざるなり」と。しかし符堅は南征に及んで
曰く「吾士馬百万、鞭を投じて済るべし」と。遂にヒ水の敗北を招く。
陳r:杜牧の注は、名目のない戦争を起こし、しかも敵に落ち度がなかったため、負けた例である。この一勝一負の意味とは違う。
杜佑:敵の形勢を知らなくても、我の勝ち目を良く知っているならば、勝負の確立は半々である。
梅堯臣:己を良く知っていれば、勝負は半々である。
王ル:ただ自分の力を良くわきまえているだけで、敵の強弱を知らないのであれば、或いは勝ち、或いは負ける。
張預:唐太宗曰く、「今の将は未だ能く敵を知らずといえども、いやしくも能く己を知る。即ち安くんぞ不利あらんや?」と。所謂
己を知るものとは、吾が気を守り敵を待つものである。故に守ることは出来るが攻めることが出来ない。勝負の半ばである。

166 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 10:44:32 ID:ljiOhf+u
彼を知らず、己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。

李筌:これを狂寇という。どうして負けないことがあるだろうか。
杜佑:外には敵を料らず、内には己を知らず、戦いを用いれば必ず殆うい。
梅堯臣:一つも知らずして、どうして勝てよう?
王ル:計略のことを何一つ知らない。
張預:攻守の術を皆知らなければ、戦うたびに負ける。

十一家註孫子「謀攻篇」了

167 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 17:18:55 ID:???
十一家註孫子「形篇」

曹操:軍の形なり。我動き彼応じ、両敵相察するは、情なり。
李筌:形は主客、攻守、八陣、五営、陰陽、向背の形を謂うなり。
杜牧:形に因りて情を見る。無形なる者は情密に、有形なるものは情疎なり。密なれば即ち勝ち、疎なれば即ち敗れる。
王ル:形とは、定形なり。両敵の強弱は定形あるを謂うなり。善く兵を用いるものは、能くその形を変化し、敵に因りて勝を制す。
張預:両軍の攻守の形なり。中に隠せば、即ち人得て知るべからず。外に見れば、即ち敵隙に乗じて至る。形は攻守に因り顕る。
 故に謀攻に次ぐ。

168 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 17:20:21 ID:???
孫子曰く、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して

張預:所謂己を知るものである。

以って敵の勝つべきを待つ。

梅堯臣:自らは準備を万全にし、敵の虚を伺う。
張預:所謂彼を知るものである。

勝つべからざるは己に在り、勝つべきは敵に在り。

曹操:自らは準備を整え、敵の虚懈を待つ。
李筌:善く兵を用いるものは、守れば即ち防備を固め、軍食を多く具え、その教練を善くする。その城を攻めるには、即ち撞棚、雲梯、
 土山、地道を備える。陣すれば即ち山川、丘陵にあり、孤を背にし虚に向かい、疑に従い間を撃つ。善く戦う者は掎角の勢をとり、
 首尾相応ずるため、勝つべからざるを為す。善く戦う者は、勝つべからざるを為して、敵が必ず勝てるような状況にさせない。故に曰く、
 勝は知るべくして為すべからず、勝つべからざるは守りなり、勝つべきは攻めるなり。このようなものが勝つべきを為すというのだ。
杜牧:自ら軍事を整え、敵が備えるのに先んじ、我の痕跡を消し形を隠し、敵をして我の状況を量れなくする。そして敵に乗ずるべき隙が
 あるのを伺い、然る後に出でてこれを攻める。
杜佑:まず廟堂で諮り、その危難を慮り、然る後に塁を高くし溝を深くし、兵をして練習せしめ、これをもって守備し、敵の隙を待つ。
 こうすれば勝てる。敵を制するのは外的要因にあるため、故に自ら準備し、敵の虚を待ち、敵に乗ずるべき隙が生じたときにこれを攻め、
 然る後に勝つということを言っているのだ。
王ル:勝つべからざるとは、自軍が原則に従い準備することだ。勝つべきとは、隙があることをいうのみ。
張預:守ることができるのは我が整えるべき条件であり、攻めることができるのは敵があらわにするかもしれない条件である。

169 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 17:23:26 ID:???
故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも

杜牧:勝つべからざるとは、上文の注解でいう軍事を準備し、自分の状況を秘匿することである。これは自分で条件を整えることが
 できるものなので、「能く」という言葉を使っている。
張預:形を隠し跡を晦まし、常に厳戒態勢にいる、即ち己の能力である。

敵をして必ず勝つべからしむる能わず。

杜牧:敵がもし窺うべき形無く、乗ずるべき隙を見せないのであれば、我がいかに勝つための手段を操ろうとも、敵に勝つことが
 できるだろうか?
賈林:敵に智謀あって、我に対して十分に備えているのであれば、我への備えを欠落させることはできない。
杜佑:もし敵が軍事に精通していて、策と道を合わせ、備えを厳重にしているのであれば、これに勝てるとはいえない。
梅堯臣:我による内的要因なら能く為せるが、敵による外的要因なら必ずはできない。
王ル:(勝利の条件は)敵にあって我には無い。
張預:若し敵の強弱の形が外に現れないのであれば、即ち我が必勝とはいえない。

故に曰く、勝は知るべくも

曹操:形勢を知ることはできる。
杜牧:知るとは、己の能力が敵に勝つのに十分だ、と知ることである。
陳r:勝てる状況を作れば、勝を知ることはできる。

170 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 17:25:03 ID:???
為すべからざるなり。

曹操:敵にも備えがある。
杜牧:我が敵に隙を作らせ、我の勝てる条件を作れるとは限らないことを言う。
賈林:敵が若し状況を秘匿して無形であれば、勝負を強いることはできない。
杜佑:敵にも備えがある。すでに敵を見積り敵の状況を知っているならば、勝負の結果は知ることができる。もし敵が状況を秘匿して
 無形であるなら、これを無理に敗ることはできない。故に范蠡曰く「時至らざれば強いて生くべからず、事究めざれば強いて成すべからず」と。
梅堯臣:敵に隙があればそれを知ることはできるが、隙が無いのにそれを作らせることはできない。
何氏:勝てると知るのは我にあり、というのは、我に備えがあるからである。勝つことができるとは限らないというのは、敵が無形の場合である。
張預:己に備えがあれば勝利すると知ることができるが、敵に備えがあるなら勝利を為すことができるとは限らない。

勝つべからざるは、守りなり。

曹操:形を隠すからである。
杜牧:敵に乗ずるべき隙が無く、勝つべき形勢を為していないときに、己は形を隠し、勝つべからざる備えをなして、自ら守ることを言う。
杜佑:形を隠すからである。敵の形勢がまだはっきりしないのに、敵が多く我が少ないのであれば、即ち自ら守る。
梅堯臣:敵の隙を待つからである。
何氏:敵の形勢虚実が明らかでなく、勝てるかどうかはっきりしないのであれば、固守するのがよい。
張預:我が必ず勝てるとはまだはっきりしないのであれば、気を守って時期を待つのがいい。

171 :名無し整備兵:2009/02/11(水) 17:26:53 ID:???
勝つべきは、攻めるなり。

曹操:敵が我を攻めるなら、乃ち勝つべき機会である。
李筌:善く兵を用いるものは、守れば即ち防備を固め、軍食を多く具え、その教練を善くする。その城を攻めるには、即ち撞棚、雲梯、
 土山、地道を備える。陣すれば川沢を左とし、丘陵を右とし、孤を背にし虚に向かい、疑に従い間を撃つ。五令を区分して衆を節用し、
 (掎角の)構えをとって、首尾相応ずれば、勝つべからざるを為す。これができないのであれば、勝つべきを為す。
杜牧:敵人に勝つべきの形あれば、即ち当に出てこれを攻めるべし。
杜佑:敵が己を攻めるのは、乃ち勝つべきなり。その形を見て、敵少なく我が多いのであれば、攻めるべきである。
梅堯臣:その隙を見つけるのである。
王ル:守るは勝つに足らず、攻めるは勝つに余りあるからである。
張預:敵に勝つべきの理あるならば、即ちその心を攻めてこれを取る。

守れば則ち足らず、攻めれば則ち余り有り。

曹操:吾が守るのは、力が不足しているからである。攻めるのは、力に余裕があるからである。
李筌:力が不足している者は、守ることはできる。力に余裕があるものは、攻めることが出来る。
梅堯臣:守るのは力が不足しているのを知るからであり、攻めるのは力に余裕があるのを知るからである。
張預:吾が守るのは、勝ちを取る道で不足があり、故に機会を待つからである。吾が攻めるのは、敵に勝つことにすでに余裕があり、
 故に出撃するのである。百勝して戦わないというのは、万全で隙がないというわけではない。後人が不足とは弱いことで、
 余り有りは強いというのは、間違いである。

172 :名無し三等兵:2009/02/23(月) 18:49:23 ID:???
保守

173 :名無し三等兵:2009/02/28(土) 14:13:15 ID:???
>>171
>守れば則ち足らず、攻めれば則ち余り有り。
私は、今までこの文のことを攻撃の防御に対する優位性とか経済性の説明と思っていたの
ですが先人の解釈は違っていたようですね。

174 :名無し整備兵:2009/02/28(土) 22:51:57 ID:???
>>173

 桑田悦氏の「攻防の論理」で、そのあたりを論じています。
 ぜひ一読をお勧めします。

175 :名無し三等兵:2009/03/01(日) 15:53:37 ID:???
今更だが武経七書の原文と書き下し文の載ってる所を貼っとく
http://kanbun.info/

兵法とは少し違うが毛沢東の愛読書である資治通鑑(不完全)
http://www.geocities.jp/zizhitongjianjp/
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/
貞観政要はWEBじゃ見付けられなかった

176 :名無し整備兵:2009/03/02(月) 00:57:17 ID:???
善く守るものは、九地の下に蔵れ、善く攻めるものは、九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。

曹操:山川丘陵の固に因る者は、九地の下に蔵れ、天時の変に因る者は、九天の上に動く。
李筌:天一遁甲経曰く、「九天の上には、以って兵を陣ぶるべし。九地の下には、以って蔵し伏すべし」と。常に直符は時干のあるところに加え、
 後ろに一箇所臨宮がある場合を九天と為し、後ろに二箇所臨宮がある場合を九地と為す。地は静かなので隠れるのに有利であり、天は巡るので
 動くのに有利である。曹操は奇門遁甲をよく知らないので、九地を山川と為し、九天を天の時と解釈したのだ。天一太一の遁の微妙な機微を知って
 これを用いるから、全きという。経には三避五魁といわれるが、独りだけこの三避五魁を知ることができれば、天下に横行できる。この法に従えば、
 細々としたことを気にする必要は無い。
杜牧:守るものは、声を殺し姿を消し、鬼神のように形を現さないため、地下にあるように、見ることをできなくする。攻めるものは、勢いが激烈で、
 雷電のように素早いため、天上から来るように、備えることをできなくする。九とは、高さや深さが甚だしいことの例えである。

177 :名無し整備兵:2009/03/02(月) 00:58:31 ID:???
陳r:春三ヶ月は寅の日の功曹を九天の上と為し、申の日の伝送を九地の下と為す。夏三ヶ月は午の日の勝先を九天の上と為し、子の日の神后を九地の下と為す。
 秋三ヶ月は申の日の伝送を九天の上と為し、寅の日の功曹を九地の下と為す。冬三ヶ月は子の日の神后を九天の上と為し、午の日の勝先を九地の下と為す。
杜佑:善く守備するものは、地形を活用して、敵はどこから攻めればいいのか分からなくなるので、九地の下に蔵れると言う。善く攻めるものは、攻撃の時期・場所をよく考慮し、
 敵がどこを守れば分からなくする。その素早い動きを指して九天の上のごとしという。
梅堯臣:九地とは、深くて知ることができないことを指す。九天とは、高くて測ることができないことを指す。守備は隠密であり攻撃は迅速であることを言う。
王ル:守るものは、攻撃に有利な時期・場所を見出せないように自らの状況を秘匿し、敵がうかがい知ることをできなくする。攻めるものは、攻撃に有利な時期・場所を見出せば、
 迅速にその不意に乗じ、敵がどう守ればいいか分からなくする。九とは、極めることの例えである。

178 :名無し整備兵:2009/03/02(月) 01:00:16 ID:???
何氏:九地九天とは、その深さを言う。尉繚子に曰く、「兵を治むる者は、秘すること地の若く、邃(おくぶか)きこと天の若し」と。
 その秘密と奥深さの甚だしいことを言う。後漢時代、涼州の賊王国が陳倉を囲んだ際、左将軍皇甫嵩と督前軍董卓がこれを救う。
 董卓は速やかに陳倉に前進しようとしたが、皇甫嵩はこれを聞かなかった。董卓は「智者は時に遅れず、勇者は決を留めず。
 すぐに陳倉を救えば助かるだろうが、遅れたら落城してしまう。全滅するかしないかは、今ここにかかっているんだ」と主張したが、
 皇甫嵩は「そうではない。百戦百勝は、戦わずして敵の兵を屈するに如かず。まず必勝の態勢を作り、以って敵の隙を待てばいい。
 陳倉の城は小さくても守りは堅い。王国は強いかもしれないが、そう大したことは無い。陳倉が落ちる事はないだろう。わざわざ
 大軍を動かさずとも、敵に勝つことはできる。」と反論した。王国は陳倉を包囲し、冬から春にかけて八十余日続けたが、陳倉の守りは堅く、
 落とせなかった。賊は疲弊し、自然と解散した。
張預:九地の下に蔵れるとは、秘匿して知られることが無いことを言う。九天の上に動くとは、迅速で備えることができないことを言う。
 尉繚子曰く、「秘すること地の若く、邃(おくぶか)きこと天の若し」と。守れば即ち固きとは、自ら保つなり。攻めれば即ち取るとは、
 勝ちを全うするなり。

179 :名無し整備兵:2009/03/02(月) 01:01:50 ID:???
勝ちを見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善なるものにあらざるなり

曹操:見るに当って、未だ明らかではない。
李筌:知るところが衆知に過ぎざるは、善きにあらず。韓信が趙を攻めたとき、食事もせずに井徑に出で、曰く「趙を破ってから食事にする」と。
 部下諸将は唖然としたが、とりあえず「諾」と答えた。そこで背水の陣を敷いたため、趙軍は城壁からこれを見て大いに笑い、漢将は兵法を
 知らないと侮った。しかし韓信は趙を破り、食事をし、成安君を斬った。これが「衆人の知らざるところ」である。
杜牧:衆人の見るところとは、敵軍を破り敵将を殺したために、勝ったと知ることである。我の見るところとは、廟堂の上での廟算で勝負を知ることである。
賈林:守れば必ず固く、攻めれば必ず克つのは、自ら保全して常に失わないからだ。勝敗を知るのは、微妙なところに通じるからで、一般人が
 知るところでは無い。
孟子:未だ明らかでは無いとは、両軍が戦うとき、勝負は分かっているとしても、作戦は特に優れておらず、大まかな状況しかいえないことをいう、
 太公曰く「智衆と同じなれば国師に非ざるなり」と。
梅堯臣:人が見るところを見るは、善にあらず
王ル:普通の人は勝つを知るも、どのようにして勝つかを知らない。
張預:衆人の知るところとは、皆が知っていることである。我の見るところは、未だ形にならず明らかではないところである。

180 :名無し整備兵:2009/03/02(月) 01:03:09 ID:???
戦に勝ちて天下善しというは、善の善なるものにあらざるなり

曹操:鋒を争う。
李筌:鋒を争い戦うのは、天下のたやすく見るところであり、故に善なるところではない。
杜牧:天下とは、前の文での衆と同じである。天下の人が皆戦いに勝つという者とは、軍を破り将を殺すものである。善き者とは、
 陰謀を巡らし、攻めるに必ず謀を伐ち、敵に勝つとしても刃を血ぬらさない者である。
陳r:密かに敵の謀を伐ち、戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
梅堯臣:見るところ衆に過ぎざれば、戦いに勝ち、天下これを称するといえども、猶善とはいわない。
王ル:謀をもって人を屈するのが、善といわれる。
張預:戦って後に勝つのが、衆人は善といい、智名勇功あるが、善にあらざるなり。微かな兆候を見破り、無形に勝ちを取ることが、
 真の善者である。

181 :名無し三等兵:2009/03/10(火) 00:55:14 ID:???
武経七書って守屋氏の以外ありますか?

182 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:11:55 ID:???
故に秋毫を挙ぐるも多力と為さず、日月を見るも明目と為さず、雷霆を聞くも聡耳と為さず

曹操:簡単に見聞できる。
李筌:簡単に見聞できる。このため攻めて戦いに勝っても、天下は善しといわない。智能の将は、人の測り知れないところで、
 深く智謀を巡らすからだ。故に孫武曰く「知り難きこと陰の如し」と。
王ル:誰でも分かることを知るのは智とされず、力戦して人に勝つは善とされない。
何氏:これは、普通の人が見聞できるようなことを知覚するのは、異とされないことをいう。昔烏獲は千鈞の鼎を挙げて力ありと言われ、
 離朱は百歩にして繊芥の物を見て明と言われ、師曠は蚊や蟻の歩く音を聞いて聡と言われた。兵の布陣が済んだのであれば、
 誰にでも形勢を見ることができる。まだ態勢未完の状態で勝つのが、乃ち兵を知ると言える。
張預:誰でも勝てる態勢にすることである。そのため、誰でもできることを例えに出している。秋毫とは兎の毛を謂い、
 秋になれば非常に細いものとなるので、至って軽いものの例えにしている。

183 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:13:14 ID:???
古の所謂善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり

曹操:勝ち易きとは、勝てるところを攻め、勝てないところを攻めないことである。
杜牧:敵人の謀の最初の兆候を見破り、我は隠密に兵を動かしてこれを攻める。力を用いること少なく、
 ちょっとした動きで勝ちを制することができるので、故に勝ち易きという。
梅堯臣:秋毫を挙げる力や、日月を見る明るさや、雷霆を聞く聡さは、普通の人の能力以上のものでは無い。
 故に目立つ戦いで勝つのは難しく、目立たない戦いで勝つのは簡単である。
何氏:敵人の謀の最初の兆候を見破り、我は隠密に兵を動かしてこれを攻める。力を用いること少なく、
 ちょっとした動きで勝ちを制することができるので、故に勝ち易きという。
張預:実際に刃を交わして後に、漸く敵を制するのは、難しい勝ち方である。兆候を掴んで、本格的な戦闘に
 及ぶ前に破れば、易しい勝ち方である。故に善く戦う者は勝ち易きを攻め、勝ち難きを攻めない。

184 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:14:37 ID:???
故に善く戦う者の勝つや、智名無く、勇功なし

曹操:敵の態勢未完のうちに勝つので、赫々たる功績は無い。
李筌:天下の知らないうちに敵に勝つので、何の智名があるだろうか?
杜牧:兆候が明らかにならないうちに敵に勝つので、天下は争いがあったこと自体知らず、故に智名が無い。刃に血ぬらさずして
 敵国が降伏してくるので、故に勇功が無い。
梅堯臣:大智は彰らかならず、大功は揚げられず。微細な兆候を見て簡単に勝つので、智勇は知られない。
何氏:兆候が出ないうちに潰すのだから、誰も智者と思わない。戦わずして服させるのだから、誰も勇者とは思わない。
 漢の張良や唐の裴度はこれに当る。
張預:陰謀や隠密の作戦で、無形に勝ちを取るため、天下は敵と戦って勝ちを制するような智があるとは分からず、旗を奪い将を殺すような勇があるとは分からない。張良に戦闘の功がなかったのと同じことである。

185 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:15:57 ID:???
故にその戦うや勝ちてたがわず(「たがう」は弋の中に心)

李筌:百戦百勝して、疑うようなことは無い。李筌はこの「たがう」という字を、「弐」としている。
陳r:謀は無駄に巡らさず、策は徒に発さず
張預:力戦して勝ちを求めれば、善者といえども負ける時がある。態勢未完のうちに兆候を察して対処すれば、百戦百勝して違うことが無い。

たがわずとは、その措く所必ず勝つ、已に敗れしものに勝てばなり。

曹操:敵の必ず敗れるところを察するので、違うことが無い。
李筌:已に負ける状態の敵に勝つのだから、違うことがあるだろうか?兵が疲れ軍規が乱れているのを、已に敗れると謂う。
杜牧:措くとは、置く事である。たがうとは、違うことである。我が必ず勝てるのは何故かといえば、先ず敵人が已に敗れる態勢なのを見て、
 然る後にこれを攻めるのであり、故に必勝の功を致して違うことが無い。
賈林:措くとは錯であり、錯雑することである。敵に勝つためには、理非一途、故に混乱させてこれを図る。常に態勢未完のうちに勝てるのは、
 已に敵の敗れる兆候を掴んでいるからである。
梅堯臣:敵の敗れるべき弱点を見破るため、勝って違うことが無い。
何氏:善く図ることである。
張預:能く勝ちて違わざるとは、敵人に必ず敗れる弱点があるのを把握し、然る後に兵を用いてそれを追求するのみである。

186 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:17:20 ID:???
故に善く戦う者は、不敗の地に立ちて、敵の敗るるを失わず

李筌:兵は地を得る者は昌え、地を失う者は亡ぶ。地は要害の地なり。秦軍が趙を敗ったとき、先ず北山に拠ったものが勝った。
 宋が燕を攻めたとき、大「山見」を過ぎたものが勝った。皆その地を得たということである。
杜牧:不敗の地とは、敵が勝てなくなる計を為し、敵人が必ず我を敗ることができないようにすることを言う。敵人の敗るるを失わずとは、
 敵人の弱点を窺って、わずかな隙も見逃さないことである。
陳r:李筌の註に同じ
杜佑:杜牧の註に同じ
梅堯臣:敵の隙を窺うのに優れていれば、我は即ち常に勝つ。
王ル:常に勝つべからざるを為し、敵の勝つべきを待ち、その機を失わず。
何氏:自ら備えがあるのを恃んで患い無く、常に敵の隙を窺えば即ちこれに勝ち、失うことが無い。不敗の地の利に立つとは、
 我が常に勝てる態勢にあることを言う。
張預:我が法令を審らかにし、我が賞罰を明らかにし、我が器の用を便じ、我が武勇を養うことが、不敗の地に立つということである。
 我に節制があれば、敵の将は無理な戦いをせざるをえなくなる。これが敵の敗るるを失わず、ということである。

187 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:19:06 ID:???
是が故に勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちを求める

曹操:謀があるのと、無慮との違いである。
李筌:計があるのと無いのとの違いである。薛公が黥布の必敗を知り、田豊が曹操の必勝を知ったのは、こうしたことである。
杜牧:管子曰く「天の時と地の利、その数の多少は、その計数に必ず出だすを要す」と。故に攻撃するためには、計は必ず先ず国内にいるうちに定め、
 然る後に兵が国境を越える。敵の政治状況が明らかでなければ、攻撃してはいけない。敵の経済状況が明らかでなければ、目標を定めてはいけない。
 敵の将について明らかでなければ、軍を出してはいけない。敵の兵について明らかでなければ、陣を布いてはいけない。こうしたことに気をつけるから、
 衆を以って寡を撃ち、理を以って乱を撃ち、富を以って貧を撃ち、能を以って不能を撃ち、訓練した兵を以って訓練できていない兵を撃ち、故に百戦百勝できる。
 これが即ち先ず勝ちてしかる後に戦いを求めるということである。衛公李靖曰く「それ将の上務は、明察と衆和にあり、謀深く慮り遠く、天の時を審らかにし、
 人理を稽えるにある。若し其の能を料らず、権変に達せず、臨機に敵に対するに及んで、方に「走咨」「走且」を始め、左顧右眄、計出ずる所無く、過ちの説を信任し、
 一彼一此、進退狐疑し、部伍狼藉するは、何ぞ蒼生を趣き湯火に赴かせ、牛羊を駆って狼虎に啗わすに異ならんや?」と。これ即ち先ず戦いてしかる後に勝ちを求めるの義である。

188 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:20:59 ID:???
(続き)

賈林:彼我の状況を知らず、兵を展開して軽々しく進むようでは、意は勝ちを求めるといえども、終には自ら敗れる。
梅堯臣:勝てる状態で戦えば、戦って勝てる。勝てるかどうか分からないようでは、勝ちは得られるだろうか?
何氏:凡そ用兵は先ず必勝の計を定め、しかる後に軍を出す。若し先に謀らないのであれば、ただ強さを恃んだとしても、
 必ずしも勝てない。
張預:計謀により先ず勝ち、然る後に師を興す、故に戦って勝てる。尉繚子曰く「兵必ず勝たざれば、以って戦うと言うべからず。
 攻めて必ず抜かざれば、以って攻めるというべからず」と。危ういことを軽挙してはいけないということである。
 また曰く「兵は先ず此に勝ち、即ち彼に勝つを貴ぶ。此に勝たざれば、即ち彼に勝たず」と。これも同じ意味である。
 趙充国が常に先ず計り、然る後に戦ったようなことが、これである。謀らずして進むのは、幸運による成功を欲することであり、
 故に戦えば即ち敗れる。

189 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:22:19 ID:???
善く兵を用いる者は、道を修め法を保ち、故に能く勝敗の政を為す。

曹操:善く兵を用いる者は、先ず自ら不敗の状況を作為し、規律を保って敵が敗乱する隙を見逃さない。
李筌:順を以って逆を討ち、無罪の国を伐たず、軍至りて虜掠無く、樹木を伐たず、井竈を汚さず、過ぎるところの山川、城社、陵祠は、
 必ず滌いでこれを除け、亡国の事を習わず、これを道法と謂う。軍厳粛にして、死あるも犯す無く、賞罰信義立つ。このようにすれば、
 敵の失政に勝つことができる。
杜牧:道とは、仁義である。法とは、法制である。善く兵を用いる者は、先ず仁義を修め、法制を保守し、自ら不敗の政を為し、
 敵の負ける兆候を見逃さず、即ち攻めてこれに勝つ。
賈林:常に用兵の道を修め、賞罰の法度を保つ。このようにすれば常に勝ち、そうでなければ負ける。故に勝敗の政という。
梅堯臣:攻守自ら修め、法令自ら守るのは、一に自分にかかっている。
王ル:法とは、次に述べる五事のことである。
張預:戦いの道を修め、制敵の法を保守し、故に必ず勝てる。或いは曰く、先ず道義を修めて兵士の心を掴み、
 次に法令を保ってその規律の下に戦わせる。兵士をして将を愛するとともに畏れさせ、然る後に能く勝敗をなす。

190 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:23:25 ID:???
兵法は一に曰く度

賈林:度とは、土地である。
王ル:丈尺である。

二に曰く量

賈林:量とは、人力の多少、倉廩の虚実である。
王ル:「豆斗」斛である。

三に曰く数

賈林:算数である。数を以って推測すれば、衆寡は知るべく、虚実も見るべし。
王ル:百千である。

四に曰く称

賈林:既に衆寡を知り、兼ねて彼我の徳業の軽重、才能の長短を知る。
王ル:権衡である。

五に曰く勝

曹操:勝敗の政、用兵の法、当に此の五事を以って称量すれば、敵の情を知る。
張預:此の言は営を安んじ陣を布く法である。李衛公曰く「士を教えるは猶碁を盤に布くがごとし、若し路を画くことなければ、
 碁安くんぞこれを用いん?」と。

191 :名無し整備兵:2009/03/21(土) 23:24:47 ID:???
地は度を生じ

曹操:地の形勢に因りこれを図る。
李筌:すでに情報のあるところを図り、敵を見積もってこれを防ぐ。
杜牧:度とは、計る事である。我が国土の大小、人戸の多少、征賦の入る所、兵車の籍あるところ、山河の険易、道里の迂直を計るを言い、
 自ら此の事と敵人の如何を計って、然る後に兵を起す。それ小なれば大を謀る能わず、弱なれば強を撃つ能わず、近ければ遠くを襲う能わず、
 夷なれば険を攻める能わず。これ皆地に生ず、故に先ず計る。
梅堯臣:地によって以って軍勢を計る。
王ル:地とは、人の履むところである。兵を挙げ攻戦するは、先ず地を本とする、そのため地によって度を生ずる。度とは以って長短を測り、
 遠近を知る。凡そ行軍敵に臨むには、先ず遠近の計を知らなければならない。
何氏:地とは、遠近険易である。度とは、計ることだ。軍が出る前に、先ず敵国の険易、道路の迂直、兵甲いずれが多いか、勇怯いずれが是なるかを計る。
 計って伐つべきと度すれば、然る後に師を興し衆を動かし、以って成功できる。

192 :名無し整備兵:2009/03/22(日) 00:22:06 ID:???
度は量を生じ

杜牧:量とは、量を酌ることである。地を度して詳細を知り、然る後に彼我の強弱を量る。
梅堯臣:地を度するにより以って敵情を量る。
王ル:量に大小あるを謂う。すでに遠近の計を知り、即ち更に敵の大小を量らなければならない事を謂う。
何氏:彼我の形勢を量ることである。

量は数を生じ

曹操:その遠近広狭を知り、その人数を知る。
李筌:敵の遠近強弱を量り、士卒軍資の数を備えれば勝てる。
杜牧:数とは、機数である。強弱はすでに定まり、然る後に能く権謀術数を用いることを言う。
賈林:地の遠近広狭を量れば、即ち敵人の人数の多少を知ることができる。
梅堯臣:量により以って衆寡の数を知ることができる。
王ル:数とは、多少を知ることである。すでに敵の大小を知り、更にその精劣多少の数を計ることを言う。曹操曰く「其の人数を知る」と。
何氏:数とは、機変である。先ず彼我の強弱利害を酌量し、然る後に権謀術数を為す。
張預:地に遠近広狭の形有り、必ず先ずこれを知る。然る後にそこで運用できる人員の多少を量る。

193 :名無し整備兵:2009/03/22(日) 00:23:10 ID:???
数は称を生じ

曹操:敵のいずれが勝るか量る。
李筌:分数すでに賢智の多少を定め、賢を得るものは重く、賢を失う者は軽い。韓信の楚漢を論ずるが如し。須らく軽重を知り、
 賢愚を別にし錙銖を称するが即ち強し。
杜牧:称とは、校なり。機権の数すでに行われ、然る後に彼我の勝負を比べる状態になる。
梅堯臣:数に因りて以って軽重を権する。
王ル:称するところの以って重軽を知る所のものは、強弱の形勢を例えるなり。能く遠近の計を尽く知るは、大小の挙、多少の数、
 以って敵と相形に、即ち重軽の所在を知る。
何氏:杜牧の註に同じ

194 :名無し整備兵:2009/03/22(日) 00:24:09 ID:???
称は勝を生ず。

曹操:称量の数は、其の勝負がある所を知る。
李筌:称により軽重を知れば、勝敗の数は分かる。
杜牧:彼我の比較が十分できていれば、我の勝ちと敵の敗けの分明見えるなり。
梅堯臣:軽重により勝負知られる。
王ル:重は軽に勝つ。
陳r、杜佑(李筌):杜牧の上の五事の註に同じ
何氏:上の五事は、戦う前に先ず必勝の法を計することだ。故に孫子は古法を引き以って勝則の要を述べたのだ。
張預:称とは、宜しきなり。地形と人数とが適切ならば、即ち戦力の配分が上手くいき、故に勝てる。尉繚子曰く「過ちは度数に在るなし」と。
 度は尺寸を謂い、数は什伍を謂う。度は地を量するを以ってし、数は兵を量するを以ってする。地と兵をそれぞれ比べ、それにより勝つ。
 五者は皆地形によりて得る、故に地より生ずるという。李靖の五陣が地形に従って変化するのは、こういうことだ。

195 :名無し整備兵:2009/03/22(日) 00:24:57 ID:???
故に勝兵は鎰を以って銖を称(はか)るが若く

梅堯臣:容易な事を言う。

敗兵は銖を以って鎰を称るが若し。

曹操:軽は重を挙げることができない。
李筌:二十両を鎰という。銖は鎰と比べ、軽重に大きな差がある。勝敗の数も、またこの位の差がある。
梅堯臣:力を制し難い。
王ル:銖鎰というものは、軽重が明らかなことの例えである。
張預:二十両を鎰といい、二十四銖を両という。この言葉は規律ある兵と規律の無い兵が相対したとき、軽重が比べ物にならない事を言う。

196 :名無し整備兵:2009/03/22(日) 00:26:17 ID:???
勝者の民を戦わしむるや、積水を千仭の谿に決するが若きは、形なり。

曹操:八尺を仭という。水を千仭に決するとは、勢いが疾いことの例えである。
李筌:八尺を仭という。その勢いを言っている。杜預が呉を伐つ時、兵は破竹の如く、数節の後、皆刃を迎えて自ら解くと言っている。
 即ちこの意味である。
杜牧:積水は千仭の谿にあっても、測量できないのは、我の守備の形が知られないようなものだ。水を下に決するに及んで、
 強い勢いでなだれ込むのは、我の攻撃が防げないようなものだ。
梅堯臣:水を千仭の谿に決すれば、その速さは測ることができない。兵は九天の上に動き、その跡を見せない。これが軍の形だ。
王ル:千仭の谿は、その高低差が激しいことで、勝つべからざると勝つべきの形の違いを喩えている。機に乗じて攻めるのが、決水の例えだ。
張預:水の性は、高きを避け下に趨る。これを決して深い谷に注げば、勢いが激しく防ぐことができない。兵の形は水に象り、敵の不備に乗じ、
 敵の不意を掩い、実を避け虚を撃ち、制せられることがない。或いは曰く、千仭の谿とは測ることのできない淵をいい、人はその深さを
 量り知ることができない。決してこれを下すに及び、即ちその勢いは防ぐことができない。善く守るものが形を匿し跡を晦まし、九地の下に蔵れ、
 敵はその強弱を測り知ることができず、虚に乗じて出ずるに及び、即ちその鋒に当ることができないことを喩えている、と。

197 :名無し整備兵:2009/03/22(日) 00:32:43 ID:k5NrZseD
 十一家註孫子 形篇 了

 手元のテキストでは、ここまでが上巻です。中巻が勢篇〜行軍篇、下巻が地形篇〜火攻篇。
 しばらく規制で書き込めなかったため、準備していた分をまとめて書いたらさるさん食らいますた。
やる夫スレでも無いのにさるさん食らうのも珍しいかしらん(笑)

198 :名無し三等兵:2009/03/22(日) 03:34:20 ID:???


199 :名無し三等兵:2009/04/08(水) 16:42:54 ID:???
age

200 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 11:00:37 ID:???
十一家註孫子 勢篇

曹操:用兵は勢いに任ずる。
李筌:布陣で形成り、建「令瓦」を決するが如き勢いを示す。故にこの篇が(形篇の)続きとなる。
王ル:勢いとは、蓄積された勢いを変ずることである。善く戦う者は勢いに任じて勝を取り、無理な力を使わない。
張預:兵勢すでに成り、然る後に勢いに任せて勝を取る。故に形(篇)に次ぐ。

孫子曰く、凡そ衆を治めること寡を治めるが如きは、分数是なり。

曹操:部曲を分と為し、什伍を数と為す。
李筌:善く兵を用いるものは、将に一金を鳴らし、一旌を挙げ、而して三軍尽く応じる。号令がすでに定まっていれば、(多勢でも)
少数のように扱える。
杜牧:分とは、分別である。数とは、人数である。部曲行伍というのは、その人数の多少を分別し、それぞれに指揮官を置き、
訓練を行い、組織の形成に責任を負わせる。故に我が直接治めるのは少数(の指揮官)だけである。韓信曰く「多々益々弁ず」とは
このことである。
陳r:兵を集めて大勢になったら、部伍に分け、部伍の中に少吏を置いて指揮させる。このように人数を分かち、訓練し決断を任せ、
敵と遭遇したら大まかな方略を与えて戦わせる。こうすれば我は多数の兵を指揮しても、少数の部隊のように容易である。
孟氏:分とは、隊伍のことである。数とは、兵士の人数である。分数の多少は、制度を作って予め定めておく。
梅堯臣:部伍奇正の分数には、それぞれ統率法がある。
王ル:分数とは、部曲をいう。組織は各部隊から成り、その人数を配分する。師、旅、卒、両のようなものである。
張預:兵士数が多いのであれば、必ずまず指揮官を置き、各部隊の人数を定め、混乱を防いで、然る後に運用する。故に治兵の法は、
一人を独といい、二人を比といい、三人を参という。比と参で伍を為す。五人を列といい、二列を火という。五火を隊と為す。二隊を官といい、
二官を曲といい、二曲を部といい、二部を校といい、二校を裨といい、二裨を軍と為す。それぞれの指揮関係を明確にし、訓練を加えれば、
百万の衆を治めるといえども、寡を治めるがごとし。

201 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 11:02:33 ID:???
衆を闘わすこと寡を闘わすが如きは、形名是なり。

曹操:旌旗を形といい、金鼓を名という。
杜牧:旌旗鐘鼓は、敵もまた装備しているものであるが、我は何故これで形名を為し衆を闘わせること寡を闘わすようにできるのだろうか?
それ形とは、陣形のことである。名とは、旌旗である。戦法にいわく「陣間陣を容れるは、白刃を曳くに足る」と。故に大陣の中にまた
小陣があり、それぞれ地域を占め、皆陣形がある。旗には色をつけ、或いは鳥獣を描き、各将の各陣に目印をつける。形名すでに
定まれば、士気は上がって団結し、兵士は自らの為に戦う。敗れれば自分の負けであり、勝てば自分の勝だと思うくらいになれば、
百万の兵を戦わせるのも、一人の兵士を戦わせるのと同じである。
陳r:兵士が多くなれば、展開する地域も必ず広く、陣に臨み敵に対するとき、どうするか伝わらなくなる。このため、旌旗の形を設け、
(合図を)皆が見えるようにする。進退の遅速も聞こえなくなるので、金鼓を以ってこれを伝える。号令として「太鼓を聞いたら前進、
鐘を聞いたら停止」と示しておく。曹操が書いているのは、こういうことである。
梅堯臣:形は旌旗のことで、名は部隊名のことである。指揮を迅速にするために、いずれも重要である。
王ル:曹操は「旌旗を形といい、金鼓を名という」としているが、私は形とは旌旗金鼓の制度のことで、名とは部隊名のことだと考える。
張預:軍政に曰く、「言うも相聞こえざれば、故に鼓鐸を為す。視れども相見えず、故に旌旗を為す」と。今軍隊は大きく、展開する地域は
遠くに達し、耳目の力では、見聞できない範囲がある。故に士卒に旌旗の形を示して前進させ、金鼓の号を聞かせて停止させる。
即ち勇者も独り進むを得ず、怯者も独り退くを得ず。故に曰く、此れ衆を用いるの法也。

202 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 11:04:56 ID:???
三軍の衆、必ず敵を受けて敗るることなからしむべきは、奇正是なり。

曹操:先に出でて合戦するを正と為し、後に出ずるを奇と為す。
李筌:敵に当るを先と為し、傍らから出ずるを奇と為す。三軍に奇兵なければ、人と利を争うことはできない。漢の呉王「三鼻」が
 兵を率いて大梁に入ったとき、呉将の田伯禄が呉王に説いて曰く「兵を集めて西進しますが、奇道がないので、大功を立てられません。
 私に五万人を率いさせてください。別働隊を率いて江淮から上り、淮南長沙を収め、武関に入り、大王と会します。このような奇道は
 どうでしょうか。」と。(呉王は)従わず、遂に周亜夫の敗るところとなる。正攻法だけで奇道がなかったからだ。
杜牧:ここの解は下文にある。
賈林:敵に当っては正陣を以って勝を取り、奇兵をもって前後左右ともに相応じれば、常勝して負けることが無い。
梅堯臣:動を奇となし、静を静と為す。静を以ってこれを待ち、動を以ってこれに勝つ。
王ル:必は畢とすべきで、字に間違いがある。奇正は相生じるのであり、故に畢く敵を受けて敗るることがない。
何氏:兵体は万変し、紛紜混沌とし、正でないこともないし、奇でないこともない。正義の為に起った兵は正であり、敵に臨んで変を
 合わせるのは奇である。我の正は敵に奇と見せかけ、我の奇は敵に正と見せかける。正はまた奇であり、奇はまた正である。
 大抵の用兵者には皆奇正有り、奇正なくして勝つ者は幸いにして勝ったもので、まぐれ勝ちである。韓信が背水の陣をしき、
 一方で兵を山に送って趙の旗を抜かせ、その国を破ったときは、背水の陣が正であり、山道を行った兵が奇であった。同じく韓信が
 臨晋に兵を進め、木のかめで(川を渡り)夏陽から安邑を襲い、魏王豹を捕らえたときには、臨晋が正で、夏陽が奇であった。
 このように敵を受けて敗れること無きは、奇正にかかっているということである。尉繚子曰く、「今『金莫』『金耶』の利、犀ジの堅を以って、
 三軍の衆、奇正の所あれば、即ち天下その戦いに当るなし」と。

(続く)

203 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 11:06:02 ID:???
(続き)

張預:三軍は多いと言っても、人々が皆敵の攻撃を受けて負けないと言えるのには、奇正がなければならない。奇正の説は、
 諸家同じではない。尉繚子曰く「正兵は先を貴び、奇兵は後を貴ぶ」と。曹操曰く「先に出でて合戦するを正と為し、後に出ずるを
 奇と為す」と。李衛公曰く「兵の以って前に向かうを正と為し、後ろに却るを奇と為す」と。これ皆正を以って正と為し、奇を以って奇と為し、
 互いに相変わり循環するの義を説明していない。ただ唐の太宗曰く「奇を以って正と為し、敵をして視ること正と思えらく、即ち吾奇を以って
 之を撃つ。正を以って奇と為し、敵をして視ること奇と思えらく、即ち吾正を以って之を撃つ」と。まじえて一法と為し、敵をして測ることなさしめる、
 ここに最も詳しき。

兵の加うるところ、カを以って卵に投ずるが如きは、虚実是なり。

曹操:実の至りを以って虚の至りを撃つ。
李筌:カは実にして卵は虚、実を以って虚を撃つは、その勢い易き也。
孟氏:カとは、石である。兵の訓練が精到で、組織が明らかであり、更に敵情を詳細に調べているのであれば、虚実を尽く知り、後に兵を以って
 これに加える、実にカ石を卵に投ずるのと同じである。
梅堯臣:カとは、石である。実を以って虚を撃つは、猶堅を以って脆を破るがごとき也。
王ル:鍛とは、鉄を鍛えたものである。
何氏:用兵は虚実の勢を知ることであり、そうすれば勝たざるはない。
張預:この下の篇曰く「善く戦う者は人を致して人に致されず」と。これ虚実彼我の法である。敵が来るのを誘致するのは、彼の勢いが常に虚だから
 である。彼が攻めてこないのは、我の勢いが常に実だからである。実を以って虚を撃てば、石を挙げて卵に投ずるが如く、必ず破ることができる。
 それ軍を合わせ衆を集め、まず分数を定め、分数明らかなれば、然る後に形名を習わせ、形名正しくして、然る後に奇正を分かち、奇正審らかにして、然る後に虚実見るべし。この四事はこのような順番になる。

204 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 12:30:11 ID:???
凡そ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ。

曹操:正は敵に当り、奇兵は傍らより不備を撃つ。
李筌:戦いて詐術がなければ、敵に勝つのは難しい。
杜佑:正は敵に当り、奇は傍らから不備を撃つ。正道を以って合戦し、奇変を以って勝を取る。
梅堯臣:正を用いて合戦し、奇を用いて敵に勝つ。

(続く)

205 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 12:31:56 ID:???
(続き)

何氏:戦国時代、廉頗が趙将と為っていたとき、秦使が間者となり曰く「秦は独り趙括を畏れるのみ。廉頗は与し易く、且つ降る」と。
 廉頗の軍は亡失が多く、しばしば敗れ、防壁の中にこもって戦わなかった。また秦の反間の言もあり、趙括をして廉頗に
 代わらしめた。趙括が至ると、即ち出陣して秦を撃った。秦軍は偽りて敗走し、二隊の奇兵を配置してこれを撃たせた。
 趙軍は勝に乗じて秦軍の城壁まで達したが、城壁は固くそれ以上追撃できなかった。秦の奇兵二万五千が趙軍の
 背後を絶ち、また五千騎が趙軍と秦の城壁の間を絶ったため、趙兵は二分され、糧道も絶たれ、趙括はすぐに敗れた。
 また隋の時代突厥が辺境を犯した際、煬帝は唐の高祖と馬邑の太守王仁恭に衆を率いさせて備えさせた。敵が馬邑に来襲し、
 仁恭は衆寡敵せずとして懼れる色があったが、高祖曰く「今主上とは遠く、孤城で援けは絶たれている。死戦しなければ、
 無事ではいられないだろう」と。ここにおいて親しく精騎四千を選び、出でて遊軍となり、居所飲食、水草を追い従うこと突厥に
 同じくする。敵の偵察部隊を見ても、猟をするくらいで、まるで敵を軽んじているようだった。敵の本隊と遇うに及んで、
 掎角の構えに陣し、射撃の名手を別働隊に配置して、満を持して之を待つ。敵はその能力を測りかね、あえて決戦に及ばない。
 ここで奇兵を以って攻撃し、敵の王が乗る馬を獲得し、斬首千余級に及ぶ。また太宗は精鋭千余騎を選んで奇兵と為し、
 皆黒衣に黒い鎧をつけさせ、左右の隊に分け、大旗を建て、騎将秦叔宝と程「歯尭」金等に分かちてこれを指揮させ、
 敵が来るたびに太宗は黒い鎧を着て先鋒になり、これらを率いて機を待ちて進み、向かうところ撃破し、常に少を以って衆を撃ち、
 賊徒の気を懼れさせた。また五代の漢の高祖(劉知遠)晋陽に在り、郭進がこれに合流した。高祖はこれを勇敢だとした。
 遼軍が安陽城を攻めたとき、郭進を派遣してこれを攻撃させると、敵軍が退いたので、坊州の刺史に任命した。遼の君主が
 死んだため、高祖は井ケイに奇兵を出し、郭進は間道から先に「三名」北に入り、河北を平定した。これ皆奇を以って勝った例である。

(続く)

206 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 12:33:21 ID:???
(続き)

張預:両軍相臨み、先ず正兵を以って合戦し、徐に奇兵を発して、その側面を突いたり、或いは後方を襲撃したりして勝つ。
 鄭伯が燕軍を防いだとき、三軍を前面に出し、潜軍を後ろに配置したようなことだ。

故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く

李筌:動静なり。

尽きざること江河の如し。

李筌:流れが通じて絶えない。
杜佑:変に応じ奇を出だして、窮まったり尽きたりしないことを言う。
張預:変に応じて奇を出だし、窮まり尽きることあるなきを言う。

終わりて復た始まるは、日月これなり。死して復た生ずるは、四時これなり。

李筌:奇の変ずるは日月や四季のように、満ち欠け寒暑が止まることが無い。
杜佑:日月の運行は、入りて復た出ずる。四季が互いに変わるのは、興りて復た廃す。奇正の変化は日月の進退や
 四季の盛衰のようなものであることを言っている。
張預:日月の運行は、入りて復た出ずる。四季が互いに変わるのは、興りて復た廃す。奇正が相変わること、紛紛混沌とし、
 終始極まりないことを喩えている。

207 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 12:45:54 ID:???
声は五に過ぎざるも

李筌:宮、商、角、徴、羽である。

五声の変は、勝げて聞くべからず。

李筌:変が八音に入れば、奏楽の曲は聞きつくすことができない。

色は五に過ぎざるも

李筌:青、黄、赤、白、黒である。

五色の変は、勝げて観るべからず。味は五に過ぎざるも

李筌:酸、辛、鹹、甘、苦である。

五味の変は、勝げて嘗むべからず。

曹操:「窮まり無きこと天地の如く」以下の文は、奇正が極まりないことを喩えたものである。
李筌:五味の変とは、料理での味付けのことである。
杜牧:「窮まり無きこと天地の如く」以下は、皆八陣の奇正のことを喩えたものである。
張預:五声五色五味の変を引用し、奇正相生ずることの極まりないことを喩えている。

208 :名無し整備兵:2009/04/11(土) 12:46:38 ID:???
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は、勝げて窮むべからず。

李筌:迎撃したり攻撃したり、万途の勢は、極めつくすことができない。
梅堯臣:奇正の変は、五声五色五味の変のように、尽きることが無い。
王ル:奇正とは、用兵の鍵であり、勝を制するための枢機である。敵に臨み変を運び、循環して窮まることが無く、窮まれば即ち敗れる。
孟氏:六韜に曰く「奇正は無窮の源に発す」と。
張預:戦陣の勢は、奇正の一事に止まるのみ。運用上の変化に及んでは、即ち万途千轍、極めつくすことなどできるだろうか?

奇正相生ずること、循環の端無きが如く、孰れか能く之を窮めん?

李筌:奇正はそれぞれ関連しながら生じ、円環が丸く繋がっているように、その窮まるところを見ることができない。
梅堯臣:変動周旋は極まりがない。
王ル:敵には我を窮まらせることができない。
何氏:奇正が生じ転じて相互に変を為し、円環が繋がっているように、その首尾は窮めることができない。
張預:奇はまた正となり、正はまた奇となり、変化が相生ずること、循環に本末が無いように、誰か窮めたなどと言えるだろうか?

209 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:18:22 ID:???
激水の疾きこと、石を漂わせるに至るは、勢いなり。

孟氏:勢いが急であれば、巨石といえども止まることができない。
杜佑:水の性は柔弱であり、石の性は剛重だが、大石を漂わせ転がし、下流に押し流してしまうに至るのは、皆流れが急であり、
 激しい勢いを持つからである。
張預:水の性は柔弱であるが、険しい地を流れ、激流となれば、その勢いは巨石をも転がしてしまう。

210 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:19:37 ID:???
鷙鳥の疾きこと、毀折に至るは、節なり。

曹操:発起して敵を撃つ。
李筌:柔でも勢いがあれば、剛を転がすことができる。況や軍事においては当然だ。弾を射って飛鳥に当るのは、速度があり節度が
 あるからだ。
杜牧:勢いとは、高いところから低いところへ向かう。速度の勢いを得れば、石をも漂わす。節とは、遠近を計りそれに見合った攻撃を
 することで、故に獲物を捕ることができる。
杜佑:発起して敵を討つのは、鷹やハヤブサが獲物を狙うとき、必ず獲物の禽獣を捉えることができるようなもので、皆状況判断が
 できており、それに見合った攻撃をするからだ。王子曰く「鷹隼の一撃するや、百鳥以ってその勢いと争う無く、猛虎の一奮するや、
 万獣以ってその威を争う無し」と。
梅堯臣:水は柔といえども、勢いが激しければ石をも漂わす。鷙は小さいといえども、節度ある攻撃で獲物を捕る。
王ル:鷙鳥の疾きというのも、また勢いのことであり、勢いがあってこそ攻撃の節度が出る。下の文で険というので、まず石を漂わせる
 という比喩を使っている。
何氏:水でも石を動かせるのは、高低の勢いである。鷙が獲物を捕らえるのは、その遠近を計ってそれに合う攻撃をするからだ。
張預:鷹やハヤブサが獲物を捕らえるときは、必ず遠近を計り、時期を待って後に撃つから、獲物を捕らえられる。尉繚子曰く「吾が
 器の用を便にし、吾が武勇を養い、これを発するに鳥が撃つが如くする」と。李靖曰く「鷙鳥の将に撃たんとするや、卑(ひく)く飛びて
 翼を斂(たた)む」と。皆時期を判断して後に発することを言う。

211 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:25:54 ID:???
是が故に善く戦う者は、その勢い険にして

曹操及び李筌:険とは、疾いことである。
杜牧:険とは、戦争の勢いが発すれば即ち人を殺すことを言う。故に下の文では弩に喩えている。
王ル:険とは、疾くすることであり、水が険阻な地形で勢いを成す事を言う。

その節は短なり。

曹操及び李筌:短とは、近いことである。
杜牧:近接することを言う。鷙鳥の発するように、獲物に近ければ全力が出せ意識も集中でき、必ず捕らえることができる。
杜佑:短とは、近いことである。節とは、果断なことである。短や近とは、危険を冒して勝をとるには、近づいて急に攻撃することをいう。
梅堯臣:険ならば即ち疾く、短ならば即ち勁い。故に戦いの勢いは、速度を以って短切に攻撃することだ。
王ル:鷙が獲物を捕らえるとき、発すれば必ず当るのは、遠くから来るが力を発揮するのは短い時間で行うからだ。兵が機に乗ずるのも、
 このようにする。曹操も「短とは、近いことだ」と言っている。
孟氏:杜牧の註に同じ。
張預:険とは疾いこと、短とは近いことである。善く戦う者は先ず地の遠近、形の広狭を量り、然る後に陣を布き部伍行列が遠くに
 散らばらないようにする。その進撃は五十歩を以って節とし、遠すぎる敵を攻撃することは無い。故に勢いが急で防ぎ難く、節は近く
 勝ち易い。

212 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:29:23 ID:???
勢いは弩を「弓廣」るが如く、節は機を発するが如し。

曹操:十分に引き付け、発すれば必ず当る。
李筌:弩(を発した矢)が速くなければ遠くまで届かず、十分近くなければ当らない。勢いは疾く、節は速くなければならない。
杜牧:「弓廣」とは、張ることである。弩が十分に引き絞られ、発すれば即ち人を殺す、故に上文で「その勢険にして」という。機(引き金)は、
 目標が十分近づいたことを量り、然る後に(発すれば)必ず当る。故に上文で「その節は短なり」といい、短とは近いことである。
 これは戦いに当って遠くまで敵を深追いしてはならないのは、隊伍が離散断絶して敵に乗ぜられるのを恐れるからだということを
 言っている。故に牧野の誓いに曰く「六歩七歩、四伐五伐」と。(攻撃するときの)近さをいう。
陳r:弩の機を発するのは、近ければ当りやすい。戦で敵に遇うのは、疾ければ勝ち易い。若し動きが速くなく、攻撃するとき相手が
 近くなければ、敵に克ち全勝することはできない。
賈林:戦の勢いは、弩を張るが如し。兵の勢いは、機を発するが如し。
梅堯臣:「弓廣」とは霍と同音であり、張ることである。弩が張るように勢い逡巡せず、機の発するように節が近ければ当りやすい。
王ル:戦勢は弩の張るが如しというのは、機会を待つことをいう。乗ずるべき勢いを待ち、その機を発する。
何氏:険とは、疾いことである。短とは、近いことである。これは戦いには形を得なければならず、弩を張り機を発するように、勢いは
 疾速であり、利は近くにおいて発揮することにある。遠くまで追撃するべきではない。故に太公曰く「撃つこと機を発するが如きは、
 精微を破る所以なり」と。
張預:弩の張るが如く、勢いは緩めてはならない。機の発するが如く、節は遠くではいけない。利に趨ること尚疾く、奮撃は近くを貴ぶ。
 故に太公曰く「撃つこと機を発するが如きは、精微を破る所以なり」と。

213 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:33:13 ID:???
紛紛紜紜として、闘い乱れて乱すべからず。渾渾沌沌として、形円にして敗るべからず。

曹操:旌旗を乱し、敵に示すに乱れるがごとくし、金鼓を以ってこれを斉える。卒騎の転じて形円なるは、出入に節度があり整斉と
 していることである。
李筌:紛紜として闘い、乱せるように見せかけるが、旗を立てるに部あり、金を鳴らすに節あり、これらは乱してはいけない。渾沌とは、
 雑然としていることを言う。形円なるとは、どの方向にも対応できることを言う。敵に敗れるべきを示して敗られることがないのは、
 号令が整斉としているからである。
杜牧:これは布陣の法を言う。風后握奇文に曰く「四を正と為し、四を奇と為し、余りの奇を握と為す。奇の音は機であり、或いは
 総じてこれを称し、先に遊軍を出だし両端を定める」と。これのことを言っている。奇とは零である。陣数は九あり、中心にある零と
 いうものは、大将が握って動かず、以って四面八陣を制し、準則を取る。その人の列は、面々相向かい、背と背は相互に守る。
 周礼の蒐苗セン狩には、車集まり徒歩兵は趨り、表に及んで乃ち止まるとある。これは八陣の遺制であり、握奇の文もこれに
 止まるのみ。その余の詞は、乃ち後の作者が増加し、その事の難しさを強調しているのみである。それ五兵の利は、弧矢(弓矢)の
 利にしくは無く、以って天下を威するに、五兵同じく致すも、天独り弧矢の星あり、聖人独り弧矢能く天下を威すると言い、他の兵を
 言わざるは、何ぞや。けだし戦法の弧矢を利とするものは、陣を得なければその利点が出てこないからだろう。故に黄帝が蚩尤に勝ち、
 中夏の車徒を以って夷虜の騎士を制するは、これ乃ち弧矢の利である。近代に在ってこの例となるものとしては、晋の武帝の時、
 羌が涼州を陥れ、司馬督馬隆が勇士三千を募りこれを平らげたことだろう。腰で弩を引くこと三十六鈞、弓は四鈞なるを募り、
 標簡を立てて軍を試す。西に温水を渡ると、羌はそれを察し、一万と称する軍で馬隆を迎え撃った。馬隆は八陣の法に依り、
 且つ戦い且つ進み、弓矢の及ぶところ、人皆弦に応じ倒れ、誅殺すること万を数え、涼州は平定された。

(続く)

214 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:36:15 ID:???
(引き続き杜牧註)

 隋の時代、突厥が侵入してきたとき、楊素がこれを撃った。彼以前の諸将が突厥と戦うとき、突厥の騎兵が突進してくると、皆車両と
 徒歩兵でこれを防ぎ、障害物で方陣を築いて、騎兵はその中に温存していた。楊素が戦場に到着すると、この方法を改め、諸軍をして
 歩兵と騎兵の混成部隊とした。突厥はこれを聞くと、手を額に当て天を仰いで曰く「天は我に(中国を)賜えり!」と。大いに精騎十余万を
 率いて至る。楊素は一戦し大いに破る。このように、徒歩を以って騎士を制するには、陣法が無ければ、開闔首尾の道を知るといえども、
 勝ちを致すことができるだろうか?曲礼に曰く「行くに朱雀を前にし、玄武を後ろにし、青竜を左にし白虎を右にし、招揺上に在りて、
 急にその怒りを繕う」と。鄭司農曰く「四獣を以って軍陣を為し、天に象る」と。孔疏曰く「此の言軍行は天文に象り陣法を作るも、
 ただ如何に作るかを知らざるのみ」と。何徹云わく「此の四獣を旌旗の上に画き、以って前後左右の陣を標す。急にその怒りを繕うとは、
 その卒の強さや士気は、天の怒りの様だと喩えている。招揺とは北斗の第七星のことで、これを挙げれば他の六星の位置も知る
 ことができる。陣を天文に象るとは、即ち北斗のことである」と。また曰く「進退に度あり」と。鄭司農註曰く「度とは伐と歩の数を言う」と。
 孔疏曰く「牧野の誓いに云うごとく、六歩七歩、四伐五伐がこれである」と。また曰く「左右に局あり」と。鄭司農註曰く「局は歩の分である」と。
 孔疏曰く「軍の左右、各々部分あり、進みては即ち敵に就き、退きては即ち列に就く。相差し濫れざるなり」と。

(杜牧註続く)

215 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:39:32 ID:???
(引き続き杜牧註)

 下文にまた曰く「父の讎は与に天を戴かず、兄弟の讎は兵を返さず、交遊の讎は国を同じくせず。四郊塁多きはこれ卿大夫の辱めなり」と。
 此の言は讎や辱めで戦争に至るや、必勝を期すべきであり、陣法を知らないなどということが無いようにしなければならないことをいう。
 その文は故に相次いで、聖賢の言葉の深さを言う。軍志に曰く「陣間に陣を容れるは、白刃を曳くに足る。隊間に隊を容れるは、与に敵対すべし。
 前はその前を禦ぎ、後ろはその後ろに当り、左はその左を防ぎ、右はその右を防ぐ。行けば必ず魚貫、立てば必ず雁行、長は以って短に参じ、
 短は以って長に参ず。軍を回し陣を転じ、前を以って後ろと為し、後ろを以って前と為し、進むに奔進するなく、退くに違走するなし。四頭八尾、
 触れるところを首と為し、敵がその中を衝けば、両頭倶に救う」と。これまた曲礼の説と同じである。数は五から起き、八において終わる。

 今キ州の州前に諸葛武侯が石を以って縦横八行に布きて方陣を為したが、奇正が出るのは、皆このようにする。奇はまた正の正であり、
 正はまた奇の奇である。これらは相用い、循環して窮まることが無い。諸葛は斜谷に出で、兵は少なかったが、但し正の六数を用いた。
 今(陝西省)司竹園に旧塁がある。司馬懿は十万の歩騎をもっても、敢えて決戦しなかった。その能力を知っていたからだ。
杜佑:旌旗乱れるなり。敵に乱れているように示すが、金鼓を以ってこれを斉える。紛紛とした旌旗は、紜紜とした士卒の貌を象る。
 旌旗が翻転し、一合一離し、士卒は進退し、或いは往き或いは来たり、これを視るに分散しているようで、これを擾すに乱れるが
 ごときを言う。然るにその法令は素より定まり、度職は分明であり、各々分数あり、擾しても乱れないのだ。車騎は斉転し、形円なるは、
 出入するときに節度があって整斉としている。渾渾とは、車輪が転行するを言う。沌沌とは、歩兵が驟り奔り馳すを言う。その行陣の
 縦横を視て、円にして方せず、然るに指示をすれば、各々応ずるところあり。故に王子曰く「将に内明るく外暗く、内治まり外混じるを
 欲するは、敵に示し己を軽んぜしむ所以なり」と。

(まだ続く)

216 :名無し整備兵:2009/04/12(日) 19:40:43 ID:???
(続き)

梅堯臣:分数すでに定まり、形名すでに立てば、離合散集、乱に似ていても乱れることがない。形に首尾無く、応ずるに前後無く、
 陽旋陰転、敗らんと欲するも敗ることができない。
王ル:曹操曰く「旌旗を乱し、敵に示すに乱れるがごとくし、金鼓を以ってこれを斉える」とある。私は紛紜として闘い乱れる様相の
 ことを言っていると思う。乱すべからずとは、節制が厳明からだろう。また曹操は「卒騎の転じて形円なるは、出入に節度があり
 整斉としていることである」という。私は渾沌として形が円なのは、不測の様相だと思う。敗るべからざるとは、隙が無く、また測る
 ことができないことを言っていると思う。
何氏:これは闘いの勢いについて言っている。善き将兵は、進退は紛紛として乱れるに似るが、然るに士馬は訓練されており、
 旌旗には節度があり、乱れることが無い。渾沌の形勢は、離れながら合いながら、人は敗ると思うも、号令は素より明らかであり、
 離合に勢いあり、敗ることができない。形が円なるとは、行列が無いことを言う。
張預:これは八陣の法である。昔黄帝が始めて丘井の法を立て、これによって兵を制する。故に井を四道に分け、八家これを処する。
 井字の形は、開方が九あるが、五を陣法と為し、四を閑地と為す、そのため数は五より起るという。その中を虚とし、大将はこれに居り、
 その四面を囲み、諸部は連ねて囲む、そのため八をもって終わるという。変化して敵を制するに及んでは、即ち紛紜聚散し、
 闘い乱れるといえども法は乱れず、渾沌交錯し、形は円といえども勢いは散じず、所謂分ちて八と成り、また一となる。後世武侯の
 方陣、李靖の六花、唐太宗の破陳楽舞は、皆その遺制である。

217 :名無し三等兵:2009/04/12(日) 23:12:03 ID:???
毎回毎回ありがとう!

218 :名無し整備兵:2009/04/28(火) 23:45:42 ID:???
乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は彊に生ず。

曹操:皆形を毀ち情を匿すなり。
李筌:治まり整っていることを恃むと、部下を慰撫せず怨み多くなり、乱が必ず生じる。秦が天下を統一したとき、兵を限定し焚書を行い、
 列国を郡県となして始皇帝と称して、関中を都とし万代に至るまで統治しようとした。しかし胡亥が驕り高ぶり、陳勝・呉広の乱が疲弊に
 乗じて起ったようなことが、所謂「乱は治に生じる」ということだ。勇において人をしのごうとすれば、敵の敗るところとなる。秦王の符堅が
 晋を討とうと鼓吹したのは勇だが、敗れるに及んで、風声鶴唳を聞き、晋軍と思い込んだのは、その怯なるところであり、所謂怯は勇に
 生じるということだ。呉王夫差の兵は天下に無敵であり、黄池に斉を破り、会稽に越を破ったのは、その彊なるところである。越が呉を敗り、
 呉軍は城門も守れず、兵は王宮を囲み、夫差を殺してその国を併合した。これは弱が彊より生じるということである。
杜牧:乱れた形を偽って敵人を誘おうとするには、先ず治を完全なものにしてから、然る後に乱を偽らなければならない。怯えた形を偽って
 敵人を伺う為には、先ず勇を完全なものにしてから、然る後に怯を偽らなければならない。弱い形を偽って敵を驕らせるためには、先ず
 彊さを完全なものにしてから、然る後に弱を偽らなければならない。
賈林:治を恃めば即ち乱生じ、勇彊を恃めば即ち怯弱生ず。
梅堯臣:治まっていれば乱を偽ることができ、勇なれば怯を偽ることができ、彊なれば弱を偽ることができる。
王ル:梅堯臣の註に同じ。
何氏:戦時には奇正の形勢をもって敵を破ることをいう。我が兵素より治まり、我が士素より勇に、我が勢素より彊であるとしても、もし治、勇、
 彊の勢を匿さなければ、何をもって敵を致すのか?乱に似、怯に似、弱に似た形を取って敵を誘えば、彼は我が誘った形に惑い、必ず
 破ることができるだろう。
張預:敵に紛乱の形を示すには、我は必ず治まっていなければならない。敵に懦怯の形を示すには、我は必ず勇でなければならない。
 敵に羸弱の形を示すには、我は強くなければならない。皆形を匿して敵を誤らせるのだ。

219 :名無し整備兵:2009/04/28(火) 23:52:01 ID:???
治乱は、数なり。

曹操:部曲を以って名数を分け、これを為す。故に乱れず。
李筌:歴数である。百六の災い、陰陽の数は、人の行動に由らず、時期により生じる。
杜牧:行伍にはそれぞれ区分があり、部曲には皆名数がある、このために治めることができ、然る後に偽って乱れていると欺騙する
 ことができる。偽って乱れるとは、兵の出入りに決まった時がなく、薪を取るのも縦横まとまり無く、警戒の銅鑼も厳格ではないように
 見せかけることである。
賈林:治乱の違いは、節度や組織が整っているかどうかである。
梅堯臣:治を持って乱と為すは、組織ができているかどうかである。
王ル:治乱は数の変であり、数とは法制を謂う。
張預:実は治であるのに偽って乱れていると示すのは、その組織が明らかになっているからである。上文の「所謂衆を治めること寡を
 治めるが如きは、分数是なり。」である。

220 :名無し整備兵:2009/04/28(火) 23:54:37 ID:???
勇怯は、勢なり。

李筌:兵がその勢いを得れば、怯者も勇敢になり、その勢いを失えば、勇者も怯懦となる。兵法に定まり無く、唯勢によりて成す。
杜牧:勇敢なことを言うのは怯者である。有利な状況を見ても動かなければ、敵は我を怯懦だと思い込む。
陳r:勇者は機を見てすぐ動き、怯者は腰が重い。敵が、我が進みたくても進めないのを見れば、我を怯懦だと思い、必ず軽んずる心が
 生まれる。我はその懈怠に乗じ、勢いを借りてこれを攻める。龍且が韓信を軽んじ、鄭人が我が師を誘うようなものだ。
孟氏:陳rの註に同じ。
梅堯臣:勇を以って怯と為し、有利な状況を利用しないように見せかける。
王ル:勇怯は、勢いにより変わる。
張預:実は勇敢であるのに偽って怯懦と示すのは、その勢いによる。魏将ホウ涓が韓を攻め、斉将田忌が韓の救援に向かおうとした。
 孫「月賓」は田忌に曰く「彼は三晋の兵、素より悍勇にして斉を軽んじ、斉を号して怯と為す。善く戦う者はその勢いに因り利してこれを導く。
 斉軍をして魏の地に入り、日にその竈を減らせ」と。ホウ涓は斉軍の竈が毎日減っていると聞き、大いに喜んで曰く「吾素より斉の怯を
 知る」と。即ち日に倍して進行しこれを逐い、遂に馬陵に敗れる。

221 :名無し整備兵:2009/04/28(火) 23:56:45 ID:???
彊弱は、形なり。

曹操:形勢の宜しきところなり。
杜牧:彊を以って弱と見せかけるには、その形を示す必要がある。匈奴の冒頓が婁敬に老兵を見せたようなものだ。
陳r:楚王が中軍を抜き出して代わりに随人を配備し、後の企図に用いた。この類のことだ。
梅堯臣:彊を以って弱を為し、疲労し怯懦なような形をとる。
王ル:彊弱は形により変わる。
何氏:形勢を暫く変え、以って敵が戦うよう誘うのであって、本当は怯でも弱でもない。乱れを示して乱れていないのは、隊伍の根本が
 整っているからだ。
張預:実は彊であるのに偽って弱いと示すのは、その形を見せる。漢の高祖が匈奴を撃とうとした時、使者を派遣して偵察させた。
 匈奴は強そうな兵士や肥えた馬を隠し、弱兵や疲れた馬だけ見せたので、使者は十人中十人が皆攻撃できると進言した。ただ婁敬曰く
 「両国相攻めるに、宜しく矜み長ずるところを誇るも、今徒だ老弱を見る、必ず奇兵あり、撃つべからざるなり」と。高祖は従わず、
 果たして白登山で包囲されることになった。

222 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:03:08 ID:???
故に善く敵を動かす者は、これに形すれば、敵必ずこれに従い

曹操:弱そうな形を表す。
李筌:善く敵を誘う者は、軍が彊くても、能くその敵を進退させる。晋が斉を攻めたとき、山沢の険を斥け、至らざるところがあっても、
 必ず旗印を立て陣があるように見せかけ、柴を曳いて大軍が続行しているように見せた。斉の軍が山に登って晋軍を見ると、旌旗や
 塵が上がっているので、大軍が来ていると見てその夜に逃亡した。即ち晋が弱くても斉は彊いと判断したのだ。斉が魏を伐つにあたり、
 将軍の田忌は孫「月賓」の謀を用い、竈を減らして大梁に趨る。魏将ホウ涓これを逐い、曰く「斉虜何ぞその怯なるか。吾が境に入りて
 亡なう者半ばなり」と。馬陵に及び、斉人の敗るところとなり、ホウ涓を殺し、魏の太子を虜にして返る。形の弱を以って、敵はこれに
 従ったのだ。
杜牧:弱さを見せるだけではない。我が強く敵が弱いのであれば、我が弱い形を見せ、敵をして攻めて来させる。我が弱く敵が強いのであれば、
 我が強い形を見せ、敵をして去らしめる。敵の動作は皆我に従わせるのだ。孫「月賓」曰く「斉国は怯と号し、三晋これを軽んず。
 魏の境に入りて十万の竈を為さしめ、明日には五万の竈を為せ」と。魏のホウ涓これを逐い、曰く「斉虜の何ぞ怯なるか!吾が境土に入りて、
 亡なう者太半なり」と。このため急いで追撃した。馬陵に至って道が狭くなっているので、孫「月賓」は木を削らせてこれにこのように書いた。
 「ホウ涓この樹の下に死す」と。そして弩兵をその脇に潜ませ、「火を見て始めて発せ」と命じた。ホウ涓がここに至り、火を起してこれを見るに、
 万弩一斉に発し、ホウ涓死す。これは乃ち弱い形を示して、能くホウ涓を動かし、我を追ってこさせてこれを殺した例である。

(杜牧註続く)

223 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:05:10 ID:???
(杜牧註続き)

 隋の煬帝が鴈門にあり、突厥の始畢可汗の包囲するところとなる。唐の太宗は救援に向かおうとし、将軍雲定興と同行した。
 向かうに当り雲定興に謂いて曰く「必ず旗鼓を多く斉え、以って疑兵を設けよ。且つ始畢可汗敢えて天子を囲むは、必ずや
 我が倉卒援ける無しを以ってする。我吾が軍容を張り、今数十里昼は即ち旌旗相続き、夜は即ち鉦鼓相応じ、虜必ず救兵
 雲集するとおもえらく、塵を見て遁じる。しからざれば、彼衆にして我寡にして、久しきはあたわざるなり」と。定興はこれに従う。
 軍が「山享」県に差し掛かると、始畢可汗は逃げ去った。これは我が弱く敵が強かったので、これに示すに彊を以ってし、
 これを動かして去らしめたのだ。故に敵の来去は、一に皆我の形に従うのだ。
梅堯臣:形が乱弱なれば必ず従う。
王ル:敵を誘って必ず従わしめる。
何氏:形を移り勢いを変え、敵人を誘動する。敵が戦に詳しくなければ、必ずや我が計に中って来るので、たやすく制することが
 できる。
張預:形で弱さを示せば、敵は必ずこれを突いてくる。晋楚相攻めるに、苗賁皇が晋侯に謂いて曰く「もし欒范の行を易えもって
 これを誘えば、中行の二郤は必ず二穆に克たん」と。果たして楚軍を破った。また楚が隋を伐つに、弱兵を展開した。季良曰く
 「楚の羸は、我を誘うなり」と。皆この意味である。

224 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:07:10 ID:???
これを予えれば、敵必ずこれを取り

曹操:利を以って敵を誘えば、敵が遠く陣地が離れていても、勢いに乗じて攻めてくるだろうから、我はその空虚となり孤立したところを撃つ。
杜牧:曹操と袁紹が官渡で対峙していたとき、曹操は河から離れて西に移動し、袁紹は渡河してこれを追った。曹操は南阪に宿営し、
 下馬して鞍も外した。この時白馬(地名)には輜重が移動中だったが、諸将は敵の騎兵が多いと見て、退却しようとしたが、荀攸は
 「これは敵をおびき寄せる餌だ。どこにも行くな」と注意した。袁紹の将文醜や劉備が5,6千騎を率いて、前後して至り、或いは輜重の
 捕獲を始めた。曹操はここで「攻撃せよ」と命じ、皆乗馬して攻撃した。この時わずか600人ほどだったが、遂に大いに敵を破り、文醜を斬った。
梅堯臣:(我が)畏れ怯えるを示せば、(敵は)必ず取る。
王ル:敵に餌を与え、必ず取らせる。予は與と同じ意味である。
張預:これを誘うに小利を以ってするも、敵必ず来たり取る。呉が囚人兵をもって越を誘い、楚が樵をもって絞を誘ったようなものだ。

225 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:10:28 ID:???
利を以ってこれを動かし、卒を以ってこれを待つ。

曹操:利を以って敵を動かす。
李筌:後漢の大司馬トウ禹が赤眉の賊を攻めたとき、赤眉は偽って逃げ、輜重を棄てて逃げたように見せかけた。しかし荷車は土を積み、
 豆で表面だけ覆ったものだった。トウ禹の軍は兵糧が乏しかったため、競ってこれを略奪し、行列が乱れた。赤眉は伏兵をもってこれを撃ち、
 トウ禹を大いに敗った。このような意味である。
杜牧:利を以って敵を動かせば、敵すでに我に従うことになるので、精兵をもってこれを待ち伏せする。上の文はこのような意味である。
梅堯臣:以上に述べてきた事は、敵を誘って我に従わせ、精兵で待ち伏せするということである。
王ル:或いは敵を我の企図に従わせ、或いは敵に好餌を取らせるが、必ず先ず精兵による待ち伏せを仕掛ける。
何氏:敵が我が利を貪れば、即ち行列を為さなくなる。利によって敵を動かせれば、即ち待ち伏せの兵をもってこれを撃ち、勝てないことは無い。
 曹操が西に遠征して馬超を攻めたとき、馬超と関を挟んで対峙した。曹操は急いで持久の態勢を取るとともに、徐晃、朱霊等を密かに先遣し、
 夜に蒲坂津を渡らせ、黄河の西に宿営させた。曹操自らは潼関から北に渡ったが、黄河を渡る前に、馬超が船で渡ってきて決戦を急いだため、
 曹操は牛馬を放って敵を誘引した。馬超軍は列を乱して牛馬を捕獲したため、曹操は無事渡河し、黄河から離れて南に移動した。馬超軍は
 退いて渭口で防いだ。曹操は疑兵を多く設け、密かに兵を載せた舟を渭水に浮かべて浮橋を作らせ、夜兵を分けて渭南に宿営した。馬超軍が
 夜宿営地を攻撃した時に、伏兵でこれを撃ち破った。五胡十六国時代の南涼(梁)の禿髪「イ辱」檀が姑蔵を守った際、後秦の姚興は姚弼等の
 将を派遣し、城下に至る。「イ辱」檀は牛馬を野に放ち、姚弼の軍はこれの略奪を始めたため、「イ辱」檀は兵を分けてこれを撃ち、大いに破る。

(何氏註続く)

226 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:13:50 ID:???
(何氏註続き)

 後魏の末、大将広陽王元深が北狄を伐ったとき、于謹を単騎で敵中に派遣し、恩信を示す。ここにおいて西部鐵勒の酋長「セ」列河等
 三万余戸、並んでこれに服し、相率いて南に遷る。広陽王は于謹と折敷嶺でこれを迎え入れようとしたが、于謹曰く「破六汗抜陵
 兵衆少なからず、「セ」列河等帰附するを聞けば、必ず来たり邀撃せん。彼若し先に険要に拠すれば、即ち與に鋒を争い難し。
 今「セ」列河等を以ってこれの餌とすれば、当に競りて来て抄掠すべく、然る後に伏を設けて待てば、必ずや掌を指しこれを破らん」と。
 広陽王はその計を然りとする。抜陵果たして来て邀撃し、「セ」列河等を嶺上に破り、部衆皆没す。于謹伏兵を発し、賊遂に大いに敗れ、
 悉く「セ」列河の衆を収め得る。
張預:これに形して既に従い、これに与えて又取らせるのは、利を以って敵を動かし来させたのであって、精兵でこれを待ち伏せする。
 李靖は卒を本として解釈したが、本を以って待つとは、整斉とし節度のある軍隊で迎撃することを言う。

故に善く戦う者は、これを勢いに求めて、人を責めず

杜佑:勝負の道は、自ら企図し得ることにあって、部下に求めたり、部隊を責めて無理に進撃させてはならないということを言う。
 秦の穆公が(百里奚を処罰した)過ちを悔い、(百里奚の息子の)孟明を重用したようなことだ。

227 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:16:40 ID:???
故に能く人を撰んで勢いに任せる。(一に「故に能く人を撰んで之に任せる」と作る。諸家「勢いに任せる」と作る者が多い。)

曹操:これを勢いに求めるとは、専ら権を任ずるなり。人を責めずとは、権変明らかなり。
李筌:勢いを得て戦えば、人が怯であっても勇になるので、故にその長所を撰んでこれを任ずる。それ勇者は戦うのに向き、
 謹慎なるものは守るに向き、智者は言論に向き、無駄な者はいない。
杜牧:善く戦う者は先ず兵勢を料り、然る後に人の材を量り、短長に従い以ってこれを任じ、能力が足りないといって責める事は無い。
 曹操が漢中に張魯を攻めていたとき、張遼、李典、楽進らが七千余人の将として合「三肥」を守らせ、護軍薜悌に教えるに、
 箱に収めた書を与え、「敵が来たらこれを開け」と言っておいた。俄に呉の孫権が十万人の衆で合「三肥」を囲んだので、
 開くとこのように書いてあった。「若し孫権至らば、張、李将軍出でて戦い、楽将軍は守り、護軍は与に戦うなかれ」と。諸将皆疑ったが、
 張遼曰く「曹操公が外征に出ている今、救援を待っていたら、敵は必ず我を破るだろう。この教えに従い、敵が攻撃の態勢を取る前に
 逆にこれを撃ち、その威勢を折って我が軍士を安心させれば、じっくり守ることができるだろう。勝負の機は、この一挙にあり」と。
 李典と張遼が同時に撃って出、果たして大いに孫権を破り、呉人の気を奪う。還りて守備を修め、衆心安らぐ。孫権は城を攻めたが、
 十日にして抜けず、即ち退く。孫盛論じて曰く「それ兵は詭道なり。合「三肥」の守りの場合には、態勢は弱く救援も無い。専ら勇者を
 任じては、即ち戦いにはやって患いを生ず。専ら怯者を任じては、即ち心懼れて保ち難し。これを以って曹操は武力を雑えて選び、
 異同を参加させ、密かに教えを与えて、その運用を統制した。事至って応じるに、符節を合わせるように機能した」と。
賈林:人を撰んで勢いに任せるとは、必勝の勢いを以って示して、人をしてこれに従わしめれば、それ以上の責任を人に与えて、
 勝負を求めるような必要が無い、ということを言う。勇怯の人を撰び、進退の勢いに任せる。

(続く)

228 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:18:55 ID:???
(続き)

陳r:善く戦う者は専ら勢いに求め、利を見ては速やかに進み、敵に先を為させず、専ら機権を任じ、人に責めを成すことが無い。
 いやしくもやむを得ずして人を用いるのであれば、撰んでこれを任ずる必要がある。
杜佑:権変の明は、人の配置を上手くし、己の形勢に任ずることにある。
梅堯臣:人を用いるに勢いを以ってするは即ち易しく、人を責めるに力を以ってするは即ち難しい。有能とは人を撰んで勢いに
 任せるにある。
何氏:勢いを得れば自ずから勝つのであって、力を以って人を責めるだけではない。
王ル:将が能く人を撰んで戦いの勢いに任じれば、即ち自然に勝つ。人とは、人事のことである。
張預:人に任せるの法は、貪を使い、愚を使い、智を使い、勇を使い、各々自然の勢いに任せ、人の不能を責めることなく、
 材の大小に随って、撰んでこれを任ずる。尉繚子曰く「その長ずるところに因りこれを用うる」と。三軍の中、歩兵に長じるものも
 あれば、騎兵に長じるものもあり、能力に因って用いれば、即ち人はその材を尽くす。また晋公が有能なものを集めてこれを
 使ったようなことも指す。

229 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:22:42 ID:???
勢いに任ずる者は、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静、危うければ則ち動、方ならば則ち
止まり、円ならば則ち行く。

曹操:自然の勢いに任せるなり。
李筌:勢いに任せて衆を御するは、当に此の如くすべし。
杜佑:これを安全な地に投ずれば即ち安んじ、これを危地に投ずれば即ち危うく、回避する所有るを知らず。勢いに任せるとは、
 自然なことである。方円の形は、なお兵の勝負の形のごとし。
梅堯臣:木石は、重き物であり、勢いを以って動かすは易く、力を以って移すは難し。三軍は非常に人数が多いので、勢いを以って
 戦わすべく、力を以って使うべきではない。これが自然の道である。
何氏:梅堯臣の註に同じ。
張預:木石の性は、これを安らかな地に置けば即ち静なるも、これを危地に置けば即ち動き、方正ならば即ち止まり、円斜ならば
 即ち行くのが、自然の勢いである。三軍の衆が、甚だ陥れば即ち懼れず、往く所が無ければ即ち固く、やむを得ずして戦うのは、
 また自然の道である。

230 :名無し整備兵:2009/05/04(月) 23:29:55 ID:+YhdKLtG
故に善く人を戦わしむるの勢いたるや、円石を千仭の山に転ずるが如きは、勢いなり。

李筌:「萌リ」通は坂の上に丸を走らせるとしたが、そのように簡単な事を言う。
杜牧:石を千仭の山に転じ、止めることができないようにするのは、山にあって石には無い。人を戦わしむるに百勝の勇有らしめて、
 彊弱一貫するのは、勢いにあって人には無い。杜元凱曰く「昔楽毅は済西の一戦に籍りて、能く彊斉を并せる。今兵威すでに成り、
 破竹の如く数節の後、刃を迎えて自ら解き、また手を著すこと無きは、この勢いなり。勢い失うべからず。」乃ち東して建業に下り、
 終に呉を滅ぼす。此の篇は大抵兵は勢いに任ずるを貴ぶを言い、険迅疾速を以って本と為す、故に力を用いること少なくして
 功多きを得ることができる。
梅堯臣:円石山に在りては、其の勢い屹然としているが、一人これを推せば、千人も制するなし。
王ル:石は自ら転ずることができないが、山の勢いに因り、止めることができなくなる。戦は簡単に勝つことはできないが、兵の勢いに
 因り、(敵が)支えることができなくなる。
張預:石を山に転がし、止めることができなくなるのは、勢いによってこれを使うからだ。兵が険に在り、制し禦ぐことができなくなるのは、
 また勢いによってこれを使うからだ。李靖曰く「兵に三勢有り。将敵を軽んじ、士戦いを楽しみ、志青雲に励み、気飄風に等し、
 これを気勢と謂う。関山狭路、羊腸狗門、一夫これを守らば、千人も過ぎず、これを地勢と謂う。敵の怠慢に因り、労役飢渇し、
 前営未だ舎せず、後軍半ば済る、これを因勢と謂う。故に用兵は勢いに任じ、峻坂に丸を走らすが如くすれば、力を用いること
 微に至るも、成功すること甚だしく博きなり」と。

十一家註孫子 勢篇 了

231 :名無し三等兵:2009/05/05(火) 04:10:08 ID:???


232 :名無し三等兵:2009/05/31(日) 08:24:57 ID:???
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も抜かれてない城は頼もしく、
    一度も抜かない兵士は頼りないからだ」
孫子「果たしてそうと言い切れますかな」
孔子「何!?」
孫子「確かに、一度も抜かれた事のない城は貴重だが、
    それは一度も抜く価値の無い城にもいえること。
    そんな城を抜いたところでどんな価値が得られるでしょうか
    これでは軍を委てて利を争ってるだけではありませぬか」
孔子「し、しかし一度も抜いた事が無い兵士など、それにも値しないのではないか?」
孫子「そんな兵士にでも、何度攻められても侵入を許していないような
    価値ある城を抜くのは勢であれども下策、
    抜かず従わせ、開いてもらうのが上策なのです」

233 :名無し整備兵:2009/06/20(土) 20:41:43 ID:qOOqqe5h
虚実篇

曹操:彼我の虚実を能くする。
李筌:善く兵を用いる者は、虚をもって実と為し、善く敵を破る者は、実をもって虚と為す。故に其の篇に次ぐ。
杜牧:それ兵は、実を避けて虚を撃つに、先ず須らく彼我の虚実を識るべし。
王ル:凡そ自ら守るに実を以ってし、敵を攻めるに虚を以ってする。
張預:形篇は攻守を言い、勢篇は奇正を説く。善く兵を用いる者は、先ず攻守の双方を斉える法を知って、然る後に奇正を知り、先ず
 奇正が相変ずる術を知って、然る後に虚実を知る。蓋し奇正は攻守より用い、虚実は奇正より見るべし。故に勢に次ぐ。

孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚にして

曹操及び李筌:力に余り有るなり。
賈林:先ず勝つ形を成す地を獲得して敵を待つ者は、即ち備えに余裕があり、士馬も休ませられる。
杜佑:賈林の註に同じ。
王ル:曹操の註に同じ。
張預:形勢の地は、我が先にこれを占拠し、以って敵人の来るを待てば、即ち士馬を休ませることができ、力に余裕ができる。

234 :名無し整備兵:2009/06/20(土) 20:44:24 ID:qOOqqe5h
後れて戦地に処して戦いに趨る者は労なり。

李筌:力足らざるなり。太一遁甲云わく「彼来たりて我を攻むれば、即ち我主と為り、彼客と為る。主は易く客は難きなり」と。太一遁甲が
 言うのは、計を定めるということである。故に労と佚には差があるのであり、先後勢いが異なることを知る。
杜牧:後周は突厥の衆が斉に逼ったので、これと呼応すべく将帥を派遣した。斉の将段韶これを禦ぐ。時に大雪の後、周人は歩卒を
 以って前鋒と為して西より下り、城を去ること二里、斉軍の諸将はこれを逆え撃たんと欲した。段韶曰く「歩人の気力勢い自ずから
 限り有り、今積雪既に厚く、逆え撃つに便にあらず、陣して以ってこれを待つに如かず。彼労にして我佚なれば、これを破ること
 必ずなり」と。既にして交戦し、大いに之を破り、前鋒尽く殪れ、その他は逃走した。
賈林:敵の処便利なれば、我即ち往かず、兵を引きて別の場所を占拠し、敵軍に敵わないように示せば、敵我が無謀を謂い、必ずや来たり
 攻め襲う。このようであれば、即ち反って敵倦れ、我は労することが無い。
孟氏:若し敵が既に有利な地にいるのであって、我が方が無理に利を追えば、士馬は疲れ、即ち不利となる。
梅堯臣:先に至りて敵を待てば即ち力完くし、後に至りて戦に趨れば即ち力屈す。

235 :名無し整備兵:2009/06/20(土) 20:47:00 ID:qOOqqe5h
(続き)

何氏:戦国時代秦師が韓を伐ち、閼與を囲む。趙は将軍趙奢を遣わしこれを救う。軍士許歴曰く「秦軍は趙軍が来るとは思っておらず、
 まだ攻める気満々です。将軍は必ず陣を厚くしてこれを待つべきで、そうでなければ必ず負けます」と。また曰く「先に北山を占拠した
 ものが勝ち、後に至るものが敗れます」と。趙奢は即ち一万の兵を発してこれに趨らす。秦兵は後に至り、山を争うも上るを得ず、
 趙奢は兵を出してこれを撃ち、大いに秦軍を破り、遂に閼與の囲みを解く。後漢の初め、諸将隗囂を征めたが、隗囂の敗るところとなる。
 光武帝は軍を「木旬」邑に集めた。未だ至らざるに、隗囂は勝ちに乗じ、その将王元と行巡に二万余人を率いさせて隴に下らせ、
 行巡を分遣して「木旬」邑を取ろうとした。漢の将「冫馬」異は即ち馬を馳せて先にこれを占拠しようとした。諸将皆曰く「敵軍は勢い盛んで
 新たに勝ちに乗じているので、與に争うべきではない。軍を有利な地に止め、ゆっくり方略を考えた方がいい」と。「冫馬」異曰く「敵軍の勢いは
 盛んで国境に臨んでいるが、小利に拘り、遂に深入りしようとしている。若し「木旬」邑を得たならば、三輔動揺するだろうから、私はこれを憂う。
 それ攻者は足らず、守者は余り有り、今先に城を占領して、佚をもって労を待てば、もって鋒を争うところにあらず」と。遂に潜んで往き、
 城を閉め旗鼓を隠した。行巡はこれを知らず、急いでこれに赴いた。「冫馬」異はその不意に乗じ、卒に鼓を撃ち旗を建てて出づるに、
 行巡の軍は驚き乱れて奔走し、追って大いにこれを破る。東魏の将であった斉の神武帝(高歓)が西魏を伐ち、軍は蒲津を過ぎ、
 洛水を渡って許原に至った。西魏の将であった周の文帝(宇文泰)の軍は沙苑に至る。高歓は宇文泰が至るを聞くと、軍を率いて
 会戦しようとした。西魏の騎兵が高歓の軍が近づいていることを報告すると、宇文泰は歩兵の将李弼に曰く「彼衆くして我は寡いから、
 平地に陣を置くべきではない。この東十里に渭曲というところがあるので、先にそこを占領して敵を待ち受けよ」と。遂に軍は渭曲に至り、
 川を背に東西に陣し、合戦して大いにこれを破る。

(さらに続く)

236 :名無し整備兵:2009/06/20(土) 20:48:07 ID:qOOqqe5h
(続き)

張預:便利の地を、敵がすでに占領しているのに、我が趨りて彼と戦えば、即ち士馬労倦し、力も足りない。或いは、戦場になるところには、
 我が先に到り、陣を立てて敵を待つべきであり、そうすれば我が佚となると謂う。敵が先に陣を結んでおり、我が後より至れば、即ち我が
 労となる。宋人が已に列を成し、楚師は未だに川を済っていないようなことである。

(続く)

237 :名無し整備兵:2009/06/20(土) 20:49:58 ID:qOOqqe5h
故に善く戦う者は、人を致して人に致されず

李筌:故に能く人を致して之を労し、人に致されずして之を佚にする。
杜牧:敵をして我について来るように致し、我は力を蓄えてこれを待つ、我から敵について行かないのは、我が疲労するのを恐れるからだ。
 後漢の張歩の将費邑は、その弟の費敢を分遣して巨里を守らせた。耿エン兵を進め、先に巨里を脅かし、多く樹木を伐採させ、「これで
 堀を埋めるのだ」と喧伝した。数日後降者があり、費邑は耿エンが巨里を攻めようとしているのを聞き、救援するよう謀を成している、と告げた。
 耿エンは乃ち厳しく軍中に令して攻具を急いで作らせ、各部隊に対し、三日後に全力で巨里城を攻めると宣言した。一方陰で捕虜の監視を緩め、
 脱走させた。脱走者は費邑に耿エンの狙いを話した。三日後、果たして費邑は自ら精兵三万余人を率いて来て、巨里の救援に当ろうとした。
 耿エンは喜んで諸将に謂いて曰く「吾が攻具を修めるは、費邑を誘致せんと欲したのみ。今来るは、その求める所に適うなり」と。即ち三千人を
 分け巨里からの出撃に対し守らせ、自ら精兵を引き岡阪に上り、高きに乗じて大いにこれを破り、遂に陣に臨んで費邑を斬る。
杜佑:両軍相遠くして、彊弱が同程度であれば、敵をして険を越えて来させるべきであり、我から険を越えて往くべきではない。必ず敵を誘致して、
 己は往き従わず。
梅堯臣:能く敵をして来させれば、即ち敵は疲労する。我が就いて行くことがなければ、即ち我は余裕がある。
王ル:人を致すとは、佚を以ってその労に乗じることであり、人に致されるとは、労を以ってその佚に乗じられることである。
何氏:敵をして自ら来させることである。
張預:敵を致して来て戦わせれば、即ち彼の勢いは常に虚であり、往かずして戦いに赴けば、即ち我が勢いは常に実である。これ即ち
 虚実彼我の術であり、耿エンが先に巨里に逼って費邑を誘致したのがこれに近い。

238 :名無し整備兵:2009/06/20(土) 20:50:51 ID:???
能く敵人をして自ら至らしむるは、これを利すればなり

曹操:これを誘うに利を以ってする。
李筌:利を以ってこれを誘えば、敵は遠くからでも至る。趙の将李牧が匈奴を誘ったのは、このことである。
杜牧:李牧は大いに家畜や牧人を野に出させ、匈奴が少数侵入してくると、偽って逃げて勝たず、数千人を敵に委ねた。単于は大いに喜び、
 衆を率いて来襲したが、李牧はこれを大いに破り、匈奴十万騎を殺した。単于は奔走し、数年間辺境に侵入してくる事がなかった。
梅堯臣:なぜ自ら来させることが出来るかといえば、利を示すからだ。
何氏:利を以ってこれを誘ってこちらに来させれば、我は佚にして敵は労なり。
張預:能く敵を致して来さしめるのは、これを誘うに利を以ってするだけである。李牧が偽って逃げ匈奴を致し、楊素が車を毀して突厥を
 誘ったようなものだ。

239 :名無し整備兵:2009/06/20(土) 20:52:13 ID:???
能く敵人をして至るを得ざらしむるは、これを害すればなり

曹操:その必ず趨く所に出で、その必ず救う所を攻める。
李筌:その急所を害すれば、彼は必ず我から離れ防御する。魏人が趙の邯鄲を囲み、趙は斉に救援を求めた。斉将田忌は趙を救おうとしたが、孫「月賓」曰く
 「結び目を解こうとするものは無理に引っ張らず、闘いを救おうとするものが殴りつけることはありません。穴を突き虚を叩けば、形がこわばり勢いが悪くても、
 自ら解けるものです。今二国相対し、精兵は遠征しており、国内には疲れた兵しかいません。我その虚を襲えば、彼必ず囲みを解き奔命し、一挙にして
 趙を救い魏を疲弊させることができます」と。後に魏は果たして趙を棄て大梁に奔り、斉軍に馬陵で遭遇して、魏軍は敗北した。
杜牧:曹操が河北を攻めた際、軍が頓丘に着くと、黒山の賊の于毒等が武陽を攻めた。曹操は乃ち兵を引き西して山に入り、于毒の本営を攻めると、于毒は
 これを聞き、武陽を棄てて還った。曹操はこれを引き寄せて迎え撃ち、大いにこれを破る。
陳r:伍子胥が楚軍を疲れさせ、孫「月賓」が魏将を走らせたようなことである。
杜佑:その必ず走るところを致し、その必ず救うところを攻め、能くその険害の要路を守れば、敵は自ら至るを得ず。故に王子曰く「一猫穴に当れば、万鼠敢えて出ず。
 一虎渓に当れば、万鹿敢えて過ぎず」と。
梅堯臣:敵が来ることができないのは、当にこれを制するに害を以ってするからである。
王ル:害を以ってこれを形すれば、敵はこれを患い至らざるなり。
張預:能く敵人をして必ず至るを得ざらしむるものは、その顧み愛するところを害するだけである。孫「月賓」が直に大梁に走り、邯鄲の囲みを解いたのはこれである。

240 :名無し三等兵:2009/06/21(日) 17:11:50 ID:???
>>名無し整備兵
お疲れ様です。
最近ここにたどり着いた者ですが、あなたの訳をとても楽しみにしております。
これからも頑張ってください。

241 :名無し整備兵:2009/06/28(日) 21:10:04 ID:???
故に敵佚なれば能く之を労し

曹操:事を以って之を煩わす。
李筌:其の不意を攻め、敵をして奔命に疲れさせる。
杜牧:高ケイが隋の文帝に陳を平定する策を献じたときに曰く、「江北は寒くして田収やや晩く、江南は土熱にして水田早熟す。
 彼の収穫の際を量り、徴兵し馬を上げ、掩襲を声言すれば、彼必ず兵を屯じ禦ぎ守り、其の農時を廃するを得るに足る。彼既に
 兵を集めれば、我便に甲を解く」と。是において陳人始めて病む。
梅堯臣:これを撓め休息を得ざらしむる。
王ル:巧みにこれを致す。
何氏:春秋の時、呉王闔閭伍員に問うて曰く「楚を伐つは如何?」と。対えて曰く「楚の執政は多いが、外患への対処に任ずる者が
 いません。3コの部隊を編成して、これを疲弊させましょう。1コ部隊が侵入すれば、楚軍は全軍が出撃します。楚軍が出撃したら、
 我は引き上げます。楚軍が引き上げれば、我はまた(別の部隊で)侵入します。楚は動員・移動だけで疲弊するでしょう。何度も
 出撃させてこれを疲れさせ、多方向から攻撃して我が真意を誤らせれば、楚軍は動員をやめます。その後で我の三軍全部で侵入
 すれば、必ずや大いに勝てるでしょう」と。闔閭はこれに従い、楚は是において始めて病む。呉は遂に郢(楚の都)に入る。
張預:多方向から攻撃して我が意図を誤らせる術により、敵を休息させない。或いは曰く、敵が若し先に戦地にいて我を待っている
 ならば、即ち敵が佚である。我は進撃してこれと戦ってはいけない。我が往かなければ、敵は必ず自ら来る。即ち是佚を変じて労に
 するなり。

242 :名無し整備兵:2009/06/28(日) 21:12:04 ID:???
飽けば能くこれを饑えさしめ

曹操:糧道を絶ち以って之を饑えさしめる。
李筌:その集積物を焚き、その農作物を刈り、その糧道を断つ。
杜牧:我が防御側で、敵が攻撃側なら、即ち糧道を断ちこれを饑えさせることができる。我が攻撃側で、敵が防御側ならどうするべきか?
 答えて曰く、敵を饑えさしめる術は、糧道を断つのみではない。これを饑えさせるには、即ち隋の高ケイが陳を平定した策に曰く「江南の
 土は薄く、舎は茅竹を多くす。蓄積あるも、皆地窖に非ず。密かに人を遣わし風に因りて火を縦ち、敵の修立を待ち、更に復た之を焼けば、
 数年を出ずして自ら財力ともに尽くすべし」と。遂にその策を行い、これに由りて陳人益々困ず。三国の時、諸葛誕、文欽寿春に拠り、
 呉の救援を待つ。司馬師はこれを討ち、諸将に謂いて曰く「彼当に囲に突して、一朝の命を決すべし。或いは謂う、大軍は久しくする
 あたわず、食を省し口を減らし、他の変があるのを願わん。賊の情を料るに、この二者に出でざれば、当に多方にして以って之を乱す
 べし」と。命に因りて囲みを合わせ、病気の兵を遣わし穀物を淮北の倉庫に集めさせて、軍士への配給を一人当たり豆三升(約600cc)
 とした。諸葛誕・文欽は之を聞き、果たして(敵の兵糧不足と思い)喜ぶ。司馬師は更に疲弊した形を敵に示し、諸葛誕等は益々余裕を
 持って食料を節約しなかった。俄に城中の兵糧が尽きると、(司馬師は)攻めて之を抜く。隋末、宇文化及が兵を率い李密を黎陽に攻める。
 李密は宇文化及の兵糧が少ないことを知り、偽ってこれと和睦し、自分の兵が疲弊していると思わせた。宇文化及は大いに喜び、兵食を
 恣にし、李密から兵糧を送るよう請うた。その後食が尽きると、その将王智略、張童仁等が所属する兵を率いて李密に投降すること、
 前後相次ぎ、宇文化及は此において遂に敗れる。
陳r:敵を饑えさしめる術は、事に臨んで機に応ずるにあり。
梅堯臣:その糧を要とし、饋るを得ざらしむる。
王ル:敵人が食を十分準備しているのに対し、我がこれを欠乏させることを謂う。曹操曰く「その糧道を絶つ」と。王ルは敵の兵糧を焼き払う
 のも手段の一つだと思う。

(続く)

243 :名無し整備兵:2009/06/28(日) 21:13:54 ID:???
何氏:呉楚七国の乱の時、周亜夫曰く「楚丘は剽軽にして、與に鋒を争うこと難し、願わくば梁を以ってこれを委ね、その食道を絶てば、
 乃ち制すべきなり」と。周亜夫は兵をケイ陽に会したが、呉は梁を攻め、梁は急ぎ救いを請う。周亜夫は兵を引き東北の昌邑に走り、
 防備を固めて守り、軽騎兵により高侯等を射撃して呉楚の兵の後ろの食道を絶つ。兵は食料が乏しくなり、饑えて退こうとして
 しばしば挑戦したが、遂に出ず、乃ち兵を引きて去る。精兵が追撃し、大いに之を破る。王莽の末、天下乱れ、光武帝の兄伯升は
 兵を起し王莽を討つも、王莽の将甄阜、梁丘賜の敗るところとなる。復たその兵衆を収容し、還りて棘陽を保つ。甄阜、梁丘賜は
 勝ちに乗じ輜重を藍郷に留め、精兵十余万人を引きて南に渡り、水に臨み、両山の間を阻んで宿営し、背後の橋を絶ち、退却する
 意思が無いことを示した。伯升は是において大いに軍士を饗し、盟約を設け、卒を三日休ませる一方、六部をして潜入させ、夜に攻撃し、
 藍郷を襲い占領して、尽くその輜重を獲る。翌朝、南より甄阜を攻め、下江の兵は東南より梁丘賜を攻めた。食乏しく陣潰え、遂に甄阜、
 梁丘賜を斬る。唐代、輔公「示石」はその偽将「二馬」恵亮、陳當世を派遣し、水軍を率いさせて博望山に駐屯させた。陳正通、徐紹宗は
 歩兵と騎兵を率い、青州山に陣取った。河間王李孝恭はここに至ると、防備を固めて戦わず、奇兵をしてその糧道を絶たせた。
 輔公「示石」軍は餓え始め、夜に我が陣に迫るが、李孝恭は動かなかった。翌日、疲労した兵を以って輔公「示石」軍の陣を攻め、
 盧祖尚をして精騎を率いさせ陣形をとって待機させた。俄に敵陣を攻めている兵を退却させると、敵軍が追撃してきたので、盧祖尚の
 軍で迎撃し、大いに之を敗る。陳正通は陣を棄て逃走した。

(続く)

244 :名無し整備兵:2009/06/28(日) 21:15:05 ID:???
(続き)

張預:我が先に挙兵するなら、即ち我は客であり、彼が主となる。客となれば即ち食不足し、主となれば即ち飽きて余り有り。若しその
 蓄積を奪い、その田野を掠め、糧を彼に因り、穀を敵に館すれば、即ち我は反って飽き、彼は反って饑える、即ちこれ客を変じて
 主と為すなり。必ずしもその集積物を焚き、その農時を廃し、然る後に能く敵を饑えさせるというわけではない。或いは彼が客となれば、
 即ちその糧道を断つ、広武君が奇兵を請うて以って韓信軍の後ろを遮絶せんと欲したのは是なり。

安ければ能く之を動かし

曹操:その必ず愛する所を攻め、その必ず趨る所に出ずれば、即ち敵をして相救わざるを得ざらしむるなり。
李筌:その必ず趨る所に出で、その意せざる所を撃ち、その必ず愛する所を攻むれば、救わざるを得ざらしむる。
杜牧:司馬懿が公孫淵を遼東に攻めた時、公孫淵は遼水で魏軍を阻む。司馬懿曰く「賊は営を堅くし塁を高くし、以って我が師を老す。
 之を攻むれば正に其の計に入る。古人曰く、敵高塁といえども、我と戦わざるを得ざらしむるは、その必ず救う所を攻むればなり。
 我今直に襄陽を指せば、即ち人内に懼れを懐き、懼れ戦いを求むれば、之を破ること必ずなり」と。遂に陣を整え過ごす。賊は其の
 後ろに兵が出現したのに気付き、果たしてこれを迎撃したが、縦に撃ち、大いに之を破り、遼東を平定した。
陳r:左伝では楚が宋を伐つとき、宋は晋に急を告げる。晋の先軫曰く「我は曹君を執り、曹・衛の田を分かちて以って宋人に賜えば、
 楚は曹・衛を愛し、必ずや許さざらん。賂を喜び頑を怒り、能く戦うことなけんや?」と。遂に楚の師を破る。
孟氏:曹操の註に同じ。
梅堯臣:その顧みる所に趨り、止むを得ざらしむる。
王ル:李筌の註に同じ。
何氏:其の愛する所を攻めれば、豈能く安んじて視ても動かないことがあるだろうか?
張預:彼が守りに安住し、自ら固守し、速戦を欲さないようであれば、即ち当にその必ず救う所を攻め、やむを得なくすれば出撃してくる
 だろう。臾駢が壁を堅くするも、秦伯其の部下に挑み、遂に皆出でて戦ったのが是である。

245 :名無し整備兵:2009/06/28(日) 21:17:51 ID:???
其の趨かざる所に出で、其の意わざる所に趨く。

曹操:敵をして相往き之を救わざるを得ざらしむるなり。
何氏:敵をして須らく我に応ずべからしむる。

千里を行くも労せざる者は、無人の地を行けばなり。

曹操:空に出で虚を撃ち、其の守る所を避け、其の不意を撃つ。
李筌:敵の備え無きに出で、孤に従い虚を撃つ、何人か之有る。
杜牧:梁の元帝時、西蜀が帝を称し、兵を率いて東下し、将に元帝を攻めようとした。西魏の大将宇文泰曰く「蜀を平らげ梁を制するは、
 この一挙に在り」と。諸将は多く異同あり。宇文泰は将軍尉遅迥に謂いて曰く「蜀を伐つの事、一に以って公に委ねる。然るに計将に
 安んぞ出でん?」と。尉遅迥曰く「蜀と中国とは隔絶すること百余年、其の山川の険阻を恃み、我が師の至るを慮らず。宜しく精甲
 鋭騎を以って星夜奔り之を襲わん。平路ならば即ち道を倍して兼行し、険途ならば即ち兵を緩め漸進せん。其の不意に出で、
 其の腹心を衝けば、必ずや風を向かえ守らざらん」と。ついに以って蜀を平らぐ。労せずというは、空虚の地にして、敵人の虞なく、
 行くも止まるも我に在り、故に労せざるなり。
陳r:それ空虚と言うは、敵人の不備に止まるに非ざるなり。ただ備えの厳ならず、守りの固からず、将弱く兵乱れ、糧少なく勢い孤にして、
 我軍を整え之に臨まば、彼必ず風を望んで自ら潰ゆ。是は我労苦せず、無人の地を行くが如し。
梅堯臣:其の意わざる所に出ず。
何氏:曹操が北の烏桓を攻めた時、謀臣郭嘉曰く「兵は神速を貴ぶ、今千里にして人を襲えば、輜重多くし、以って利に趨ること難し。
 且つ彼之を聞かば、以って備えを為すことを得る。輜重を留め、軽兵兼道し出ずるを以って、其の不意を掩うに如らず」と。曹操は乃ち
 密かに盧龍塞を出で、直に単于の庭を指す。虜卒は曹操の至るを聞き、怖れて合戦するも、大いに之を破り、「足翕」頓及び名王已下を
 斬る。又唐代に吐谷渾が辺境を寇したとき、李靖を以って西海道行軍大総管と為し、軽途二千里、空虚の地を行き、吐谷渾を平らげて
 還る。故に太宗曰く「且つ李靖三千の軽騎をして、深く虜の庭に入り、克ちて定襄を復すは、古今未だ有らざるなり」と。

(続く)

246 :名無し整備兵:2009/06/28(日) 21:19:52 ID:???
(続き)

張預:其の空虚を掩い、其の備え無きを攻めれば、千里の征といえども、人疲労せず。トウ艾が蜀を伐つに、陰平の徑に由り、無人の地
 七百里を行くがごときは是なり。

攻めて必ず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。

李筌:慮ること無ければ取り易し。
杜牧:其の東を警しめ、其の西を撃ち、其の前を誘い、其の後ろを襲う。後漢の張歩・都劇は弟の藍をして西安を守らしめ、又別の将をして
 臨シを守らしめる。臨シを去ること四十里、耿エンが軍を引きて其の間に宿営した。耿エンは西安の城が小さくても堅く、藍の兵が又精に
 して、臨シの名は大きいといえども、その実攻め易きを見る。耿エンは軍吏をして攻具を治めさせ、後五日で西安を攻めるとし、捕虜を
 わざと逃がして帰らせた。藍はこれを聞き、昼夜の防備を厳にした。五日後、夜半に耿エンは諸将に寝床で食事をさせ、明け方に臨シの
 城下に至った。護軍荀梁等はこれと争い、西安を速やかに攻めるべきだとしたが、耿エン曰く「西安は我が攻めんと欲するを聞き、日夜
 備えを為す。臨シは其の不意に出で、至れば必ずや驚き擾れる。吾これを攻むれば、一日にして必ず抜けん。臨シ抜かば、即ち西安の
 勢い孤なり。所謂一を撃ち両を得るなり」と。尽く其の策の如くとなる。後漢末、朱雋は黄巾賊の韓忠を宛に撃つ。朱雋は長囲を作り、
 土山を起こし、以って其の城内に臨む。因りて鼓を鳴らしその西南を攻め、賊はほとんどこれを防ぎに動いた。朱雋は自ら精兵五千を率い、
 その東北から攻め、城内に突入した。韓忠は即ち退き小城を保つが、懼れて投降した。
陳r:唐が上党を攻めた時、王宰は劉「禾真」が天井の険を恃み、固守の計を為さざるを知る。王宰が力攻めで拠点を奪った後に守りに
 転ずると、劉「禾真」はその険を失い、遂に本拠地を失陥した。
梅堯臣:その南を撃つと言い、実はその北を攻める。
王ル:その虚を攻めるなり。将の能ならざる、兵の精ならざる、塁の堅からず、備えの厳ならざる、救いの及ばざる、食の足らざる、心の
 一ならざるを謂う。
張預:善く攻める者は九天の上に動き、敵人をして能く備えることなからしめ、能く備えることなければ、即ち吾の攻める所のものは、
 乃ち敵の守らざる所なり。耿エンの臨シに克ち、朱雋の黄巾を討つは、ただその一端のみ。

247 :名無し整備兵:2009/06/28(日) 21:21:26 ID:???
守りて必ず固き者は、その攻めざる所を守ればなり。

杜牧:攻めずして尚守る、況やその攻めるところをや。漢の太尉周亜夫が七国を昌邑に討つや、賊は城の東南を攻めるが、周亜夫はその
 西北に備えた。俄に賊が精兵を以って西北を攻めたが、入るを得ず、このため逃走し、追撃して大いに破る。
陳r:敵の攻めざるを慮ることなく、我の守らざるを慮る。攻めざるところなければ、守らざるところなし、乃ち用兵の計備なり。
梅堯臣:賊が我の西を撃てば、亦東に備える。
王ル:守るに実を以ってす。将能にして、兵精にして、塁堅にして、備え厳にして、救い及び、食足り、心一なるを謂う。
張預:善く守るものは九地の下に蔵れ、敵をして能く測ることなからしめ、能く測ることなければ、乃ち吾の守る所のものは、乃ち敵の攻めざる
 所なり。周亜夫の東南を撃つに西北に備えるは、また是その一端なり。

故に良く攻める者は、敵其の守る所を知らず、良く守る者は、敵其の攻むる所を知らず

曹操:情泄れざるなり。
李筌:善く攻める者は、器械多き也。東魏の高歓のギョウを攻めるは是なり。善く守るは、備えを謹むなり。周の韋孝寛の晋州を守るは是なり。
杜牧:攻取備禦の情報が漏れないことをいう。
賈林:教令行われ、人心附し、備え守るは堅固にして、微かに隠れ形無く、敵人が行動を予測しようとしても、とらえどころが無いことを謂う。
梅堯臣:善く攻める者は機密を漏らさず、善く守る者は周く備え隙が無い。
王ル:善く攻める者は、敵の勝つべき隙有るを待ち、速やかにこれを攻め、即ち守ることあたわざらしむ。善く守る者は、常に勝つべからざるを
 為し、即ち攻めることあたわざらしむ。知らずというは、攻守の計の出ずる所を知らざるのみ。
何氏:攻守の謀、測るべからざらしむるを謂う。
張預:それ守れば即ち足らず、攻めれば即ち余り有り。所謂足らずとは、力弱きにあらざるなり。蓋し敵に示すに不足を以ってし、即ち敵必ず
 来たり攻める、これ敵その攻める所を知らざるなり。所謂余り有りとは、力彊きにあらざるなり。蓋し敵に示すに余り有るを以ってし、即ち
 敵必ず自ら守る、これ敵その守る所を知らざるなり。情外に泄れざるは、攻守いずれにもある。

248 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:24:38 ID:???
微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命と為る。

李筌:この二者は用兵の奇正を言う。攻守の微妙なところは、言説で形にできるものではない。微妙神なるか、敵の死生は我の形勢に懸かる、
 故に司命という。
杜牧:微とは、静である。神とは、動である。静なるは守り、動なるは攻め、敵の死生は尽く我に懸かる、故に天が命を司る如しという。
杜佑:その微妙なところは、見ることができないことを言う。変化の形は、目まぐるしいこと神のようで、故に能く敵の死生を料ること、天が命を
 司る如しという。
梅堯臣:無形とは、即ち微かかつ密かなものであって窺うことができないことを言う。無声とは、即ち神速で知ることができないことを言う。
王ル:微かかつ密かであれば窺い難く、神速であれば応じ難い、故に能く敵の命を制する。

249 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:26:17 ID:???
(続き)

何氏:孫武は虚実の法は神微に至ると論じ、後に成功の極みを見る。吾の実は、敵が虚と見なすようにし、吾の居は、敵が実と見なすようにし、
 敵の実は、吾がこれを虚にさせるようにし、敵の虚は、吾がそれを実ではないことを見抜く。蓋し敵が我の虚実を識らず、吾は能く敵の虚実を
 審らかにするのである。吾が敵を攻めようと欲すれば、彼の守るところが実であり、守らざるところが虚であるのを知り、吾は将に其の堅を避け、
 其の脆を攻め、其の亢を批(さ)け、其の虚を擣(つ)く。敵が吾を攻めんと欲するや、彼の攻める所を不急と為し、攻めざる所を要と為し、
 吾将に敵の虚を示し、我の実と闘わせ、彼が東に形を示せば、吾は西に備えを設ける。是が故に吾の攻めるや、彼は其の当に守るべき所を知らず、
 吾の守るや、敵は其の当に攻めるべき所を料らず。攻守の変は、虚実の法に出ず。或いは九地の下に蔵れ、以って吾の守りを喩える。
 或いは九天の上に動き、以って吾の攻めを比す。跡を滅して見るべからず、声を潜めて聞くべからず、地より天下に出る如く、俄に出て隙に入り、
 星耀き鬼行くが如く、入るは無間の域のようで、旋るは九泉の淵のようである。微の微なるもの、神の神なるものとは、天下の明目も其の形を窺う
 能わざるに至るの微であり、天下の聡耳も其の声を聞く能わざるに至るの神であり、形ある者も無形に至り、声ある者も無声に至る。無形でなければ、
 敵人が窺うことができなくなるだろうか。無声でなければ、敵人が聴くことができなくなるだろうか。虚実の変の極みである。善く兵を学ぶ者は、
 虚実の変に通じ、遂に神微の奥に入ることができる。善からざる者は微を尋ね神を極めることに案然とし、其の用兵の跡にこだわり、其の形声を
 くらますことができず、聞見されるに至るは、これ神微の妙は固より虚実の変にあることを知らざるなり。三軍の衆、百万の師、いずくんぞ形と声無きを
 得ん?ただ敵人の窺い聴く能わざるのみ。
張預:攻守の術は微妙神密、見るべき形無く、聞くべき声無きに至る。故に敵人の死生の命は、皆我が主となる。

250 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:31:14 ID:???
進みて禦ぐべからざる者は、其の虚を衝けばなり。退きて追うべからざる者は、速かにして及ぶべからざればなり。

曹操:にわかに往き進みてその虚懈を攻め、退くも又疾かなり。
李筌:進む者は空虚懈怠を襲い、退く者は必ず輜重先に在り、行くこと遠くして大軍始めて退き、是を以って追うべからず。後趙王石勒の兵
 葛陂に在り、雨に苦しみギョウに師を帰そうと欲したが、晋軍が其の後ろを衝く事を懼れた。張賓の計を用い、輜重を先に行かしめ、遠くして
 及ぶべからざらしむ。このため李筌は「速」の字を「遠」の間違いだと解釈した。
杜牧:既に其の虚を攻めれば、敵必ず敗れる。敗喪の後、いずくんぞ能く我を追わん?我故に以って疾かに退くを得る。
陳r:杜牧の説は間違いである。曹操が張繍を囲むや、城未だ抜かず力未だ屈せずして之を去る。張繍の兵出て其の後ろを襲う。賈「言羽」
 これを止めるも、張繍は聞かず、果たして曹操の敗る所となる。張繍は賈「言羽」に曰く「公既に能く其の敗れるを知る、必ずや能くその勝つを
 知らん」と。賈「言羽」曰く「復た敗卒を以って之を襲え」と。張繍之に従い、曹操果たして敗れる。豈これ敗喪の後、これを追う能わざるか?
 蓋し虚に乗じて進み、敵禦ぐ所を知らず、利を逐いて退き、敵追う所を知らざるを言わん。
杜佑:其の虚空を衝突するなり。
梅堯臣:其の虚に乗じて進めば、即ち我を禦ぐなく、其の弊に因りて退けば、即ち我を追うなし。
何氏:兵進まば即ち虚を衝き、兵退かば即ち速やかなるを利とする。我能く敵を制し、敵我を制する能わず。
張預:塁に対して相持する際、彼の虚隙を見るに、即ち急ぎ進みてこれを擣けば、敵豈能く我を禦がん?利を得て退くに、即ち速やかに壁に還りて
 以って自ら守らば、敵豈能く我を追わん?兵の情は速やかなるを主とし、風来たり電往くようであれば、敵制する能わず。

251 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:34:26 ID:???
故に我戦わんと欲せば、敵塁を高くし溝を深くするといえども、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり。

曹操・李筌:その糧道を絶ち、その帰路を守り、その君主を攻めるなり。
杜牧:我が主と為り、敵を客と為れば、即ちその糧食を絶ち、その帰路を守る。若し我が客と為り、敵が主と為れば、その君主を攻める。
 司馬懿が遼東を攻めた時、直に襄平を指したのが是である。
梅堯臣:その要害を攻める。
王ル:曹操曰く「その糧道を絶ち、その帰路を守り、その君主を攻めるなり」と。王ルは、敵が若し堅く守っていれば、その必ず救う所を
 攻めることで、我と戦わせることができる、と解釈する。耿エンが巨里を攻めんと欲して費邑に到るも、また是である。
何氏:魏の将司馬懿が公孫淵を征したとき、舟を浮かべて密かに遼水を渡り、長囲を作るや、忽ち賊を棄て襄平に向かう。諸将曰く
 「賊を攻めずして長囲を作るは、以って衆に示すところに非ず」と。司馬懿曰く「賊は営を堅くし塁を高くし、以って吾が兵を老れさせんと
 欲するなり。古人の言に曰く、敵塁を高くするといえども、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり、と。賊の大衆
 此れに在れば、即ち窟穴は虚なり。我直に襄平を指せば、必ずや人内に懼れを懐き、懼れて戦いを求むれば、之を破ること必ずならん」と。
 遂に陣を整え過ぐ。賊兵がその後ろに出るを見て、果たして之を迎え撃とうとした。司馬懿は諸将に謂いて曰く「以ってその営を攻めざる所は、
 正に此れを致さんと欲すればなり。失うべからず」と。即ち全兵力で逆撃し、大いに之を破り、三戦し皆勝つ。

(何氏註続く。)

252 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:36:55 ID:???
(何氏註続き。)

 唐の馬燧が田悦を討つ際、時に軍糧少なく、田悦は防禦を固め戦わず。馬燧は諸軍に令して十日の兵糧を持たせ、倉口から進み、
 田悦と「三亘」水を挟んで対峙した。李抱真、李ホウ(草かんむりに凡)問うて曰く「糧少なくして深く入る、何ぞや」と。馬燧曰く
 「糧少なければ速戦を利とす。兵法は人を致し、人に致されざるを善しとす。今田悦と「三畄」、青、エン(なべぶたに兌)の三軍
 首尾を為し、計するに戦わずして我が師を老れさせんと欲する。若し兵を分かちて其の左右を撃たば、兵少なくして未だ必ず破る
 べからず。悦且つ来たり救わば、是前後に敵を受けるなり。兵法の所謂その必ず救うを攻むれば、彼固より当に戦うべきなり。
 燧諸軍を合わせ之を破るを為す」と。馬燧は乃ち三橋道を造り「三亘」水を渡り、日中戦いを挑むも、田悦は敢えて出ず。恒州兵は
 軍少なきを以って、馬燧の進撃を恐れ、軍を引きて田悦と合流した。田悦と馬燧は翌日戦いを挑むこととし、田悦は伏兵一万人を備え、
 馬燧を迎え撃とうとした。馬燧は乃ち諸軍を引きて半夜に皆食事をさせ、鶏鳴時に先んじ、鼓を撃ち角を吹き、師を「三亘」水の傍に
 潜ませ、径を魏州に赴く。令して曰く「賊至るを聞かば、即ち止まり陣を為せ」と。又百騎と鼓角を吹くものに令し、皆後ろに留め、
 薪を抱かせ火を持たせ、軍が出発し終えたら、鼓角を止め、傍らに匿れ、田悦の軍が渡り終えたら、その橋を焚くよう命じた。
 軍が行くこと十数里、乃ち「三畄」、青、エン州の歩騎四万余人を率い、橋を渡りその後ろを掩い、風に乗って火を放ち、鼓を鳴らして
 進撃してきた。馬燧は乃ち歩兵を坐らせ動かないよう令し、陣前の草を刈り荊棘を斬るよう命じ、百歩の広さを以って陣と為した。
 勇力を募って五千余人を得、分けて前列と為し、以って賊の至るを待つ。田悦の軍至るや、乃ち火止まり気乏しく、力は衰えていたため、
 乃ち全軍でこれを撃ち、田悦の軍を大敗させた。田悦が橋まで逃げてくると、橋は既に焼かれており、田悦の軍は乱れて川に入り、
 斬首二万、「三畄」、青の軍殆ど尽く。

(続く)

253 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:37:53 ID:???
(続き)

張預:我客と為り、彼主と為れば、我は兵彊く食少なく、彼は勢弱く糧多く、即ち利は必戦に在り。敵人に金城湯池の固有りといえども、
 その険を守るを得ず、必ず来たりて我と戦う者は、その顧愛する所を攻め、之をして相救援させるにある。楚人の宋を囲むや、晋将
 之を救うが如し。狐エン曰く「楚始めて曹を得、新たに衛に婚す。若し曹衛を伐たば、楚必ず之を救い、即ち宋免る」と。之により解く。
 又晋の司馬懿が公孫淵を討つや、忽ち賊を棄て襄平に走り、その巣穴を討つ。賊果たして出でてこれを邀え、遂に逆撃し、三戦し皆勝つ。
 又その義なり。

我戦いを欲せざれば、地に画してこれを守る。

曹操:軍が煩うを欲せざるなり。
李筌:境を拒みて自ら守るなり。若し敵境に入らば、即ち天一遁甲の真人閉六戊の法を用い、刀で地を画し営と為す。
孟氏:物で地を画して以って守りと為すは、その易きを喩えるなり。蓋し我能く敵人の心を戻し、敢えて至らざらしめるなり。

254 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:40:01 ID:???
敵我と戦うを得ざる者は、其の之(ゆ)く所に乖(そむ)けばなり。

曹操:乖くとは、戻るなり。その道を戻るとは、利害をもって示し、敵をして疑わしむるなり。
李筌:乖くとは、異なるなり。奇異を設けこれを疑わせ、是を以って敵が我と戦うを得るべからざらしむ。漢の上谷の太守李広が馬を放ち鞍を卸すは、
 疑わせるなり。
杜牧:敵来たり我を攻めるに、我ともに戦わず、権変を設けて以って之を疑わせ、敵人をして疑惑し決せざらしめ、初来の心と乖き戻り、敢えて我と
 戦わざるなり。曹操が漢中の地を争うに、蜀の劉備が之を拒む。時に将趙雲が別屯を守るに、将に数十騎で軽く出で、にわかに大軍に遇う。
 趙雲は且つ闘い且つ却く。曹操軍は之を追い、趙雲を囲む。趙雲は営に入り、大きく門を開かしめ、旗を降ろし鼓を息ませた。曹操軍は伏兵が有ると疑い、
 引き去った。諸葛亮が陽平に屯し、魏延や諸将をして兵を進め東に下らしめ、諸葛亮はただ一万人のみ留めて城を守る。司馬懿に「諸葛亮城中に在り、
 兵少なく力弱し」と知られ、蜀軍の将士は色を失ったが、諸葛亮は意気自若とし、勅して軍中尽く旗を臥せ鼓を息ませ、みだりに出るを得ず、
 四門を開き地を掃いて水を撒かせた。司馬懿は伏兵が有ると疑い、是に於いて引き去り、北山に趨った。諸葛亮は参佐に謂いて曰く「司馬懿は
 吾が伏を設ける有りと謂い、山に遁れ走るなり」と。司馬懿は後に知り、頗る以って恨みと為す。曹操と呂布が相持した際、曹操軍は出て麦を収穫したが、
 呂布が衆卒を率いて至った。曹操は営に止まり千人を出陣させ、半分は堤の下に隠した。呂布は遅疑し敢えて進まず、曰く「曹操は詐り多し、
 伏中に入るなかれ」と。遂に兵を引きて去る。
陳r:左伝によれば、楚の令尹子元が鄭を伐った際、純門より入り、逵市に至るも、鄭の懸門(本城の門)発せず。子元曰く「鄭

に人あらん」と。乃ち還る。
賈林:敵の悪む所に疑兵を置き、形勝の地に屯営すれば、未だ塁塹を修めずといえども、敵人敢えて我に来攻せず。
梅堯臣:地に画してとは、たやすいことの喩えである。その道に乖くに利を以って示し、その疑いて敢えて進まざらしむ。
王ル:地に画してとはたやすく且つ明らかであることを言い、これを制するには必ず道有り。

(続く)

255 :名無し整備兵:2009/07/04(土) 20:40:48 ID:???
(続き)

張預:我主と為り、彼客となれば、我糧多くして卒寡く、彼食少なくして兵衆く、即ち利は戦わざるに在り。営塁の固を為さずといえども、
 敵必ず敢えて来て我と戦わざる者は、疑形を以って示し、その往く所に乖けばなり。楚人の鄭を伐つに、鄭の懸門発せず、楚の言葉で
 言い交わし、楚軍敢えて進まずして遁れる。又司馬懿の諸葛亮を攻めんと欲するや、諸葛亮は旗を隠し鼓を臥せ、門を開き掃除して
 水を撒く。司馬懿は伏兵有るを疑い、遂に引きて去る。亦この義なり。

256 :名無し三等兵:2009/07/05(日) 00:55:31 ID:???
「わたしはだれからも好かれる人間だ」「わたしは成功する」などといった前向きな言葉を
自分自身に繰り返し言い聞かせた場合、人によっては自信を持つのではなく、
かえって落ち込んでしまうとの研究結果が、
3日の心理学専門誌「サイコロジカル・サイエンス(Psychological Science)」に掲載された。

研究を行ったのは、カナダのウォータールー大学(University of Waterloo)の
ジョアン・ウッド(Joanne Wood)博士とジョン・リー(John Lee)博士、
そしてニューブランズウィック大学(University of New Brunswick)の
エレイン・ペルノビック(Elaine Perunovic)博士の3人。落ち込んでいる人が
前向きな言葉を自分に言い聞かせると逆に気分が落ち込む結果になると、
研究チームは指摘している。

研究では、自信がない人のグループと自信がある人のグループを対象に、
「私はだれからも好かれる人間だ」と自分に言い聞かせてもらい、その後どのように
気分が変わり、自分自身についてどのように感じるようになったかを調べた。
その結果、自信のなかった人のグループは前向きな言葉を繰り返しているうちに、
気分が一層落ち込んだという。
「自信がない人が前向きな言葉を繰り返すことで、矛盾した感情が生じるのではないか」
とウッド氏は分析する。
心理療法の分野では、前向きに考えることは幅広い治療プログラムの一環としては
効果があるとされているが、単独でそれだけを実行した場合、逆の効果をもたらす傾向が
あるとウッド氏は指摘。自己啓発本や雑誌、テレビ番組は前向きな言葉を唱え続けることで
自分の自信を高められるというメッセージを伝えるのをやめるべきだと述べている。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2618041/4331288

皆さん、そういうわけで呉子をそのまま用いるのではなく、様子を見て励ましてあげましょう

呉子 第六篇 励兵
魏武侯が尋ねた。
(中略)
呉起「主君が功績ある者を取り立てて饗応し、功績のなかった者を励ますようにすることです」
秦が軍を興して西河に進軍してきた。魏の臣はそれを聞くと、命令を待たずに装備を整えて奮って敵を討とうとする者が数万におよぶほどであった。

257 :名無し整備兵:2009/07/25(土) 22:12:50 ID:yDytEa7N
 下がっているようなので、緊急浮上。

故に人を形して我無形なれば、即ち我専らにして敵分かる。

杜佑:我は専一にして敵は分散する。
梅堯臣:他人には形が有るが、我の形が見えないため、敵は兵を分けて我に備える。
張預:吾の正は敵に奇と見えるようにし、吾の奇は敵に正と見えるようにすることが、人を形するということである。奇を以って正と為し、
 正を以って奇と為し、変化紛紜、敵をして予測できなくするのが、無形ということである。敵の形既に見われれば、我乃ち衆を合して
 以って之に臨む。我が形彰かならざれば、彼必ず勢を分かちて以って防備す。

我専らにして一と為り、敵分かれて十と為れば、是十を以って其の一を攻めるなり。

杜佑:我は敵の形を料り見、其の虚実を審らかにするため、備えるところのものは少なく、専ら一箇所に集結していられる。我の集中した
 部隊で、敵の分散した兵を撃てば、十倍の兵力が共に一を撃つことになる。
梅堯臣:一を離すこと十なれば、我常に十分を以って一分を撃つ。

即ち我衆にして敵寡なり。

杜佑:我は専ら一と為る、故に衆い。敵は分かれて十と為る、故に寡ない。
張預:敵の虚実を見れば、多く備えることに労力を費やさず、故に一箇所に集中できる。彼は即ち然らず、我が形見えず、
 故に十箇所に分散する。これをもって我の十分で敵の一分を撃つ。故に我が衆でないことはなく、敵は寡でないことは無い。

258 :名無し整備兵:2009/07/25(土) 22:14:31 ID:???
能く衆を以って寡を撃てば、即ち吾の與に戦う所の者は約なり。

杜牧:約とは少ないことである。我が塹を深くし塁を高くし、跡を滅して声を韜し、出入形無ければ、攻めて取るに測る無し。或いは
 軽兵健馬を以って其の空虚を衝き、或いは彊弩長弓を以ってその要害を奪う。左に触り右に履き、後ろを突き前を驚かす。
 昼日は旌旗を以って之を誤らせ、暮夜は火鼓を以って之を惑わす。故に敵人畏れ懾れ、兵を分けて虞を防ぐ。譬えるに山に登り城を瞰、
 簾を垂れ外を見れば、敵人の分張の勢い、我即ち尽く知るも、我の攻守の方は、敵即ち測らず。故に我能く専一にして、敵即ち分離す。
 専一なる者は力全く、分離する者は力寡し。全きを以って寡を撃つ、故に能く必ず勝つなり。
杜佑:約少にして勝ち易きを言うなり。
梅堯臣:専らを以って分を撃てば、即ち我が敵するところのもの少なし。
王ル:多くの形を為し、敵をして我に備えさせ、実際に攻めるものは即ち無形なれば、故に我専らにして敵分かれる。専らなれば即ち衆く、
 分かるれば即ち寡し。十にして一を攻めるは、大約の言のみ。
何氏:杜牧の註に同じ。
張預:それ勢聚れば即ち彊く、兵散ずれば即ち弱し。衆彊の勢を以って、寡弱の兵を撃てば、即ち衆力少なくして成功多しと。

我と與に戦う所の地は知るべからず

杜佑:挙動緻密にして、情見るべからず、彼をして出る所は知るも我が挙ぐ所を知らざらしめ、挙ぐ所を知るも吾が集まる所を
 知らざらしむるを言う。
張預:形勢無きが故なり。

知るべからざれば、即ち敵の備えるところの者多し。

梅堯臣:敵知らざれば、即ち処々備えを為す。

259 :名無し整備兵:2009/07/25(土) 22:16:13 ID:???
敵の備える所の者多ければ、即ち我と與に戦う所の者は、寡し。

曹操:形を蔵せば敵疑い、即ち其の衆を分離して我に備えるなり。少なれば撃ち易しを言う。
王ル:敵と必ず戦うの地は、敵に之を知らしめるべからず、知れば即ち力を并せ我を拒むを得る。曹操曰く「形を蔵せば即ち敵疑う」と。
張預:吾が車果何れか出で、騎果何れか来たり、徒果何れか従うか測る能わざる、故に其の衆を分離し、在る所輒ち備えを為し、
 遂に衆散じて弱く、勢分かれて衰えるを致す。是を以って吾が接戦の処を與にする所、大衆を以って孤軍に臨むなり。

故に前に備えれば即ち後ろ寡く、後ろに備えれば即ち前寡く、左に備えれば即ち右寡く、右に備えれば即ち左寡く、備えざる所無ければ、
即ち寡からざる所無し。

杜佑:敵の備える所の者多ければ、即ち士卒分散せざる無くして少なきを言う。
梅堯臣:備える所皆寡きなり。

寡きは、人に備えればなり。衆きは、人をして己に備えさしむればなり。

曹操:上の所謂「形を蔵せば敵疑う」は、即ち其の衆を分離して以って我に備えるなり。
李筌:兵を陳ぶるの地、敵人をして之を知らしめるべからず、彼疑えば、即ち衆を離して我に備えるを謂うなり。
杜牧:戦う所の地は、敵人をして之を知らしめるべからず。我が形泄れざれば、即ち左右、前後、遠近、険易、敵人知らず、亦我の何処より
 来攻するか、何くの地にて会戦するか知らず、故に兵を分かちて衛りに徹し、処々防備す。形を蔵す者は衆にして、多くを分かつ者は寡なり。
 故に衆きは必ず勝ち、寡きは必ず敗れるなり。
孟氏:人に備えれば即ち我散じ、我に備えれば即ち彼分かれる。
杜佑:敵の分散して少なきは、皆先に人に備えるなり。敵の以って我に備える所多きは、我専らにして衆なるに由る故なり。
梅堯臣:敵をして愈々備えさしむれば、即ち愈々寡きなり。
王ル:左右前後倶に備えれば、即ち倶に寡し。
何氏:諸註に同じ。
張預:左右前後、備えを為さざる処無ければ、即ち兵寡からざる所無きなり。以って寡き所の者は、兵を分かちて広く人に備えるを為せばなり。
 以って衆き所の者は勢専らにして人をして我に備えさしむるを為せばなり。

260 :名無し三等兵:2009/07/25(土) 23:04:23 ID:XF9rfYSH
そういえば播磨の別所が毛利討伐の軍議で延々と孫子暗唱してましたなぁ。

261 :名無し三等兵:2009/07/28(火) 01:54:46 ID:???
戦略研究学会の年報で海上知明「孫子研究について」ってのがあった。
孫子が西洋に兵法書としていつ頃伝わったかについて一部論じてたが
逆に、ギリシャの歴史書なんかが中国の兵法書に影響を与えてたりしないのかね。
孫子は中国だけじゃなく日本でも早くから読まれたわけだが、もっと広げて、
古代、中世での兵法書の東西交流は無かったのかなぁといつも疑問に思う。

262 :名無し三等兵:2009/07/31(金) 09:19:15 ID:???
某ピペドB強硬派は孫子を参考としていたようだ


263 :名無し三等兵:2009/08/13(木) 02:31:33 ID:???
保守

264 :名無し三等兵:2009/08/21(金) 12:26:20 ID:???
■オーストラリアで韓国人は「KFC」 … 大恥さらし

「ドジョウ一匹が川の水を濁らせる」という表現がぴったりだ。
非常識な行動でオーストラリア在住韓国人の顔を泥を塗る一部の人たちのことだ。
一部の乱れた行動のせいで「性の乱れた国」との汚名を着せられているようだった。
 
現地人や留学生の口を通じてこうした実態は随時知られているが、
問題は日増しに深刻になっているということだ。
最近では、一部の韓国人を「KFC」という言葉で揶揄するほどだ。
KFCはチキンのファーストフード店として韓国国内でも有名だが、彼らの伝える意味は違った。

「韓国人女性を『KFC』と呼びます。Korea Fucking Country です。」
ブリスベーンで語学研修をした金デミョンさん(仮名、28歳)が、衝撃的なニュースを教えてくれた。
「韓国人女性を嘲弄する『KFC』という言葉が頻繁に使われている」というのだ。
金さんは「顔を伏せずにはおれない」として、「日増しにひどくなる状況に、
韓国系市民も嘆いている」と声を高めた。

「2年前にもオーストラリアで何ヵ月か生活したが、
韓国人留学生同士や外国人相手に乱れた性生活を楽しむ人々を常に目にしました。
韓国人の急増に伴って売買春が隆盛だ、という話もよく耳にしました。」

▽ソース:スポーツ・ソウル(韓国語)(2007/01/02 11:04)
http://www.sportsseoul.com/news/life/social3/070102/200701021143390817000.htm

http://overdope.exblog.jp/4835042/







265 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:28:41 ID:???
故に人を形して我無形なれば、即ち我専らにして敵分かる。

杜佑:我は専一にして敵は分散する。
梅堯臣:他人には形が有るが、我の形が見えないため、敵は兵を分けて我に備える。
張預:吾の正は敵に奇と見えるようにし、吾の奇は敵に正と見えるようにすることが、人を形するということである。奇を以って正と為し、
 正を以って奇と為し、変化紛紜、敵をして予測できなくするのが、無形ということである。敵の形既に見われれば、我乃ち衆を合して
 以って之に臨む。我が形彰かならざれば、彼必ず勢を分かちて以って防備す。

我専らにして一と為り、敵分かれて十と為れば、是十を以って其の一を攻めるなり。

杜佑:我は敵の形を料り見、其の虚実を審らかにするため、備えるところのものは少なく、専ら一箇所に集結していられる。我の集中した
 部隊で、敵の分散した兵を撃てば、十倍の兵力が共に一を撃つことになる。
梅堯臣:一を離すこと十なれば、我常に十分を以って一分を撃つ。

266 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:30:08 ID:???
即ち我衆にして敵寡なり。

杜佑:我は専ら一と為る、故に衆い。敵は分かれて十と為る、故に寡ない。
張預:敵の虚実を見れば、多く備えることに労力を費やさず、故に一箇所に集中できる。彼は即ち然らず、我が形見えず、故に十箇所に
 分散する。これをもって我の十分で敵の一分を撃つ。故に我が衆でないことはなく、敵は寡でないことは無い。

能く衆を以って寡を撃てば、即ち吾の與に戦う所の者は約なり。

杜牧:約とは少ないことである。我が塹を深くし塁を高くし、跡を滅して声を韜し、出入形無ければ、攻めて取るに測る無し。或いは軽兵健馬を
 以って其の空虚を衝き、或いは彊弩長弓を以ってその要害を奪う。左に触り右に履き、後ろを突き前を驚かす。昼日は旌旗を以って之を誤らせ、
 暮夜は火鼓を以って之を惑わす。故に敵人畏れ懾れ、兵を分けて虞を防ぐ。譬えるに山に登り城を瞰、簾を垂れ外を見れば、敵人の分張の勢い、
 我即ち尽く知るも、我の攻守の方は、敵即ち測らず。故に我能く専一にして、敵即ち分離す。専一なる者は力全く、分離する者は力寡し。全きを以って寡を撃つ、故に能く必ず勝つなり。
杜佑:約少にして勝ち易きを言うなり。
梅堯臣:専らを以って分を撃てば、即ち我が敵するところのもの少なし。
王ル:多くの形を為し、敵をして我に備えさせ、実際に攻めるものは即ち無形なれば、故に我専らにして敵分かれる。専らなれば即ち衆く、分かるれば即ち寡し。十にして一を攻めるは、
 大約の言のみ。
何氏:杜牧の註に同じ。
張預:それ勢聚れば即ち彊く、兵散ずれば即ち弱し。衆彊の勢を以って、寡弱の兵を撃てば、即ち衆力少なくして成功多しと。

267 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:31:54 ID:???
我と與に戦う所の地は知るべからず

杜佑:挙動緻密にして、情見るべからず、彼をして出る所は知るも我が挙ぐ所を知らざらしめ、挙ぐ所を知るも吾が集まる所を知らざらしむるを言う。
張預:形勢無きが故なり。

知るべからざれば、即ち敵の備えるところの者多し。

梅堯臣:敵知らざれば、即ち処々備えを為す。

敵の備える所の者多ければ、即ち我と與に戦う所の者は、寡し。

曹操:形を蔵せば敵疑い、即ち其の衆を分離して我に備えるなり。少なれば撃ち易しを言う。
王ル:敵と必ず戦うの地は、敵に之を知らしめるべからず、知れば即ち力を并せ我を拒むを得る。曹操曰く「形を蔵せば即ち敵疑う」と。
張預:吾が車果何れか出で、騎果何れか来たり、徒果何れか従うか測る能わざる、故に其の衆を分離し、在る所輒ち備えを為し、遂に衆散じて弱く、
 勢分かれて衰えるを致す。是を以って吾が接戦の処を與にする所、大衆を以って孤軍に臨むなり。

故に前に備えれば即ち後ろ寡く、後ろに備えれば即ち前寡く、左に備えれば即ち右寡く、右に備えれば即ち左寡く、備えざる所無ければ、
即ち寡からざる所無し。

杜佑:敵の備える所の者多ければ、即ち士卒分散せざる無くして少なきを言う。
梅堯臣:備える所皆寡きなり。

268 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:35:35 ID:???
寡きは、人に備えればなり。衆きは、人をして己に備えさしむればなり。

曹操:上の所謂「形を蔵せば敵疑う」は、即ち其の衆を分離して以って我に備えるなり。
李筌:兵を陳ぶるの地、敵人をして之を知らしめるべからず、彼疑えば、即ち衆を離して我に備えるを謂うなり。
杜牧:戦う所の地は、敵人をして之を知らしめるべからず。我が形泄れざれば、即ち左右、前後、遠近、険易、敵人知らず、亦我の何処より
 来攻するか、何くの地にて会戦するか知らず、故に兵を分かちて衛りに徹し、処々防備す。形を蔵す者は衆にして、多くを分かつ者は寡なり。
 故に衆きは必ず勝ち、寡きは必ず敗れるなり。
孟氏:人に備えれば即ち我散じ、我に備えれば即ち彼分かれる。
杜佑:敵の分散して少なきは、皆先に人に備えるなり。敵の以って我に備える所多きは、我専らにして衆なるに由る故なり。
梅堯臣:敵をして愈々備えさしむれば、即ち愈々寡きなり。
王ル:左右前後倶に備えれば、即ち倶に寡し。
何氏:諸註に同じ。
張預:左右前後、備えを為さざる処無ければ、即ち兵寡からざる所無きなり。以って寡き所の者は、兵を分かちて広く人に備えるを為せばなり。
 以って衆き所の者は勢専らにして人をして我に備えさしむるを為せばなり。

269 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:37:57 ID:???
故に戦の地を知り、戦の日を知らば、即ち千里といえども会戦すべし。

曹操:度量を以って空虚会戦の日を知る。
李筌:戦の地を知るとは、即ち舟車歩騎の便なるところなり。曹操は北方がまだ安定していないのに、鞍馬を捨て、舟楫に仗り、
 呉越と彊を争い、是を以って(赤壁で)黄蓋に敗られた。呉王「三鼻」は呉楚の衆を駆り、奔りて梁鄭の間に馳す、これ戦の地日を
 知らざる者なり。故に太一遁甲に曰く「法の三門五将を計れば、主客成敗即ち知るべき也。是に於いて千里に会戦し勝つなり」と。
杜牧:宋の武帝(劉裕)が朱齢石に命じて「言焦」縦を蜀に伐たせたとき、武帝曰く「往年劉敬宣は内水より出でて黄武に向かい、
 功無くして退く。賊は我が今外水より来るに応ずるも、我は当にその不意に出ずるべきと料り、猶内水より来ると謂う。かくの如ければ
 必ず重兵を以ってフウ(倍の偏をさんずいに変える)城を守り、以って内道に備え、若し黄武に向かわば、正にその計に堕ちん。
 今大衆を以って外より成都を取り、疑兵内水に向かわば、これ即ち敵の奇を制するなり」と。この企図が先に伝わり、賊が虚実を
 知るのを慮り、別に函書を仕立てて全て封印し朱齢石に送る。箱には付紙をつけ「白帝に至れば乃ち開け」と記した。諸軍は未だ
 進撃路を知らず。白帝に至り、書を発して曰く「衆軍悉く外水より成都を取れ。臧熹・朱林は中水より広漢を取れ。羸弱をして高艦
 十余に乗らしめ、内水より黄武に向かえ」と。「言焦」縦果たして重兵を以って内水に備え、朱齢石之を滅ぼす。
陳r:杜牧の註は戦の地を知るを言うに止まり、未だ戦の日を知るを叙べず。我若し敵を伐つに、期に至るも我と戦うを得ず、敵来たりて
 我を侵すに、我必ず予め備え以って之に応ず。項羽が曹咎に謂いて曰く「我十五日に必ず梁地を定め、復た将軍と会わん」と。いやしくも
 必ず戦うの日を知らざれば、いずくんぞ能く約をなさん?
孟氏:度量を以って空虚を知り、先ず戦地の形を知り、又必ず戦うの日を審らかにすれば、千里といえども会うを期すべく、先に往きて以って
 之を待つ。若し敵すでに先に至れば、往かずして以って之を労すべし。

270 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:39:17 ID:???
(続き)

杜佑:それ善く戦う者は、必ず戦の日を知り、戦の地を知る。道を度り期を設け、軍を分け卒を雑え、遠き者は先に進み、近きものは後に発し、
 千里の会も、同時にして合わせ、都市に会するがごとし。その会地の日は、敵に知らしむる無く、之を知らば即ち備える所の処少なく、
 知らざれば即ち備える所の処多し。備えること寡ければ即ち専らに、備えること多ければ即ち分かる、分かれれば即ち力散じ、専らなれば
 即ち力全し。
梅堯臣:若し能く必ず戦うの地、必ず戦うの日を度れば、千里の遠きといえども、期を剋して與に戦うべきなり。
王ル:必ず先ず地利敵情を知り、然る後に兵法の度量を以って、其の遠近を計り、其の空虚を知り、敵の趣き応ずるの所及び戦期を審らかに
 するなり。かくのごとければ、即ち千里といえども会戦し敵を破るべし。故に曹操曰く「度量を以って空虚会戦の日を知る」とは是なり。
張預:凡そ兵を挙げ敵を伐つに、戦う所の地は、必ず先ず之を知る。師至るの日、能く敵人をして期の如く来たり、以って我と戦わしむる。
 戦の地日を知らば、即ち備える所の者専らにし、守る所の者固く、千里の遠きといえども、以って赴き戦うべし。蹇叔の晋人の師を禦ぐや
 必ず「肴殳」に於けるを知るがごときは、これ戦の地を知るなり。陳湯の烏孫の囲兵は五日にして必ず解くを知るは、これ戦の日を知るなり。
 また孫「月賓」のホウ涓馬陵に於いて、日暮に必ず至るを度るがごときは是なり。

271 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:41:05 ID:???
戦の地を知らず、戦の日を知らざれば、即ち左は右を救う能わず、右は左を救う能わず、前は後ろを救う能わず、後ろは前を救う能わず、
而して況や遠き者は数十里、近きは数里なるをや。

杜牧:管子曰く「計未だ定まらずして兵を出すは、即ち戦いて自ら毀つなり」と。
杜佑:敵すでに先んじて形勢の地に拠らば、己の方利に趣き戦を欲するも、即ち左右前後、進退に疑惑し、相救うこと能わず、況や十数里の
 間においておや?
梅堯臣:救う能わざるは、寡なきなり。左右前後、尚救う能わず、況や遠きをや?
張預:敵人何れの地に兵を会し、何れの日に接戦するかを知らざれば、即ち備える所の者専らならず、守る所の者固からず、忽ちにして
 勍敵に遇い、即ち倉遽として之と戦うも、左右前後猶相援けること能わず、又況や首尾相去ることの遼からんや?

吾を以って之を度るに、越人の兵多しといえども、亦奚んぞ勝敗に益あらん哉?

曹操:越人相聚るも、紛然無知なり。或いは曰く、(孫子が仕えた)呉と越は讎国なり。
李筌:越とは、過ぎるなり。戦の地と戦の日を知らざれば、兵人に過ぎるといえども、いずくんぞ能く其の勝敗を知らんや?
陳r:孫子は呉王闔閭の為に兵を論ずるに、呉と越は讎国なれば、故に越を言う。人に過ぎるの兵とは、意味が正しくない。
賈林:戦の地を知らず、戦の日を知らざれば、士衆多しといえども、勝敗を制する能わざるの政、亦何の益あらんや?
梅堯臣:呉と越は、敵国なり。越人多しといえども、我が之を分散するよう仕向けるので、寡なくなることを言う。
王ル:これは孫武がこの時の敵を判断したものである。越兵多しといえども、相救うことに長じていないので、勝敗の数も無益である。
張預:「吾」の字は「呉」の間違いではないか。呉越は隣国であり、しばしば相戦う、故に下文に云わく、呉人と越人相悪むなり。越国の兵、
 衆く多しといえども、但し戦の地戦の日を知らざれば、当に其の勢を分け弱くすべきを言う。

272 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:46:51 ID:???
故に曰く、勝は為すべきなり。

杜牧:勝を為すは我に在り、故に為すべきと言うなり。
孟氏:若し敵をして戦の地期日を知らざらしむれば、我の必勝、常に有るべきなり。
梅堯臣:杜牧の註に同じ。
王ル、何氏:孟氏の註に同じ。
張預:勝を為すは我に在るが故なり。形篇に云わく「勝は知るべくして為すべからず」と。今勝ちは為すべしと言うは何ぞや?
 蓋し形篇は攻守の勢を論ずれば、敵若し備え有らば、即ち必ずは為すべからざるなり。今即ち主に越兵を以って言うに、
 越人を度りて戦う所の地日を知ること必ず能わざらしむる、故に為すべきと云うなり。

敵衆しと雖も、闘うこと無からしむるべし。

杜牧:下の四事を以って之を度量すれば、敵兵衆しと雖も、我と闘い勝つことができないようにすることができる。
孟氏:敵多兵なると雖も、我能く変詐を設け、其の形勢を分け、力併せる能わざらしむるなり。
賈林:敵衆多と雖も、己の兵情を知らず、常に急に自ら備えさせれば、闘いを謀る暇あらず。
梅堯臣:いやしくも能く寡にして、何ぞ闘う有らん?
王ル:多々益々(互いに混乱して)救えず、奚んぞ恃み闘うところあらん?
張預:其の勢を分散すれば、力斉せ同進するを得ず、即ちいずくんぞ能く我と争わん?

273 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:52:07 ID:???
故に之を策するに得失の計を知り

李筌:用兵は勝を取るの兵法にて制すべし。太一遁甲の五将の計、関格掩迫の数を定めるを以って、得失は知るべきなり。
孟氏:敵情を策度し、其の施為を観れば、即ち計数知るべし。
賈林:樽俎帷幄の間に、策を以って之を籌すれば、我の得彼の失の計、皆先んじて知るなり。
杜佑:敵情を策度し、其の施す所を観れば、計数知るべし。
梅堯臣:彼の得失の計は、我算策を以って知る。
王ル:其の敵情を策し、以って得失の数を見る。
張預:敵情を籌策し、其の計の得失を知る、薛公黥布を料るの三計のごときが是なり。

274 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 18:53:51 ID:???
之を作するに動静の理を知り、

李筌:雲気、風鳥、人情を望み候れば、即ち動静知るべきなり。王莽の時、王尋昆陽を征するに、雲気有りて山を壊すが如く、営に当たりて墜ち、
 地を去ること数丈、而して光武帝其の必敗を知る。梁の王僧弁の営上に堤の如きの気有りて、侯景其の必勝を知る。風鳥、貪豺の類なり。
 李筌はこの「作」の字は「候」の字として解釈した。
杜牧:作とは、激作(挑発)することである。敵人を挑発し、我に応ざしめ、然る後に其の動静理乱の形を見るを言うなり。曹操曰く「両軍相当、
 其の将を知らざれば如何?」と。呉起曰く「賎しく勇なる者を将たらしめて鋭にして撃ち、交合して北げ、北ぐるも罰するなく、敵の進退を観るに、
 一座一起し、其の政理を以ってし、奔り北ぐるも追わず、利を見ても取らざれば、此の将謀あり。若し其の悉く衆をして北ぐるを追い、
 旗旛雑乱し、行き止るも縦横にして、利を貪り得るに務める、此の如き類は、将令行われず、撃ちて疑う勿れ」と。
陳r:作とは、為すことである。之が利害を為し、敵をして之に赴かしむれば、即ち進退の理を知るなり。
賈林:善く覘候する者は、必ず其の動静の理を知る。
杜佑:喜怒動作、其の挙止を察すれば、即ち情理得べし。故に動静権変を知るは、其の勝負を為すなり。
梅堯臣:彼の動静の理、我が発する所に因り見わる。
王ル:其の理で(敵が)動くか否かを予測する。
張預:発し作ること之を久しければ、其の喜怒を観れば、即ち動静の理、得て知るべきなり。晋の文公宛春に拘り、以って楚将子玉を怒らせ、
 子玉遂に晋軍に乗ぜらる、これ其の躁動なり。諸葛亮巾幗婦人の飾を遣わし、以って司馬懿を怒らせるも、司馬懿は終に出でて戦わず、
 これはその安静なり。

275 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 20:12:56 ID:???
之を形するに死生の地を知り、

李筌:それ陣を破り奇を設けるに、或いは旗鼓を偃せ、これを形するに弱きを以ってし、或いは虚に竈火旛幟を列ね、これを形するに
 彊きを以ってす。之を投ずるに死を以ってし、之を致すに生を以ってす、これ死生は地に因るを以って成るなり。韓信が井径を下し、
 劉裕が大「山見」を過ぐるは、即ち其の義なり。
杜牧:死生の地とは、蓋し戦地なるべきなり。之を死地に投ずれば必ず生き、之を生地に置けば必ず死す。我が多方から敵人を誤撓し、
 以って其の我に応ずるの形を観、然る後に随いて之を制すれば、即ち死生の地知るべきなり。
陳r:敵人既に動静有れば、即ち我其の形を見るを得。謀有る者は必ず生地に処し、謀無き者は必ず死地に投ず。
孟氏:形相敵情、その拠る所を観れば、即ち地の形勢生死、得て知るべきなり。
賈林:兵形を理する所を見れば、即ちその死所を知るべし。
梅堯臣:彼の生死の地は、我形に因りて見て識る。
何氏:杜牧の註に同じ。
張預:之に形するに弱きを以ってすれば、即ち彼必ず進まん。之に形するに彊きを以ってすれば、即ち彼必ず退かん。
 其の進退の際に因れば、即ち彼の拠る所の地の死と生とを知るなり。上文に云う「善く敵を動かす者は、之を形すれば、敵必ず
 之に従う」とは是なり。死地とは、傾覆の地を謂い、生地とは、便利の地を謂う。

276 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 20:14:29 ID:???
之を角(はか)るに有余不足の処を知る。

曹操:角とは、量ることである。
李筌:角とは、量ることである。其の力精勇を量れば、即ち虚実知るべきなり。
杜牧:角とは、量ることである。我の余り有るを以って、敵人の余り有るを量り、我の不足を以って、敵人の不足を量るを言う。
 管子曰く「善く攻める者は衆を料りて以って衆を攻め、食を料りて以って食を攻む、食存らざれば攻めず、備え存らざれば
 攻めず」と。司馬懿遼東を伐つに、司馬の陳珪曰く「昔上庸を攻めるに、八部並進し、昼夜息まず、故に能く一旬の半ばにして、
 堅城を抜き、孟達を斬る。今遠くに来るに、而して更に安緩とす、愚、竊かに(切に)惑う」と。司馬懿曰く「孟達衆少なく食は
 一年を支える、吾将に孟達軍の四倍、糧は一月を淹れず、一月を以って一年を図れば、いずくんぞ速やかならざるべけんや?
 四を以って一を撃たば、我が半分損耗しても敵を破る事ができる、そのため死傷を計らず糧を競うなり。今賊衆にして我寡なく、
 賊飢えて我飽き、雨水多く、功力設けず、賊の糧垂れ尽くさんとす、当に無能を示し以って之を安んず」と。既にして雨止み、
 昼夜之を攻め、竟に遼東を平らぐ。
梅堯臣:彼の有余不足の処、我量るを以って審らかにする。
王ル:角とは、相角つくを謂う。彼我の力を角つけば、即ち有余不足の処を知り、然る後に以って攻守の利を謀るべきなり。
 これと上は敵を量り戦を知る所以なり。
張預:有余とは、彊きなり。不足とは、弱きなり。敵の形を角量し、彼の彊弱の所を知る。唐太宗曰く「凡そ陣に臨み、常に吾が
 彊きを以って敵の弱きに対し、常に吾が弱きを以って敵の彊きに対す」と。いやしくも角量あらざれば、いずくんぞ之を知るを得んや?

277 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 20:16:48 ID:???
形に因りて勝を衆に錯くも、衆知ること能わず

曹操:敵の形に因りて勝を立てる。
李筌:錯とは、置く事である。形険の勢を設け、士卒の勇に因り、勝を取る。軍事の尚密なること、衆人の知るところに非ざるなり。
杜牧:形を窺えば勝敗を置くべく、智者に非ざれば能わず、固より衆人の能く知り得る所に非ざるなり。
梅堯臣:衆は我が能く勝を置くを知るも、敵の形に因るを知らず。
何氏:敵に因りて勝を置くは、衆知る能わず。
張預:敵の変動の形に因り以って勝を置くは、衆人の能く知る所に非ず。

人皆我が勝つ所以の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知ること莫し。

曹操:一形の萬形に勝つを以ってせず。或いは曰く、知を備えざるなりと。勝を制する者は、人皆吾が勝つ所以を知るも、
 吾が敵に因りて勝を制するを知ること莫きなり。
李筌:戦勝は、人之を知る。勝を制するの法は幽密にして、人の知る莫し。
杜牧:すでに勝った後、我が敵人を制したのが(世に)知られるが、(敵に)敗形を取らせるのは、元々我が仕向けたことであり、
 それがあって我が勝ったのだ。上文に云わく「近ければ之に遠きを示し、遠ければ之に近きを示し、利して之を誘い、
 乱して之を取り、実なれば之に備え、彊なれば之を避け、怒りて之を撓め、卑くして之を驕らせ、佚なれば之を労し、親しみて
 之を離す」は、これ皆勝を制するの道、人の之を知る莫し。
陳r:人ただ我の敵に勝つの善きを知るも、我が敵の敗形に因るを知る能わず。
梅堯臣:勝の跡は知り得るも、勝の象を作るを知らず。
王ル:韓信の背水の陣や幟を抜いたのが是である。人ただ水上の軍殊に死戦するを見、敗るべからず、趙軍の驚乱遁走するに
 及ぶも、吾がこのように制したのはどのような方法かを知ることが無い。
張預:勝を立つの跡は、人皆之を知るも、ただ吾が敵形に因り此の勝を制するを測ること莫し。

278 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 20:17:57 ID:???
故に其の戦いに勝つや復びせず、形に無窮に応ず。

曹操:重復せず動きて之に応ずる。
李筌:前の謀を復びせず以って勝を取るは、宜しきに随いて変を制するなり。
杜牧:敵ごとに形有り、我即ち始め能く随いて之に応じ以って勝を取る。
杜佑:死官なり。
賈林:敵形に応じ勝を制するは、即ち窮まり無し。
梅堯臣:故態を執らず、形に応じ機有り。
王ル:それ勝を制するの理は惟一つにして、勝つ所の形は窮まり無きなり。
何氏:すでに勝つの分は、再び用いず。敵来たりてこれに応ずるに、前法に循わず、故に窮まらず。
張預:すでに勝つの後、復び更に前謀を用いず、ただ敵の形に随いて之に応じ、奇を出だして窮まり無きなり。

それ兵の形は水に象る。

孟氏:兵の形勢は、水流の如く遅速の勢有りて、常無きなり。

水の形は、高きを避け下きに趨く。

梅堯臣:性なり。

兵の形は、実を避け虚を撃つ。

梅堯臣:理なり。
張預:水の下きに趨るは即ち順にして、兵の虚を撃つは即ち利なり。

水は地に因りて流れを制し

杜牧:地の下きに因る。
梅堯臣:高下に順うなり。
張預:方円斜直は、地に因りて形を成す。

279 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 20:26:30 ID:???
兵は敵に因りて勝を制す。

李筌:敵の勢に因らざれば、吾何を以ってか制せん?それ軽兵は持久すること能わず、之を守れば必ず敗れん、重兵之に挑めば必ず出でん。
 怒兵は之を辱め、彊兵は之を緩め、将驕なれば宜しく之を卑くし、将貪なれば宜しく之を利し、将疑えば宜しく之を反間する、故に敵に因りて
 勝を制する。
杜牧:敵の虚に因るなり。
賈林:敵の盛衰の形を見れば、我の因りて勝を立てるを得。
杜佑:水は地の傾側に因りて其の流れを制し、兵は敵の虧闕に因りて其の勝を取る者なるを言う。
梅堯臣:虚実に随うなり。
王ル:堤防して之を疏導するを謂う。
何氏:敵の彊弱に因りて成功する。
張預:虚実彊弱は、敵に随いて勝を取る。

故に兵に常勢無く

梅堯臣:敵に応じて勢を為す。
張預:敵に変動有り、故に常勢無し。

水に常形無し。

梅堯臣:地に因りて形を為す。
孟氏:兵に変化有り、地に方円有り。
張預:地に高下有り、故に常形無し。

280 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 20:29:04 ID:???
能く敵に因りて変化し勝を取る者は、之を神と謂う。

曹操:勢盛んなれば必ず衰え、形露われれば必ず敗れる、故に能く敵の変化に因れば、勝を取ること神の如し。
李筌:能く此の道を知るは、之を神兵と謂うなり。
杜牧:兵の勢、敵に因りて乃ち見わる、勢は我に在らず、故に常勢無し。水の形の地に因りて乃ち有るが如く、形は水に在らず、故に常形無し。
 水は地の下きに因れば、即ち石も漂わすべし。兵は敵の応えに因れば、即ち変化すること神の如くなるべき者なり。
梅堯臣:随いて変化し、微にして測るべからず。
王ル:兵に常理有るも、而して常勢無し。水に常性有るも、而して常形無し。兵に常理有るは、虚を撃つこと是なり。常勢無きは、敵に因りて
 以って之に応ずるなり。水に常性有るは、下きに就くこと是なり。常形無きは、地に因りて以って之を制するなり。それ兵勢に変有り、
 即ち敗卒なりと雖も、尚復た勝兵を撃たしむべし、況や精鋭をや?
何氏:権を行い変に応ずるは智略に在り、智略測るべからざるは、即ち神妙なる者なり。
張預:兵勢すでに定まり、能く敵の変動に因り、応じて之に勝つ、其の妙なるや神の如し。

故に五行に常勝無く

杜佑:五行は王を更える。
王ル:迭わりて相克するなり。

四時に常位無く、

杜佑:四時迭わり用いる。
王ル:迭りて相代わるなり。

281 :名無し整備兵:2009/08/22(土) 20:33:22 ID:???
日に短長有り、月に死生あり。

曹操:兵に常勢無く、盈縮は敵に随う。
李筌:五行は、休囚王相遞わり相勝つなり。四時は、寒暑往来し常に定まること無きなり。日月は、天を周ること三百六十五度と四分の一度なり。
 百刻は、春分と秋分には日夜均しく、夏至の日には昼六十刻、夜四十刻、冬至の日には昼四十刻、夜六十刻、長短均しからざるなり。
 月の初めを朔と為し、八日を上弦と為し、十五日を望と為し、二十四日を下弦と為し、三十日を晦と為す、即ち死生の義なり。孫子以為らく五行、
 四時、日月の盈縮無常なり、況や兵の形変ずるに於いて、いずくんぞ常に定まることあらんや?
梅堯臣:皆兵の敵に随うを象る所以なり。
王ル:皆兵の変化の一道に非ざるを喩えるなり。
張預:五行の休王、四時の代謝、日月の盈昃、皆兵勢の定まる無きが如きを言うなり。

十一家注孫子 「虚実篇」 了

282 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:39:15 ID:???
いつも乙です
解釈文も、解釈者の個性や戦略観が出ていていいね

283 :名無し整備兵:2009/09/05(土) 21:22:20 ID:???
十一家注孫子「軍争篇」

曹操:両軍勝を争う。
李筌:争いとは、利に趨るなり。虚実定まりて、乃ち人と利を争うべし。
王ル:争いとは、利を争う。利を得れば即ち勝つ。宜しく先ず軽重を審らかにし、迂直を計り、敵をして我の労に乗ぜしむるべからず。
張預:軍争を以って名と為すは、両軍相対し利を争うを謂うなり。先ず彼我の虚実を知り、然る後に能く人と勝を争う、故に虚実に次ぐ。

孫子曰く、凡そ用兵の法は、将命を君に受け、

李筌:君命を受けるなり。廟勝の算に遵い、恭しく天罰を行う。
張預:君命を受け叛逆を伐つ。

軍を合し衆を聚め、

曹操:国人を聚め、行伍を結び、部曲を選び、営を起こして軍陳と為す。
梅堯臣:国の衆を聚め、合して以って軍と為す。
王ル:大国の三軍は、総て三万七千五百人、若し悉く其の賦を挙ぐるや、即ち総て七万五千人。此れ所謂軍を合し衆を聚めるなり。
張預:国人を合して以って軍と為し、兵衆を聚めて以って陳と為す。

284 :名無し整備兵:2009/09/05(土) 21:23:16 ID:???
交和して舎す、

曹操:軍門を和門と為し、左右の門を旗門と為し、車を以って営を為すを轅門と為し、人を以って営を為すを人門といい、両軍相対するを
 交和と為す。
李筌:交間和雑するなり。軍を合するの後、彊弱勇怯、長短向背、間雑して之を「イ午」しくし、力相兼ね、後に諸営塁を合して敵と之を争う。
杜牧:周礼は旌を以って左右の和門を為す。鄭の司農曰く「軍門を和と曰い、今之を塁門と謂う、両の旌旗を立てて之を表し、和に敍べるを
 以って出入りを明らかにする次第なり」と。交とは、敵人と塁を対して舎し、和門相交対するを言うなり。
賈林:舎とは、止まるなり。士衆交雑和合し、軍中に止まり、利に趨り動く。
梅堯臣:軍門を和門と為し、敵と塁を対して舎し、其の門相交対するを言うなり。
何氏:和門相望み、将合戦し利を争うは、兵家の難事なり。
張預:軍門を和門と為し、敵と塁を対して舎し、其の門相交対するを言うなり。或いは曰く、上下と交わり相和睦し、然る後に以って兵を出だし
 営舎を為すべし。故に呉子曰く「国に於いて不和なれば、以って軍を出だすべからず、軍に於いて不和なれば、以って出陳するべからず」と。

軍争より難きは莫し。

曹操:始めに命を受けてより、交和に至るまで、軍争の難きなり。
杜牧:利害を争うことの難きなり。
梅堯臣:命を受けてより此に至るまでを最も難きと為す。
張預:人と相対し利を争うは、天下の至難なり。

285 :名無し整備兵:2009/09/05(土) 21:24:05 ID:???
軍争の難きは、迂を以って直と為し、患を以って利と為すにあり。

曹操:示すに遠きを以ってし、其の道里を速やかにし、敵に先んじて至るなり。
杜牧:争奪を欲するに、先ず迂遠を以って近きと為し、患を以って利と為し、敵人を誑かし紿むき、其の易きに慢らしめて、然る後に
 急に趨るなり。
陳r:軍を合し衆を聚め、交和して舎すは、皆旧制有り、惟だ軍争最も難きを言うなり。いやしくも迂を以って直と為し、患を以って
 利と為すを知らざれば、即ち敵と争う能わざるなり。
賈林:軍を全くして行き便利の地を争うは、先んじて之に拠る。若し其の地を得ざれば、即ち敵を輸ぶの勝、其の難きこと最たるなり。
杜佑:敵の途は本々迂にして、患いは道の遠きに在れば、即ち先んじて形勢の地に処す。故に曰く、患を以って利と為すと。
梅堯臣:能く迂を変じて近きと為し、患を転じて利と為すは、難きなり。
王ル:曹操曰く「示すに遠きを以ってし、其の道里を速やかにし、敵に先んじて至る」と。王ルは「示すに遠きを以ってする」とは、
 其の虞れざるを行き、或いは奇兵を間道より出だすを謂うなり。
何氏:征する所の国の、路は山険に由り、迂曲にして遠きを謂う。将利を争わんと欲すれば、即ち当に兵を分かちて奇に出で、郷導に
 随い逐い、直路に由り其の不備に乗じ、急に之を撃たば、陥険の患い有るといえども、利を得て亦速やかなり。鐘会の蜀を伐つに、
 トウ艾奇に出で、先んじて蜀に至り、蜀備え無くして降るが如し。故に下に云わく郷導を得ざれば、地の利を得る能わざるは是なり。
張預:迂曲を変じて近直と為し、患害を転じて便利と為す、此れ軍争の難きなり。

286 :名無し整備兵:2009/09/05(土) 21:25:11 ID:???
故に其の途を迂にし、之を誘うに利を以ってし、人に後れて発し、人に先んじて至る、此れ迂直の計を知る者なり。

曹操:其の途を迂にするとは、之に遠きを示すなり。人に後れて発し、人に先んじて至るとは、度数に明らかにして、先ず遠近の計を
 知るなり。
李筌:故に其の途を迂とし、進むこと速からざるを示し、人に後れて発し、人に先んじて至るなり。用兵此の若きは、患を以って利と
 為す者である。
杜牧:上解に曰く「迂を以って直と為す」とは、敵人に示すに迂遠なるを以ってし、敵の意をすでに怠らせ、復た敵を誘うに利を以ってし、
 敵の心を専念させない。然る後に一日の行程を倍にして昼夜分かたず兼行し、其の不意に出る、故に能く後れて発するも先に至り、
 敵と争うべき要害の地を得る。秦が韓軍を閼與に伐った時、趙王は趙奢に命じて韓を救援させた。邯鄲を去ること三十里にして軍中に
 曰く「軍事を以って諌める者有らば死(罪)」と。秦軍は武安の西に至り、太鼓を譟して兵を訓練すると、武安の家の屋根は皆震えるほど
 だった。趙軍の斥候が一人、急いで武安を救うよう言ったが、趙奢は直ちにこれを斬った。防壁を堅くして二十八日間留まり行かず、
 また防壁を強化した。秦の間者が来ると、趙奢はご馳走して帰した。間者が報告すると、秦将は大いに喜んで曰く「それ国を去ること
 三十里にして軍行かず、乃ち塁を増す、閼與は趙の地にあらざるなり」と。趙奢は秦の間者を帰すと、乃ち甲を巻き(兵の鎧を脱がせて
 別送する。)て趨り、二日一夜にして至る。善く射る者をして閼與を去ること五十里にして陣を敷いた。秦軍之を聞くや、悉く甲して至る。
 一人の兵士が「先に北山に拠る者が勝つ」と言うと、趙奢は一万人をしてこれに拠り、秦人来たり争うも得ず。趙奢はこの機に乗じて出撃し、
 大いに之を破る。閼與は遂に解囲した。
賈林:敵の途は本より近く、我の能く之を迂にする者は、或いは陽動部隊を以って、或いは小利を以って、他の道に之を誘い、以って軍争に
 赴くを得ざらしむ。

(続く)

287 :名無し整備兵:2009/09/05(土) 21:25:57 ID:???
(続き)

梅堯臣:其の途を遠くするとは、利を以って誘い、之を款すなり。其の発すること後れ、其の至ること先んじるとは、之を争うなり。
 能く此を知るものは、変迂転害の謀なり。
何氏:途を迂にするとは、当に行くべきの途なり。分兵を以って奇に出ずれば、即ち当に行くべきの途、迂険を以って示し、勢を
 設けて以って敵を誘い、小利を得さしめて之を縻げば、即ち奇に出ずるの兵、後れて発すると雖も亦先に至るなり。利を争うに
 須らく迂直の勢を料りて奇に出ずると言い、故に下に分合を変と為すと云い、その疾きこと風の如しとは是なり。
張預:形勢の地は、争い得れば即ち勝つ。凡そ争いに便な地に近づかんと欲すれば、先ず兵を引きて遠く去り、復た小利を以って
 敵に啗わせ、彼に我の進むを意わざらしめ、又我が利を貪らしむ、故に我は以って後れて発し先に至るを得る。此れ所謂迂を
 以って直と為し、患いを以って利と為すなり。趙奢北山に拠りて秦軍を敗る、郭淮北原に屯して諸葛を走らすは是なり。能く後れて
 発し先に至る者は、度数に明らかにして、迂を以って直と為すの謀を知る者なり。

288 :名無し整備兵:2009/09/05(土) 21:43:54 ID:CKIkPqWq
>>261

 書物自体が見つかっていないので、歴史学的には「確証が無い」としか言いようが無いのでしょう。
 とはいえ、インド生まれといわれるボードゲームが、中国にも西洋にも伝わって「将棋」「チェス」と
なったようなこともあるので、東西の知的交流が全く無かったかといえば、これも言い切れないところです。

 なお、古代西洋の兵法書としては紀元前1世紀のオナサンデル「Strategicos」や紀元1〜2世紀の
フロンティヌス「Strategemata」があるといわれます。オナサンデルは統率についても述べており、これは
20世紀まで引用されています。

>>282

 有難うございます。
 「孫子」そのものはよく引用されるのですが、注釈者の解説や引用してくる戦史も無視できないと思います。
銀雀山から出土した「孫子」の方がオリジナルに近いのでしょうけど、後漢末以降多くの軍人が読んで
影響を受けてきたのは、こちらの「孫子」と注釈なのですから。

289 :名無し整備兵:2009/09/20(日) 19:14:20 ID:???
故に軍争は利たり、軍争は危たり

曹操:善くする者は即ち以って利とし、善からざる者は即ち以って危とす。
李筌:それ軍は、将善ければ即ち利にして、善からざれば即ち危うし。
杜牧:善き者は、計度審らかなり。
賈林:我が軍先に至り、其の便利の地を得れば、即ち利たり。彼の敵先に其の地に拠り、我が三軍の衆、馳せ往きて之を争わば、即ち
 敵佚にして我労なるは、危きの道なり。
梅堯臣:軍争の事、利有るなり、危有るなり。(テキストによっては「軍争わば利たり、衆争わば危たり。」と作る。)
何氏:これ又出軍出師し、三軍の衆を駆り、敵人と相角逐し、以って一日の勝を争わば、之を得れば即ち利たり、之を失わば即ち危たり、
 軽挙すべからざるを言う。
張預:智者之を争わば即ち利たり、庸人之を争わば即ち危たり。明者は迂直を知り、愚者は之に昧きの故なり。

290 :名無し整備兵:2009/09/20(日) 19:15:18 ID:???
軍を挙げて利を争わば、即ち及ばず

曹操:遅くして及ばざるなり。
李筌:輜重の行くの遅きなり。
賈林:行軍用師、必ず其の利に趨る。遠近の勢、直ちに軍を挙げて以って往きてその利を争わば、以って速やかに至ること難し。以って
 潜かに奇計を設けるべく、敵の途程を迂にし、敵をして我が謀を知らざらしめ、即ち我先にして敵後るるなり。
杜佑:遅くして及ばざるなり。軍を挙げて悉く行き、争いて其の利に赴けば、即ち道路悉く相逮ばざるなり。
梅堯臣:軍中の有る所挙げて行けば、即ち遅緩す。
王ル:輜重あるを以っての故なり。
張預:軍を竭くして前めば、即ち行くに緩く、利に及ぶこと能わざるなり。

軍を委ねて利を争わば、即ち輜重捐てらる。

曹操:輜重を置くは、即ち捐棄されるを恐るるなり。
李筌:輜重を委棄すれば、即ち軍資闕くなり。
杜牧:一軍の物を挙げて行けば、即ち重滞遅緩し、利に及ばず。輜重を委棄し、軽兵前に追えば、即ち輜重之に因りて棄捐さるるを
 恐れるなり。
賈林:敵が知り我が後糧を絶つを恐れるなり。
杜佑:(物資を)倉庫に残置して、身軽になって前進した場合、若し敵が虚に乗じて来て、我が後方に回り込んだら、即ち我が物資が
 全損してしまう。
梅堯臣:軍中の有る所を委ねて行けば、即ち輜重棄てらる。
王ル:曹操の註に同じ。
何氏:杜佑の註に同じ。
張預:重滞を委置し、軽兵独り進まば、即ち輜重の敵の掠める所と為るを恐るる、故に棄捐なり。

291 :名無し整備兵:2009/09/20(日) 19:16:41 ID:???
是が故に甲を巻きて趨り、日夜処かず

曹操:休息を得ざれば、罷むなり。

道を倍して兼行し、百里にして利を争わば、即ち三将軍を擒わる。

杜佑:若し上の二事を慮らず、速疾に従わんと欲し、甲を巻きて仗を束ね、軍を潜めて夜行くも、若し敵其の情を知り、邀えて之を撃たば、
 即ち三軍の将、敵の擒とする所と為る。秦伯が鄭を襲い、三師皆獲るが若きは是なり。

勁き者は先んじ、疲るる者は後れ、その法十にして一至る。

曹操:百里にして利を争うは、非なり。三将軍皆以って擒となる。
李筌:一日に百二十里を行くを、即ち倍道兼行と為す、行くに若し此の如ければ、即ち勁健なる者先に至り、疲るる者後れて至る。軍に
 健なる者少なく、疲るる者多し、且つ十人にして一人先に至るべく、余は悉く後ろに在り、此れを以って敵と遇わば、何ぞ三将軍擒に
 されざらんや?曹操は劉備を逐い、一日一夜にして行くこと三百里、諸葛亮以為らく彊弩の末魯縞を穿つ能わず、無力なりと言う。
 是を以って赤壁の敗あり。ホウ涓孫「月賓」を追い、馬陵に死す、亦其の義なり。
杜牧:此の説未だ尽くさざるなり。凡そ軍の一日で行く三十里を一舎と為し、倍道兼行は再舎とす。昼夜息まざれば、即ち百里を得る。
 (一舎の倍道と為す。)若し此の如く利を争わば、衆疲れ倦み、即ち三将軍皆須らく敵の擒とする所に為る。其の法什にして一至るとは、
 已むを得ずして必ず須らく利を争わば、凡そ十人中一人を撰び、最も勁き者先ず往き、其の余の者即ち継がしめ後れて往く。万人中
 先ず千(十)人を選び、平旦(夜明け)先ず至り、其の余継けて至り、巳午時至る者有り、申未時至る者有り、各々其の力竭きざるを得、
 相続いて至り、先に往く者と声響相接するを得るに足る。凡そ利を争うは必ず是要害を争奪するにあり、千人之を守ると雖も、亦以って
 敵人を拒み抗うに足れば、以って継ぐるの至るを待つ。太宗三千五百騎を以って先ず武牢に拠り、竇建徳の十八万の衆前む能わず、
 此れ知るべき也。

292 :名無し整備兵:2009/09/20(日) 19:18:35 ID:???
(続き)

陳r:杜牧の説は、別に是用兵の一途にして、什に一にして至るの義にあらざるなり。蓋し百里にして利を争うというは、勁き者先んじ、疲るる者
 後れ、十中一を得て至り、九皆疲れ困ず、一即ち勁者なり。
賈林:路遠く人疲れ、奔馳して力尽く、此の如ければ即ち我労にして敵佚なり、撃たれ被るも何ぞ疑わん?百里にして利を争うは、慎みて為すこと勿れ。
杜佑:百里にして利を争うは、非なり。三将軍皆擒と為る。彊弱復た相待たず、卒十に一人至る有りの軍なり。「罷」の音は「疲」である。
梅堯臣:軍日に三十里行きて舎す。今即ち昼夜休まず百里を行く、故に三将軍其の擒と為る、何ぞや。渉途既に遠く、勁き者少なく、罷るる者多く、
 十中一至るを得るのみ。三将軍とは、三軍の帥なり。
王ル:罷とは、羸れるなり。此れ利を争うの道は、近きが宜しく遠きが宜しからざるを言うのみ。それ衝風の衰うるや、毛羽も起こす能わず、彊弩の末は、
 魯縞を穿つ能わず。苟しくも日夜兼行し、百里利に趨らば、縦え一分の勁者をして能く至らしむるも、固より已に困乏す。即ち敵人佚を以って我の労を撃ち、
 自ら当に戦わずして敗らるべし。故に司馬宣王曰く「吾道を倍して兼行す、此れ兵に暁るき者の忌む所なり」と。或いは曰く、趙奢亦甲を巻きて趨り、
 二日一夜にして卒かに秦に勝つは、何ぞやと。曰く、趙奢は久しく気を併せ力を積み、塁を増し間を遣わし、怯を示して以って之を驕らせ、秦をして
 其の至るを意わざらしめ、兵又堅きなり。趙奢は又閼與を去ること五十里にして軍し、秦之を聞き、兵を発し至るに及ぶに比べ、二三日にあらざれば
 能わざるなり。能く来るも、是彼に五十里敵に趨るの労あり、而して我は固より已に二三日の休息ありて、士卒其の佚に勝えず。且つ又之を険難に投じ、
 先んじて高陽に拠り、奇正相因る、何ぞ勝たざるを為さんや?
何氏:三将奇に出でて利を求め、軍衆輜重を委ね、甲を巻き速きに務むるを言う。昼夜百里息まざるが若ければ、即ち勁者能く十にして其の一至る。
 我労にして敵佚、敵衆にして我寡なれば、之を撃つに未だ必ずしも勝たざるなり。敗るれば即ち三将倶に擒となる。此れを以って孫武の深き戒めを見るなり。

(更に続く。)

293 :名無し整備兵:2009/09/20(日) 19:19:59 ID:???
(続き)

張預:甲を巻くとは、猶悉く甲するなり。悉く甲して進むは、軽重倶に行くを謂うなり。凡そ軍は日に三十里を行かば即ち止まり、六十里已上を
 過ぎれば倍道と為し、昼夜息まざるを兼行と為す。百里の遠きに人と利を争わば、軽兵前に在り、輜重後ろに在り、人罷れ馬倦み、渇きし者も
 飲むを得ず、飢えたる者も食らうを得ず、忽ちにして敵に遇えば、即ち労を以って佚に対し、飢を以って飽に敵し、又復た首尾相及ばず、故に
 三軍の帥、必ず皆敵の擒にする所と為るを謂う。晋人の秦三帥を獲るが若きは是なり。軽兵の中、十人に一人勁捷なる者先に至るを得、
 下九人悉く疲困し後ろに在り、況や重兵をや。何をか以って軽重の倶に行くを知らん?下文に曰く「五十里にして利を争わば即ち半ばは至る」と。
 若し此れ軽兵に止むれば、即ち一日に五十里行くも、遠しとは為さざるなり。いずくんぞ半ば至るの理有らん?是必ず重兵偕に行くなり。

五十里にして利を争わば、即ち上将軍蹶れ、其の法半ば至る。

曹操:蹶るとは、猶挫くなり。
李筌:百里ならば即ち十人に一人至り、五十里ならば即ち十人に五人至る。軍の威挫くも、擒に至らざるなり。道近ければ疲れに至らざるを言う。
杜牧:半ば至るとは、凡そ十人中五人の勁者を選びて先に往くなり。
賈林:上とは、猶先なり。
杜佑:蹶るとは、猶挫くなり。前軍の将、已に敵の蹶し敗る所と為る。
梅堯臣:十中に五を得るも、猶遠くして勝つ能わず。
王ル:罷労の患い、太半を減らし、挫敗に止むるのみ。
張預:路甚だしくは遠からず、十中の五至るも、猶軍威挫く、況や百里をや。上将蹶るとは、前軍先に行くを言うなり。或いは問う、唐太宗宋金剛を
 征するに、一日一夜に二百余里を行き、又能く克ち勝つは何ぞやと。答えて曰く、此れ形同じくして勢い異なるなり。且つ金剛既に敗れ、衆心已に沮い、
 迫りて之を滅ぼせば、即ち河東立ちに平らぐ、若し其の之を緩めれば、賊必ず生きて計す。此れ太宗の疲頓を計らず力逐する所以なり。孫子の
 陳ぶる所は利を争うの法なり。蓋し此れと異なるべきなり。

294 :名無し整備兵:2009/09/20(日) 19:20:59 ID:WVqqul8y
三十里にして利を争わば、即ち三分の二至る。

曹操:道近ければ至る者多し、故に死敗すること無きなり。
李筌:近く疲れざるなり、故に死亡無し。
杜牧:三十里の内、凡そ十人中六七人以って先に往くべきなり。其の法を言わざるは、上文を挙げて知るべきなり。
杜佑:道近ければ即ち至るもの多く、故に死敗を言わず、勝負未だ知るべからざるなり。古の者は師を用いるに、日に行くこと三十里、
 歩騎相須つ、今徒に利に趨り、三分の二至る。
梅堯臣:道近く至るもの多く、庶わくば或いは勝有り。
王ル:彼我の勢を計り、宜しく須からく争うべき者は、或いは亦当に然りとす。三分の二至ると雖も、蓋し其の精鋭者の力、未だ労乏に
 至らず、以って敗を為すに決すべからず、故に其の法と云わざるなり。
張預:路近くして疲れず、至る者太半にして、行列の政を失わず、人馬の力絶えず、庶幾わくば以って勝を争うべし。上三者は、
 皆軍を挙げて利を争うを謂うなり。

是が故に軍に輜重無ければ即ち亡び、糧食無ければ即ち亡び、委積無ければ即ち亡ぶ。

曹操:此の三者無ければ、亡びの道なり。
李筌:輜重無き者は、供する所を闕くなり。袁紹十万の衆を有するも、曹操荀攸の計を用い、袁紹の輜重を焚焼し、袁紹を官渡に敗る。
 糧食無き者は、金城有りと雖も、食重からざるなり。孔子曰く「食を足らしめ兵を足らしめ、民に之を信ぜしめん」と。故に漢赤眉の
 百万の衆食無くして、君臣宜陽に面縛さる。是を以って善く兵を用いる者は、先ず耕してしかる後に戦う。委積無き者は、財乏しく
 闕くなり。漢の高祖に漢中無く、光武帝に河内無く、曹操にエン州無ければ、軍北げ身遁ずるも、豈能く復た振るわん?
杜牧:輜重とは、器械及び軍士の衣装なり。委積とは、財貨なり。
陳r:此れ軍を委ねて利を争うの難きを説くなり。
梅堯臣:三者無くべからず、是軍を委ねて利を争うべからざるなり。
王ル:委積とは、薪蒭蔬材の属なり。軍は此の三者を恃みて以って済む、軽離すべからざるなり。
張預:輜重無ければ即ち器用供せず、糧食無ければ即ち軍餉足らず、委積無ければ即ち財貨充たらず、皆亡覆の道なり。此の三者は
 軍を委ねて利を争うを謂うなり。

295 :名無し三等兵:2009/09/20(日) 20:57:40 ID:???
連休中にいろいろゆっくり考えたかったからナイスタイミング


296 :名無し整備兵:2009/10/14(水) 23:19:56 ID:???
故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず

曹操:敵の情謀を知らざる者は、交わりを結ぶ能わざるなり。
李筌:予とは、備えるなり。敵の情を知り、必ずその交わりに備える。
杜牧:非なり。予とは、先んずるなり。交わるとは、兵を交えるなり。諸侯の謀は、先ず須らく之を知るべく、然る後に兵を交え合戦
 するべきを言う。若しその謀を知らざれば、固より与に兵を交うるべからざるなり。
陳r:曹操の説は、以為らく、先ず敵人の作謀を知らざれば、即ち外援を予め結ぶ能わずと。(李筌・杜牧の)二説並び通る。
梅堯臣:敵国の謀を知らざれば、即ち隣国と予め交わり以って援助と為す能わざるなり。
張預:先ず諸侯の実情を知り、然る後に与に交わりを結ぶべし。その謀を知らざれば、即ち翻覆を恐れ患いと為る。其の隣国援けを
 為すは、亦軍争の事なれば、故に下文に曰く「先ず至れば天下の衆を得る者を衢地と為す」は是なり。

山林、険阻、沮澤の形を知らざる者は、行軍すること能わず

曹操:高くして崇なる者を山と為し、衆樹の聚まる所を林と為し、坑塹ある者を険と為し、一高一下ある者を阻と為し、水草漸洳なる者を
 沮と為し、衆水の帰る所にして流れざる者を澤と為す。先ず軍の拠る所及び山川の形を知らざれば、即ち師を行かしむ能わざるなり。
梅堯臣:山林険阻の形、沮澤濘「三卓」の所、必ず先ず審らかに知る。
張預:高くして崇なる者を山と為し、衆樹の聚まる所を林と為し、坑坎ある者を険と為し、一高一下ある者を阻と為し、水草漸洳なる者を
 沮と為し、衆水の帰る所にして流れざる者を澤と為す。凡そ此の地形悉く能く之を知り、然る後に人と利を争い行軍するべし。

297 :名無し整備兵:2009/10/14(水) 23:21:43 ID:???
郷導を用いざれば、地の利を得ること能わず

李筌:敵境に入り、山川の狭隘、地土の泥濘、井泉の不利を恐れ、人をして之を導かしめて以って地の利を得る。易経に曰く「鹿に即きて
 虞れる無し」と。即ち其の義なり。
杜牧:管子曰く「凡そ兵の主は、必ず先ず審らかに地図を知る。カン轅の険、濫車の水、名山通谷、経川陵陸丘阜の在る所、苴草林木
 蒲葦の茂る所、道里の遠近、城郭の大小、名邑廃邑園殖の地、必ず尽く之を知り、地形出入の相錯じる者は尽く之を蔵め、然る後に
 地の利を失わず」と。衛公李靖曰く「凡そ是賊徒、好みて相掩襲す。須らく勇敢の夫を択び、明察の士を選び、兼ねて郷導たらしめ、
 潜みて山林を歴し、其の声を密かにし、其の跡を晦ます。或いは刻みて獣足と為し、却って中途に履き、或いは上に微禽を冠し、
 叢薄に幽伏す。然る後に耳を傾けて以って遠く聴き、目を竦めて深く視、智を専らにして以って事機を度り、心を注して気色を視る。
 水痕を睹れば即ち敵の済るの早晩を知り、樹の動くを観れば即ち来寇の駆馳を弁ずべし。故に烽火謹にして審らかなるに若くは莫く、
 旌旗斉にして一なるに若くは莫し。賞罰は必ず重くして欺かず、刑戮は必ず厳にして捨てず。敵の動静あるも、我備え有るなり。敵の機謀
 あるも、我先に知るなり」と。
陳r:凡そ此の地の利とは、郷人を用いて導引と為すに非ざれば、即ち地の利を知る能わざるなり。
杜佑:彼の郷人に任せず軍を導く者は、即ち道路の便利を得る能わざるなり。
梅堯臣:凡そ丘陵原衍の向背、城邑道路の迂直、人の引導に非ざれば、得る能わざるなり。

(続く)

298 :名無し整備兵:2009/10/14(水) 23:23:19 ID:E5cWdAbN
(続き)

何氏:郷導略に曰く、禽に従う者は、若し山虞の官の其の形勢の可否を度ること無ければ、即ち徒に林中に入りて、終に鹿を獲ること能わず。
 出征する者は、若し彼の郷の人のその道路の迂直を導くこと無ければ、即ち境外に至ると雖も、終に寇を獲ること能わず。それ辞を奉じ
 討つを致すを以って、未歴の地に趨り、声教未だ通じず、音駅絶つる所、其の阻に深く入るは、亦艱からざらんや。我孤軍にして以って往き、
 彼は密かに厳にして待てば、客主の勢已に相遠し、況や其の専ら詭譎を任じ、多方より以って我を誤る。苟しくも計らずして直ちに進み、
 危を冒し長躯すれば、険に躋らば即ち壅決の害有り、昼行けば即ち暴来の闘い有り、夜止まらば即ち虚驚の憂い有り。倉卒備え無くして、
 其のコウ(「穀」の禾の代わりに弓)中に落つ、是乃ち熊虎の師を擁するも、自ら死地に投ず、又安くんぞ能く逆塁を靡かせ、狡穴を蕩かさん?
 故に敵国の山川、陵陸、丘阜の以って険を設けるべき者、林木、蒲葦、茂草の以って隠れ蔵すべき者、道里の遠近、城郭の小大、邑落の寛狭、
 田壌の肥痩、溝渠の深浅、蓄積の豊約、卒乗の衆寡、器械の堅脆、必ず能く尽く之を知る、即ち虜目中に在りて、擒にするに足らざるなり。
 昔張騫嘗て大夏に使いするに、匈奴の中に留まること久しく、軍を導いて利を知り、水草の処を善くし、其の軍以って飢渇すること無きを得る。
 茲に亦能く其の便利を獲るなり。凡そ郷導を用いるは、或いは軍虜に行きて其の人を獲るに、須らく賊の謀、陰に姦計を持し、其の誤りを誘うを
 為すを防ぐべし、必ず其の色を鑒みるに在りて、其の情を察し、数人の言を参験し、始終一の如ければ、乃ち準と為すべし。其の頒賞を厚くして
 之に恩を懐かしめ、其の室家を豊かにして之に心を係らしめれば、即ち吾が人と為り、当に翻覆する無かるべし。然るに素より用に堪える者を
 畜なうに如かず、但能く行途を諳練するは、必ずしも土人ならずとも、亦任ずべきなり。仍ち腹心の智勇の士を選び、挟みて偕に往けば、即ち
 巨細必ず審らかにして、蹤を指して失う無きなり。
張預:山川の夷険、道路の迂直、必ず郷人を用い引きて之に導かせれば、乃ち其の利する所知るべくして争い勝つ。呉の魯を伐つに、カイ(會に
 おおざと)人之を導きて以って武城に克つは是なり。

299 :名無し整備兵:2009/10/24(土) 22:35:30 ID:???
故に兵は詐を以って立ち

杜牧:敵人を詐り、我が本情を知らしめず、然る後に能く勝を立てるなり。
梅堯臣:詭道に非ざれば事を立てる能わず。
王ル:迂を以って直と為し、患を以って利と為すを謂うなり。
何氏:形勢を張り以って敵を誤らせるなり。
張預:変詐を以って本と為し、敵をして我が奇正在る所を知らしめざれば、即ち我立つを為すべし。

利を以って動き

杜牧:利とは、利を見て始めて動くなり。
梅堯臣:利に非ざれば動くべからず。
王ル:之を誘うなり。
何氏:敵を量りて撃つべきは即ち撃つ。
張預:利を見て乃ち動き、妄りに発せざるなり。左伝に曰く「三軍利を以って動く」と。

分合を以って変を為す者なり。

曹操:兵の一分一合は、敵を以って変を為すなり。
李筌:詭詐を以って其の利に乗じて動き、或いは合し或いは分かれ、以って変化の形を為す。
杜牧:分合とは、或いは分かれ或いは合し、以って敵人を惑わし、其の我の形に応ずるを観、然る後に能く変化し以って勝を取るなり。
陳r:合し乍ら分かれ乍ら、随いて之を更え変ずるなり。
孟氏:兵法詭詐、利を以って敵の心を動かし、或いは合し或いは離れ、変化の術を為す。
梅堯臣、王ル:曹操の註に同じ
張預:或いは其の形を分散し、或いは其の勢を合聚するは、皆敵の動静に因り変化を為すなり。或いは曰く「変とは奇正相変ずるを謂い、
 敵をして測ることなさしむる。故に衛公兵法に云わく『兵散ずれば即ち合を以って奇と為し、兵合すれば即ち散を以って奇と為す。
 三令五申、三散三合し、正に復帰する』と」

300 :名無し整備兵:2009/10/24(土) 22:36:25 ID:???
故に其の疾きこと風の如く

曹操:空虚を撃つなり。
李筌:進退なり。其の来るや跡無く、其の退くや至りて疾きなり。
梅堯臣:来るに形跡無し。
王ル:速やかに虚に乗ずるなり。
何氏:梅堯臣の註に同じ
張預:その来るや疾暴にして、向かう所皆靡く。

其の徐かなること林の如く

曹操:利を見せざるなり。
李筌:陣を整えて行く。
杜牧:徐とは、緩なり。緩やかに行くの時は、須らく行列有ること林の木の如きを言うなり。敵人の掩襲を為すを恐るるなり。
孟氏:緩やかに行くに須らく行列有ること林の如くし、以って其の掩襲を防ぐを言う。
杜佑:利を見ざれば前まず、風吹きて林小さく動くも、其の大なるは移らざるが如し。
梅堯臣:林の森然として乱れざるが如きなり。
王ル:斉粛なり。
張預:徐とは、舒かなり。舒緩にして行くに、林の木の森々然たるが若く、未だ利を見せざるを謂うなり。尉繚子曰く「重き者は山の如く
 林の如く、軽き者は炮の如く燔の如し」と。

侵し掠めること火の如く

曹操:疾きなり。
李筌:火の燎原に遺草無きが如し。
杜牧:猛烈にして嚮うべからざるなり。
賈林:敵国を侵し掠めるは、火の燎原の如く、往復するべからず。
張預:詩経に曰く「火の烈々なるが如く、我敢えて遏む莫し」と。勢い猛火の熾るが如きを言い、誰か敢えて我を禦がん?

301 :名無し整備兵:2009/10/24(土) 22:37:09 ID:go+dxZeI
動かざること山の如く

曹操:守るなり。
李筌:軍(車)を駐むるなり。
杜牧:壁を閉じて屹然とし、揺動するべからざるなり。
賈林:未だ便利を見ざれば、敵我を誘い誑かすも、我因りて動かず、山の安らかなるが如し。
梅堯臣:峻にして犯すべからず。
王ル:堅く守るなり。
何氏:止まること山の鎮静なるが如し。
張預:持重する所以なり。荀子の議兵篇に云わく「圓居にして方正、即ち磐石然の若く、之に触るものは角摧す」と。動かざるの時は、
 山石の移すべからざるが如く、之を犯す者は其の角を立て毀す。

知り難きこと陰の如く

李筌:其の勢い測られざること陰の如く、万象覩る能わず。
杜牧:玄雲の如く天を蔽い、三辰も見えず。
梅堯臣:幽隠にして測るなし。
王ル:形を蔵すなり。
何氏:暗秘にして料るべからず。
張預:陰雲の如く天を蔽い、辰象を覩る莫し。

動くこと雷震の如し。

李筌:盛んに怒るなり。
杜牧:空中から下を撃つが如く、避ける所を知らざるなり。
賈林:其の動くや疾くして応ずること及ばず。太公曰く「疾雷耳を掩うこと及ばず」と。
梅堯臣:迅くして避けること及ばず。
王ル:虞れざるも至る。
何氏:謀を蔵し以って奮うこと此の如し。
張預:迅雷の如く忽ち撃ち、避ける所を知らず。故に太公曰く「疾雷掩うこと及ばず、迅電目を瞬くこと及ばず」と。

302 :名無し三等兵:2009/11/09(月) 15:27:43 ID:???
ほしゅぢゃ

303 :名無し三等兵:2009/11/11(水) 00:58:32 ID:???
ようやく、コピペ&編集し終えた。
明日から解釈の日々か

304 :名無し三等兵:2009/11/16(月) 07:51:50 ID:???
関連スレ

ここの>>17で出ていた理論系の総合スレが立ちました

【孫子呉子ゲバラ】軍事理論を学ぶスレ【クラウゼハート】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1256526595/



305 :名無し三等兵:2009/11/16(月) 09:02:19 ID:???
↑期待とはうらはらに良スレとは……

306 :名無し三等兵:2009/11/16(月) 22:35:27 ID:???
良スレに出来るかどうかは
1の力量次第

スレ立てしてスレの内容に合ったネタを投下出来なければ
ただのスレの立て逃げ

だから軍事板が出来てから10年間、古典兵書や戦略理論系のスレで良スレにまで成長したスレは少ない

もしかしたら、ここぐらいでは

何にしろ総合スレは過去数年前要望があるからな
高いハードルだが、総合スレの1さんは頑張って欲しい

307 :名無し整備兵:2009/11/21(土) 22:37:04 ID:F9EqrMQA
 大規模規制もありましたが、前の書き込みから丸々1ヶ月のブランクか・・・
 この連休で、少しは書き足そうと思います。保守してくださった皆様に感謝。

308 :名無し整備兵:2009/11/22(日) 20:05:18 ID:???
郷を掠めて衆を分かち

曹操:敵に因りて勝を制するなり。
李筌:抄掠するに必ず兵を分かちて数道と為すは、不虞を懼れるなり。
杜牧:敵の郷邑聚落、守兵有ること無ければ、六畜財穀、剽掠に易き、即ち須らく次第を分番し、衆人をして皆往くを得さしめ、
 独り往く所有るべからず。此の如ければ、即ち大小強弱、皆敵と利を争うを欲するなり。
陳r:それ郷邑村落、一処に非ざるに因り、其の備え無きを察し、兵を分かちて之を掠める。
賈林:三軍は言を遣わすべからず、故に旌旗を以って指向す。隊伍は語を伝うべからず、故に麾幟を以って衆を分かつ。
 故に敵の陣形に因り勢を為すべし。此れ尤順にして訓練分明、師徒習いに服するなり。(「掠郷」を「指向」とするテキストがある。)
梅堯臣:以って士卒を饗す。
王ル:郷は以って其の衆に分かつ所を指す。郷の音は向。
何氏:掠物を得れば、即ち衆と分かつ。
張預:用兵の道、大率糧を敵に因らんと務むるも、然るに郷邑の民、積む所多からず、必ず兵を分かちて随処之を掠むれば、
 乃ち用いるに足るべし。

309 :名無し整備兵:2009/11/22(日) 20:07:13 ID:???
地を廓して利を分け

曹操:敵の利を分かつなり。
李筌:敵地を得れば必ず分かちて利害を守る。
杜牧:廓とは、開くなり。開土拓境、即ち分割し有功者に与う。韓信漢王に言いて曰く「項王人の功有りて封爵に当る者を使いて、印「元リ」を刻むも、
 忍びて与う能わず。今大王誠に能く其の道に反し、天下の城邑を以って功臣を封ぜば、天下は取るに足らざるなり」と。三略曰く「地を獲れば之を裂く」と。
陳r:其の土地を獲ると言うは、即ち屯田し種を蒔き、以って敵の利を分かつなり。
賈林:廓とは、度るなり。敵の拠る所の地の利を度り、其の利を分かつなり。
梅堯臣:功有るに与うなり。
王ル:地形を廓視し、以って便利に拠り、敵をして専らならしむなかれ。
張預:開廓平易の地、必ず兵を分かちて利を守る、敵人をして之を得さしむべからず。或いは曰く「地を得れば即ち有功者に分かち賞する」と。
 今上下の交わりを観るに、之を謂うに非ざるを恐るなり。

権を懸けて動く。

曹操:敵を量りて動くなり。
李筌:権とは、量り秤るなり。敵の軽重と我に銖鎰の別有らば、即ち動く。それ先に動かば客と為り、後に動かば主と為る、客難にして主易きなり。
 太一遁甲定計の算、明らかに動くは易きなり。
杜牧:権を懸くて衡るが如く、秤量已に定まり、然る後に動くなり。
何氏:杜牧の註に同じ。
張預:権を懸けて衡るが如く、軽重を量り知り然る後に動くなり。尉繚子曰く「敵を権し将を審らかにし然る後に動く」と。敵の軽重を権量し、
 将の賢愚を審らかに察し、然る後に挙するを言うなり。

310 :名無し整備兵:2009/11/22(日) 20:08:17 ID:???
先ず迂直の計を知る者は勝つ、此れ軍争の法なり。

李筌:迂直とは道路なり。労佚餒寒は、道路に生ずる。
杜牧:軍争を言う者は、先ず須らく遠近迂直を計り、然る後に以って勝を為すべし。其の計量の審らかなるや、権を衡に懸けるが如く、
 錙銖を失わず、然る後に以って動き勝を取るべし。此れ乃ち軍の勝を争うの法なり。
梅堯臣:利害を称量して動くに、預め遠近の方を知ること在らば即ち勝つ。
王ル:敵を量り軽重を審らかにして動き、又迂直を知るは必勝の道なり。
張預:凡そ人と利を争うに、必ず先ず道路の迂直を量り、審らかに察して後に動かば、即ち労頓寒餒の患い無く、而して且つ進退遅速、
 其の機を失わず、故に勝つなり。

「軍政」に曰く

梅堯臣:軍の旧典なり。
王ル:古軍書なり。

「言えども相聞こえず、故に金鼓を為す。

杜佑:金とは、鉦鐸なり。其の音声を聴き、以って耳候と為す。
梅堯臣:以って耳を威すなり。耳声により威す、清からざるべからず。
王ル:鼓ヘイ(鼓の下に卑)鉦鐸の属なり。坐作進退、疾徐疎数、皆其の節有り。

視れども相見えず、故に旌旗を為す」と。

杜佑:其の指麾を瞻、以って目候と為す。
梅堯臣:以って目を威すなり。目色により威す、明らかならざるを得ず。
王ル:部曲行列整斉なるを表すなり。

311 :名無し整備兵:2009/11/22(日) 20:12:09 ID:???
夫れ金鼓旌旗とは、人の耳目を一つにする所以なり。

杜佑:鼓は進み鐸は退き、旌は賞し旗は罰す、耳は金鼓を聞き、目は旌旗を見る、故に乱れざるなり。勇怯にして進退能わざる者は、
 旗鼓に由り正すなり。
張預:それ用兵既に衆なれば、地を占めること必ず広く、首尾相遼く、耳目接せず。故に金鼓の声を設け、之をして相聞こえしめ、
 旌旗の形を立て、之をして相見さしめ、視聴均斉なれば、即ち百万の衆といえども、進退一なるが如し。故に曰く、衆を闘わすこと
 寡を闘わすが如しは、形名是なりと。

人既に専一なれば、即ち勇者も独り進むを得ず、怯者も独り退くを得ず、此れ衆を用いるの法なり。

杜牧:旌は以って令を出し、旗は以って号に応ずる。蓋し旗とは、即ち今の信旗なり。軍法に曰く「当に進むべきに進まず、当に退くべきに
 退かざる者は、之を斬る」と。呉起の秦人と戦うや、戦未だ合わざるに、一夫其の勇に勝えざる有り、前みて双首を獲て返るも、
 呉起之を斬る。軍吏進みて諌めて曰く「此れ材士なり、斬るべからず」と。呉起曰く「材士を信ずるは、令に非ざるなり」と。乃ち之を斬る。
梅堯臣:人の耳目を一にするとは、人の視聴をして斉一にして乱れざらしむるなり。之を鼓すれば即ち進み、之を金すれば即ち止まり、
 右に麾けば即ち右し、左に麾けば即ち左し、勇怯を以って独り先んずるべからざるなり。
王ル:三軍の衆をして、勇怯進退斉一ならしむる者は、鼓鐸旌旗の為なり。
張預:士卒専心一意、惟だ金鼓旌旗の号令に在り。当に進むべきに即ち進み、当に退くべきに即ち退き、一つ違い有る者は必ず戮す。
 故に曰く「令して進まざるに進むと、令して退かざるに退くは、厥の罪惟だ均しと。尉繚子に曰く「鼓鳴り旗麾き、先ず登る者は未だ嘗て
 多力の国士に非ずんばあらざるなり、将たる者の過ちなり」と。先に登り儁を獲る者を賞するべからざるを言うは、進退一ならざるを
 恐れるのみ。

312 :名無し整備兵:2009/11/22(日) 20:14:11 ID:???
故に夜戦には火鼓多く、昼戦には旌旗多きは、人の耳目を変ずる所以なり。

李筌:火鼓は、夜の視聴する所なり。旌旗は、昼の指揮する所なり。
杜牧:軍士の耳目をして、皆旌旗火鼓に随い変わらしむるなり。或いは曰く「夜戦に火鼓を多くするは、その旨如何?夜黒の後、
 必ず原野に陣を列すること無く、敵と期を刻して戦うなり。軍敵営を襲うに、鼓を鳴らし火を然もさば、以って敵人の耳を警め、
 敵人の目を明らかにするに適い足り、我に返って害あり、其の義安くにか在らん?」と。答えて曰く「当(富)なる哉問いや!
 此れ乃ち孫武の微旨なり。凡そ夜戦うは、蓋し敵人我が塁に来襲し、已むを得ずして之と戦う、其の法は立営の法に在り、
 陣と小しく同じ。故に「志」に曰く『止まれば即ち営を為し、行かば即ち陣を為す』と。蓋し大陣の中、必ず小陣を包み、大営の内、
 亦小営を包む。蓋し前後左右の軍、各自営有りて環遶し、大将の営は、中央に居り、諸営之を環り、隅には鈎聯を落とし、曲折相対し、
 天の壁塁星を象る。其の営相去ること上は百歩を過ぎず、下は五十歩を過ぎず、道径通達し、以って隊の列部を出すに足り、
 壁塁相望み、以って弓弩相救うに足る。十字路口毎に、必ず小堡を立て、上に柴薪を致し、穴は暗道と為し、胡梯之を上にし、
 人をして看守せしむ。夜黒の後、声鼓四起せば、即ち燎を燔くを以ってす。是を以って賊我を夜襲し、営門に入ると雖も、四顧屹然とし、
 復た小営有り、各自堅く守り、東西南北、攻める所を知らず。大将の営は或いは諸々の小営中にあり、先ず賊の至る者有るを知り、
 放せて尽く入らしめ、然る後に鼓を撃ち、諸営斉しく応じ、衆堡火を燎け、明るきこと昼日の如くし、諸営の兵士是に於いて門を閉じ
 塁に登り、下に敵人を瞰、勁弩彊弓、四向倶に発す。敵人に韓(信)白(起)の将、鬼神の兵有ると雖も、亦能く計る無きなり。
 唯だ夜我を襲わざるを恐る、来れば即ち必ず敗ると。若し敵人或いは能く一営に潜入せば、即ち諸営火を挙げ兵を出し、四面之を繞り、
 営中に号令し、輒動するを得ず、須臾の際、善悪自ら分かれ、賊若し出走するも、皆羅網に在り。
(杜牧註続く。)

313 :名無し整備兵:2009/11/22(日) 20:15:20 ID:lEi9GBsp
(杜牧註続き。)

故に司馬宣王諸葛亮の営塁に入り、其の曲折を見、曰く「此れ天下の奇才なり」と。今の営を立つるや、通洞豁達、雑えて以って之に居り、
 若し賊の夜来たりて営を斫るもの有らば、万人も一時に驚き擾る。斥候を多く致し、厳しく備え守りを為すと雖も、晦黒の後、彼我分かれず、
 衆力有ると雖も、亦用いる能わず。
陳r:杜牧が夜黒の後、必ず原野に陣を列すること無く、敵人と期を刻して戦うと言うは、非なり。天宝の末、李光弼五百騎を以って河陽に
 趨るに、多く火炬を列し、首尾息まず。史思明の数万の衆、敢えて之に逼らず、豈止まりて賊の営を斫るを待つのみならんや?
賈林:火鼓旌旗、以って聴望すべく、故に昼夜之を用いるを異にす。
梅堯臣:多きは、以って敵人の耳目を変惑せんと欲す。
王ル:多きは視聴を震駭する所以にして、我の威武声気に「執の下に心」(とら)えしむるなり。左伝に曰く「鼓を多くし声を鈞しくし、夜を以って
 之に軍す」と。
張預:凡そ敵と戦うに、夜なれば即ち火鼓息まず、昼なれば即ち旌旗相続くは、敵人の耳目を変乱し、其の以って我の計に備える所を
 知らざらしむる所以なり。越の呉を伐つや、水を夾みて陣す。越は左右に句卒を為し、夜或いは左に或いは右に、鼓譟して進ましむ。
 呉師分かちて以って之を禦ぎ、遂に越の敗る所と為る。是火鼓を以って惑わすなり。晋の斉を伐つや、司馬をして山沢の険を斥かしめ、
 至らざる所ありと雖も、必ず旆して疎らに之を陣す。斉侯畏れて脱し帰る。是旌旗を以って惑わすなり。

314 :名無し三等兵:2009/11/25(水) 22:35:54 ID:???
>>307

いつも乙です

315 :名無し三等兵:2009/12/27(日) 22:12:13 ID:???
兵法書の類も出てくるかな?

曹操の墓、河南省安陽で発見=副葬品に「魏武王」、遺骨も−中国
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009122700152

三国志・曹操の墓を発見か 河南省発表「遺骨や碑文も」
ttp://www.asahi.com/international/update/1227/TKY200912270256.html

「三国志」の英雄・曹操の墓発見…中国テレビ報道
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091227-OYT1T00675.htm

316 :名無し整備兵:2009/12/27(日) 23:17:15 ID:TYQp3Acu
>>315

 今伝わってるのとは全然違う「孫子」とか出てきたら、面白そうですね。
 さすがに600代はやばいのでage

 いい加減に続きを書けとかのツッコミは却下

317 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 00:39:27 ID:???
孟徳新書は焼き捨てたよw

318 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 02:07:26 ID:???
>>317
釣り針にもならんよ

319 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 14:29:40 ID:???
個人的には『接要』が出てくるとうれしいのだが。
『東観漢記』や竹簡時代の書物の原本も出てくればもっと嬉しい。

320 :名無し三等兵:2009/12/29(火) 20:00:15 ID:???
>>315

孔明の罠


321 :名無し三等兵:2009/12/30(水) 15:41:57 ID:???
韓信の股くぐり

322 :名無し三等兵:2010/01/09(土) 08:30:52 ID:???
>>315
「曹操の墓」に異議あり=「魏武王」の石枕は盗掘押収品−中国
ttp://www.jiji.com/jc/zc?key=%c1%e2%c1%e0&k=200912/2009122900574

曹操の陵墓疑問視に反論 中国の考古研究所
ttp://sankei.jp.msn.com/world/china/091231/chn0912312100005-n1.htm

323 :名無し整備兵:2010/01/11(月) 22:12:10 ID:Lly8zO5b
故に三軍も気を奪うべし

曹操:左氏の言うに、一鼓気を作り、再びすれば衰え、三たびすれば竭くと。
李筌:気を奪うとは、その鋭勇を奪うなり。斉の魯を伐つに、長勺に於いて戦う。斉人一たび鼓するや、公将に戦わんとす。曹「歳リ」曰く
 「未だ可ならず」と。斉人三たび鼓するや、「歳リ」曰く「可なり」と。乃ち戦いて、斉師敗績す。公其の故を問う。「歳リ」曰く「それ戦は、
 勇気なり。一鼓気を作り、再びすれば衰え、三たびすれば竭く。彼竭きて我盈つ、故に之に克つ」と。三軍の気を奪いしなり。
杜牧:司馬法は戦は力を以って久しくし、気を以って勝つ、と。斉の魯を伐つに、荘公将に長勺に於いて戦わんとす。公将に之を鼓さんとする。
 曹「歳リ」曰く「未だ可ならず」と。斉人三たび鼓するや、「歳リ」曰く「可なり」と。斉師敗績す。公其の故を問う。対えて曰く「それ戦は、勇気なり。
 一鼓気を作り、再びすれば衰え、三たびすれば竭く。彼竭きて我盈つ、故に之に克つ」と。晋将カン丘倹、文欽反き、諸軍は楽嘉に屯す。
 司馬景王枚を銜え徑を之に造る。文欽の子文鴦、年十八にして、勇は三軍に冠するに、曰く「其の未だ定まらざるに及び、城に登りて鼓噪し
 之を撃てば、破るべし」と。既にして三たび之を噪するも、文欽応ずる能わず、鴦退き、相与に引きて東す。景王諸将に謂いて曰く「欽走るなり」と。
 鋭軍を発して之を追う。諸将曰く「文欽の旧将文鴦は小なれども鋭なり、軍を引きて内に入り、未だ利を失うこと有らず、必ず走らざるなり」と。
 王曰く「一鼓気を作り、再びすれば衰え、三たびすれば竭く。文鴦鼓するに文欽応じず、其の勢い已に屈す、走らずして何をか待たん」と。
 文欽果たして引きて去る。

(続く。)

324 :名無し整備兵:2010/01/11(月) 22:16:02 ID:Lly8zO5b
(続き。)

王ル:震執衰惰、即ち軍の気奪わるなり。
何氏:淮南子曰く「将勇に充ちて敵を軽んじ、卒果敢にして戦を楽しみ、三軍の衆、百万の師、志は青雲を獅ャ、気は飄風の如く、声は雷霆の如く、
 誠を積み踰え威を敵人に加う、此れを気勢と謂う」と。呉子曰く「三軍の衆、百万の師、軽重を張り設けるは、一人に在り、是を気機と謂う」と。
 故に気を奪う者は恃む所有りて、乗ずる所有らば、即ち可なり。
張預:気とは、戦いの恃む所なり。それ生を含み血を稟け、鼓作し闘争す、死して省みざる者も、気をして然らしむなり。故に用兵の法は、
 其の士卒を激するが若く、上下をして怒りを同じくすれば、即ち其の鋒当るべからず。故に敵人新たに来るは気鋭く、即ち且つ以って戦わずして
 之を挫くには、其の衰倦を伺いしかる後に撃つ。故に彼の鋭気、以って奪うべきなり。尉繚子謂うに気実なれば即ち闘い、気奪わるれば即ち走るは、
 此の謂いなり。曹「歳リ」の言う一鼓作気とは、初来の気盛んなるを謂い、再びすれば衰え、三たびすれば竭くは、陣久しければ人倦むを謂う。
 又李靖曰く「守るは其の壁を完くし其の陣を堅くするのみに止まらず、必ずや吾が気を守り、待つ有るをいう」と。所謂其の気を守るとは、
 常に吾の気を養い、鋭盛にして衰えざらしめ、然る後に彼の気を得て奪うべきなり。

325 :名無し整備兵:2010/01/11(月) 22:22:43 ID:Lly8zO5b
将軍も心を奪うべし

李筌:之に怒りて憤らしめ、之を撓めて乱れさしめ、之を間して疎ならしめ、之に卑くして驕らしめれば、即ち彼の心奪うべきなり。
杜牧:心とは、将軍の心中以って軍を為すに倚頼する所の者なり。後漢の寇恂隗囂を征するに、囂将高峻高平第一を守る。高峻は軍将皇甫文を
 遣わし出でて寇恂に謁するに、辞礼不屈、寇恂怒りて之を斬り、其の副を遣わす。高峻惶恐し、即日城門を開き降る。諸将曰く「敢えて問う、
 其の使を殺し其の城を降すは、何ぞや?」と。寇恂曰く「皇甫文は、高峻の腹心にして、其の計を取る所の者なり。今来たりて辞気屈さず、
 必ず降る心無し。之を全うすれば即ち皇甫文其の計を得、之を殺さば即ち高峻其の肝を亡なわん、是を以って降すのみ」と。後燕の慕容垂子の
 寶を遣わし衆を率いて後魏を伐たしむ。始め寶の来るや、垂已に疾有り。自ら五原に到るや、道武帝其の来路を経ち、父子問絶す。道武帝乃ち
 其の行人の辞を詭り、河に臨みて之に告がしめて曰く「父既に死す、何ぞ遽やかに還らざる?」と。寶兄弟之を聞き、憂い懼れ以為らく然らんと信じ、
 夜に因りて遁れ去る。道武帝之を襲い、参合ハ(おおざとに皮)に於いて大いに破る。
梅堯臣:鼓旗の変を以って惑わし其の気を奪い、軍既に気を奪わるれば、将亦心を奪わる。
王ル:紛乱諠譁、即ち将の心を奪うなり。
何氏:先ず須らく己の心を能く固くし、然る後に以って敵将の心を奪うべし。故に左伝に曰く「先人は人の心を奪う有り」と、司馬法曰く「本より心固く
 新たな気が勝つ」とは是なり。
張預:心とは、将の主たる所なり。それ治乱勇怯、皆心に主たり、故に能く敵を制する者は、之を撓めて乱れさしめ、之を激して惑わしめ、之に迫りて
 懼れさしめる、故に彼の心謀以って奪うべきなり。

326 :名無し三等兵:2010/01/12(火) 21:26:53 ID:???


327 :名無し三等兵:2010/01/12(火) 23:09:44 ID:???
レッドクリフ

328 :名無し整備兵:2010/01/16(土) 21:20:24 ID:???
是故に朝気は鋭く

陳r:初来の気は、気方に盛鋭なれば、之と争うこと勿れ。
孟氏:司馬法に曰く「新気は旧気に勝つ」と。新気は即ち旧気なり。
王ル:士衆凡そ初めて気を挙げるは鋭きなり。

昼気は惰にして

王ル:漸く久しければ少しく怠る。

暮気は帰る。

孟氏:朝気とは、初めの気なり。昼気とは、再び作るの気なり。暮気とは、衰竭の気なり。
梅堯臣:朝とは、其の始めを言うなり。昼とは、其の中を言うなり。暮とは、其の終わりを言うなり。兵は始め鋭く、久しければ即ち惰りて
 帰るを思う、故に撃つべし。
王ル:怠る事久しければ意は帰る、復た戦うの理無し。

329 :名無し整備兵:2010/01/16(土) 21:23:36 ID:???
故に善く兵を用いる者は、其の鋭気を避け、其の惰帰を撃つ、此れ気を治める者なり。

李筌:気とは、軍の気勇なり。
杜牧:陽の気は子(の刻)に生じ、寅(の刻)に成り、午(の刻)に衰え、申(の刻)に伏す。凡そ晨朝の気は初め盛んにして、其の来たるや
 必ず鋭く、故に須らく之を避け、其の衰えるを候ち、伏してより之を撃たば、必ず勝つ。武徳中、太宗と竇建徳水の東に戦う。竇建徳の
 陣を列ねるや、弥(いよい)よ数里に亙る。太宗将に数騎をもって高きに登り之を観、諸将に謂いて曰く「賊険を度りて囂しきは、是軍に
 政令無し。城に逼りて陣するは、我を軽んじるの心有り。兵を按じて出でず、敵の気の衰えるを待つ、陣すること久しければ卒飢え、
 必ず将に自ら退くべし、退かば之を撃つ、何ぞ往きて克たざらん!」と。竇建徳陣を列ねること卯より午に至り、兵士飢え倦み、悉く列して
 右に坐り、亦争いて水を飲む。太宗曰く「撃つべきなり」と。遂に戦い、竇建徳を生きて擒とす。
陳r:辰巳に陣を列ねる有りて、午未に至り未だ勝たざる者あり、午未に陣を列ね申酉に至り未だ勝たざる者あり、必ずしも須らく晨旦なれば
 陽気と為し、申午なれば衰気と為すべきを事とせず。太宗の竇建徳を攻めるや、高きに登りて之を望み、諸将に謂いて曰く「賊鋭を尽くして
 来たり攻む、我当に少しく之を避くべし、退かば即ち騎を以って之を留むべし」と。明を以って須らく晨旦とすべからざるなり。凡そ彼鋭きこと
 有れば、即ち此の如く之を避く、然らざれば即ち否なり。
杜佑:其の精鋭の気を避け、懈惰にして帰らんと欲するを撃つ、此れ気を理する者なり。曹「歳リ」の説くは是なり。
梅堯臣:気盛んなれば撃つ勿れ、衰懈すれば敗り易し。

330 :名無し整備兵:2010/01/16(土) 21:25:08 ID:???
(続き)

何氏:それ人情に安きを楽しみ危うきを悪み、生を好み死を恐れざるは莫し。故無くして之を駆り尸臥すの地に就かせ、兵をして戦いの場に趨るを
 楽しませるは、其の心の畜なう所にして、忿怒して闘いを欲するの気有るに非ず、一旦乗じて之を激すれば、難を冒して顧みず、危を犯して
 畏れざるも、即ち未だ嘗て悔い怯えざることあらず。今天下の懦夫の心激する所有らば、即ち卒爾としてして争い闘うこと、ただ諸「歳リ」のみなるに
 あらず。刃を操り闘いを求めるに至る者は、気の乗ずる所なり、気衰えれば即ち息み、惻然として悔ゆ。故に三軍の強寇を視ること処女を視るが如き者は、
 其の忿怒に乗じ、而して激する所有るなり。是を以って即墨の囲、五千人が撃ちて燕師を却らす者は、燕の降を「鼻リ」し塚を掘るの怒りに乗ずるなり。
 秦の闘う士の我に倍するは、三たび施すも報い無きの怒りに因り、我怠りて秦奮う所以なり。二者は、気を治むるに道有りて、其の気に乗じて用いる所なり。
張預:朝は始めを喩え、昼は中を喩え、暮は末を喩える、早晩を以って辞と為すに非ざるなり。凡そ人の気は、初めて来たり新たに至れば即ち勇にして鋭く、
 陣すること久しく人倦めば即ち衰う。故に善く兵を用いる者は、其の鋭盛なるに当るや、即ち堅く守りて以って之を避け、其の惰帰を待ち、即ち兵を出だし
 以って之を撃つ。此れ所謂善く己の気を治め、以って人の気を奪う者なり。前趙の将遊子遠の伊予羌を敗り、唐の武徳中太宗の竇建徳を破るは、
 皆此の術を用いる。

331 :名無し整備兵:2010/01/16(土) 21:28:23 ID:???
治を以って乱を待ち、静を以って譁を待つ、此れ心を治むる者なり。

李筌:敵の変を伺い、因りて之に乗ず。
杜牧:司馬法に曰く「本心固なり」と。敵を料りて勝を制するは、本心已に定まるも、但し之を調え治めるに当りては、安静堅固ならしめ、
 事に撓むを為さず、利に惑うを為さず、敵の乱を候ち、敵の譁しきを伺い、即ち兵を出だし之を攻めるなり。
陳r:政令一ならず、賞罰明らかならず、之を乱と謂う。旌旗錯雑し、行伍軽々しく囂しき、之を譁と謂う。敵を審らかにして是の如ければ、
 即ち出でて之を攻む。
賈林:我の整治を以って、敵の撓乱を待ち、我の清浄を以って、敵の諠譁を待つ、此れ心を治むる者なり。故に太公曰く「事は必ず克つより
 大なるは莫く、用は玄黙より大なるは莫し」なり。
梅堯臣:鎮静にして敵を待てば、衆心即ち寧なり。
王ル:陳rの註に同じ。
何氏:それ将は一身の寡、一心の微なるを以って、百万の衆を連ね、虎狼の敵に対し、利害の相雑、勝負の紛揉、権智の万変、而して胸臆の
 中に措置するや、其の中廓然として、方寸乱れざるに非ざるに、豈能く変に応じて窮まらず、事を処して迷わず、卒然として大難に遇って
 驚かず、案然として万物に接し惑わざるや?吾の治まるや以って乱を待つに足り、我の静なるや以って譁を待つに足る、前には百万の敵有り、
 而して吾之を視るや、即ち小寇に遇うが如し。亞夫の寇を禦ぐや、堅く臥して起きず、欒箴の敵に臨むや、以って整なるを好み又以って
 暇なるを好む。それ此の二者を審らかにするや、何の術を以って薀なる?蓋し其の心之を治むるに素有り、之を養うに余り有るなり。
張預:治にして以って乱を待ち、静にして以って譁を待ち、安にして以って躁を待ち、忍にして以って忿を待ち、厳を以って懈を待つ、此れ所謂
 善く己の心を治め、以って人の心を奪う者なり。

332 :名無し整備兵:2010/01/16(土) 21:30:45 ID:???
近きを以って遠きを待ち、佚を以って労を待ち、飽を以って飢を待つ、此れ力を治むる者なり。

李筌:客主の勢なり。
杜牧:上文に云う人を致して人に致されず是なり。
杜佑:我の近きを以って、彼の遠きを待ち、我の閑佚なるを以って、彼の疲労を待ち、我の充飽なるを以って、彼の飢虚を待つ。此れ人の力を
 理する者なり。
梅堯臣:人の力困竭し以って自ら弊すること無し。
王ル:余りあるを以って不足を制するは、善く力を治むるなり。
張預:近くして以って遠きを待ち、佚にして以って労を待ち、飽にして以って飢を待ち、誘いて以って来たるを待ち、重きを以って軽きを待つ、
 此れ所謂善く己の力を治め、以って人の力を困する者なり。

333 :名無し整備兵:2010/01/16(土) 21:32:00 ID:???
正正の旗を邀うる無かれ、堂堂の陣を撃つ勿れ、此れ変を治むる者なり。

曹操:正正とは、斉のうなり。堂堂とは、大なるなり。
李筌:正正とは、斉整たるなり。堂堂とは、部分れるなり。
杜牧:堂堂とは、懼れ無きなり。兵は、敵に随いて変ず、敵に此の如き有らば、即ち之を撃つ勿れ、是能く変を治むるなり。後漢の曹操ギョウ
 (業におおざと)を囲むや、袁尚救いに来たる。曹操曰く「袁尚若し大道従り来たれば、当に之を避くべし、若し西山循り来たれば、此れ擒と
 成るのみ」と。袁尚果たして西山循り来たり、逆えて撃ち大いに之を破るなり。
梅堯臣:正正として来たり、堂堂として陣するは、懼れ無きを示すなり、必ずや奇変あり。
王ル:本より要撃すべきも、以って視るに整斉盛大なる、故に変ず。
何氏:所謂強なれば即ち之を避くるなり。
張預:正正とは、形名斎整たるを謂うなり。堂堂とは、行陣広大なるを謂うなり。敵人此の如ければ、豈軽々しく戦うべけんや?軍政に曰く
 「可なるを見て進み、難を知りて退く」と。又曰く「強なれば之を避く」と。須らく変通を識るべきを謂う。此れ所謂善く変化の道を治め、以って
 敵人に応ずる者なり。

334 :名無し三等兵:2010/01/17(日) 09:11:32 ID:???
いつもdクス

335 :名無し整備兵:2010/01/17(日) 20:46:04 ID:???
故に用兵の法は、高陵は向かう勿れ、丘を背にするは逆う勿れ

李筌:地勢なり。
杜牧:向かうとは、仰ぐなり。背にするとは、倚るなり。逆うとは、迎えるなり。敵が高処に在れば、仰ぎ攻めるべからず、敵が丘山に倚りて
 下に来たり戦いを求むるは、之を逆うべからざるを言う。此れ下より高きに趨るは力乏しく、高きより下に趨るは勢い順なるを言うなり、
 故に向かえ迎えるべからず。
孟氏:敵が丘陵を背にして陣を為さば、後ろの患い有ること無く、即ち当に軍を平地に引くべし、之を迎え撃つ勿れ。
杜佑:敵若し丘陵険阻に依拠するや、兵を陳べて敵を待ち、軽々しく攻め趨る勿れ。既に馳す勢い不便にして、及べば殞石の衝有るなり。
梅堯臣:高陵は向かう勿れとは、敵其の高きに処り、仰ぎ撃つべからず。丘を背にするは逆う勿れとは、敵高きより来たり、逆え戦うべからず。
 勢い不便なり。
王ル:此の如く不便なれば、即ち当に陣を厳にして以って変を待つなり。
何氏:秦の韓を伐つや、趙王趙奢をして之を救わしむ。秦人之を聞き、悉く甲して至る。軍士許歴軍事を以って諌めんと請う。曰く「秦人不意に
 趙師の此れに至り、其の来たるや気盛んなり、将軍必ず其の陣を厚く集め以って之を待て、然らざれば必ず敗れん。今割きに北山に上り
 拠る者が勝ち、後れて至る者は敗れる」と。趙奢之に従い、即ち万人を発して之に趨る。秦兵後れて至り、山を争うも上るを得ず、趙奢は兵を
 縦いて之を撃ち、大いに秦軍を破る。後周将を遣わし高斉を伐ち、洛陽を囲む。斉の将段韶之を禦ぎ、ボウ(亡におおざと)坂に登りて聊か周軍の
 形勢を観んと欲す。太和谷に至り、便に周軍を値し、即ち馳を遣わし諸営に告げ、諸将と陣を結びて以って之を待つ。周軍歩人を以って前に在り、
 山を上りて逆い戦う。段韶彼の歩に我が騎を以ってし、且つ却り且つ引き、其の力弊れるを得、乃ち下馬なるを遣わし之を撃つ。短兵始めて交わり、
 周人大いに潰え、並びに即ち奔り遁る。
張預:敵高きに処り陣を為さば、仰ぎ攻むべからず、人馬の馳逐、弧矢の施発、皆不便なり。故に諸葛亮曰く「山陵の戦い、其の高きを仰がず、
 敵高きより来たれば、之を迎うべからず。勢い不順なり。引きて平地に至り、然る後に合戦す」と。

336 :名無し整備兵:2010/01/17(日) 20:48:23 ID:???
佯りて北ぐるに従う勿れ

李筌、杜牧:伏兵有るを恐れるなり。
賈林:敵未だ衰えざるに忽然として奔り北ぐるは、必ず奇伏有りて、我が兵を要撃せんとす、将士を謹み勒め、逐い追わしむる勿れ。
杜佑:北ぐるとは、奔走するなり。敵方に戦いて、気勢未だ衰えざるに、便に奔走して兵を陳ぶる者は、必ず奇伏有り、深く入りて之に
 従う勿れ。故に太公曰く「それ甲を出だし兵を陳べ、卒を縦りにして乱行する者は、以って変を為すを欲するなり」と。
梅堯臣:杜牧の註に同じ
王ル:勢い北ぐるに至らざれば、必ず詐有るなり、即ち逐う勿れ。
何氏:戦国の秦師が趙を伐つや、趙奢の子恬廉頗に代わりて将となり、秦を長平に拒むが如し。秦陰に白起をして上将軍と為さしむ。
 趙出兵し秦を撃つに、秦軍佯りて敗れ走り、二奇兵を張り以って之を劫かす。趙軍勝を逐い、追いて秦壁に造るも、壁堅くして入るを得ず。
 而して秦の奇兵二万五千人、趙軍の後ろを絶ち、又一軍五千騎、趙を壁の間に絶つ。趙軍分かれて二つとなり、糧道絶ゆ。而して秦軽兵を
 出だし之を撃ち、趙戦い利あらず、壁を築き因りて堅く守り、以って救いの至るを待つ。秦趙の食道絶ゆるを聞き、王自ら河内に之き、
 卒を発して趙の救い及び糧食を遮絶す。趙の卒食を得ざること四十六日、陰に相殺し食む。恬射に中りて死す。蜀の劉表劉備を遣わして
 北を侵しギョウ(業におおざと)に至り、曹操夏候惇、李典を遣わし之を拒ましむ。一朝劉備屯を焼きて去り、夏候惇諸将を遣わし之を
 追撃せしむ。李典曰く「賊故無くして退く、疑うに必ずや伏有り。南道は狭窄にして、草木深し、追うべからざるなり」と。聴かず。夏候惇等
 果たして賊の伏する裏に入るも、李典救いに往き、劉備救い至るを見、乃ち退く。西魏の末、将史寧を遣わし突厥と同じくして吐谷渾を伐ち、
 遂に樹敦に至る、即ち吐谷渾の旧都にして、多く諸珍蔵す。而して其の主先ず已に賀真城に奔り、其の征南王及び数千人を留め固守す。
 史寧之を攻めるに、偽りて退く。吐谷渾人果たして門を開き之を逐う。因りて兵を回し門を奪うに、門未だ闔じるに及ばず、史寧の兵
 遂に入るを得、其の征南王を生獲り、男女財宝を俘獲し、尽く諸突厥を帰せしめる。

(何氏註続く。)

337 :名無し整備兵:2010/01/17(日) 20:50:26 ID:???
(何氏註続き。)

 北斉の高澄立つに、侯景叛きて梁に帰し、彭城を囲む。高澄慕容紹宗を遣わし之を討たしむ。将に戦わんとするに、
 紹宗梁人の剽悍なるを以って、其の衆の撓むを恐れ、将帥を召して之に語りて曰く「我当に佯りて退くべく、梁人を
 誘いて前ましむ、汝其の背を撃つべし」と。申明之を誡しむ。侯景又梁人に命じて曰く、「北ぐるを逐うこと二里を過ぐる
 勿れ」と。会戦し、紹宗走るに、梁人侯景の言を用いず、敗るに乗じ深く入る。魏人紹宗の言を以って信と為し、争いて
 掩撃し、遂に大いに之を敗る。唐の安禄山反き、郭子儀衛州を囲むに、偽鄭王慶緒兵を率いて来援し、分かれて三軍
 を為す。郭子儀陣して以って之を待ち、予め射者三千人を選び、壁内に伏せ、之を誡しめて曰く「吾の小しく却るを俟て、
 賊必ず争い進む、即ち城に登りて鼓譟するに、弓弩斉発し以って之に逼れ」と。既にして戦い、郭子儀偽りて退き、
 賊果たして之に乗ず。乃ち塁門を開くや、遽かに鼓譟を聞き、矢注ぐこと雨の如く、賊徒震駭す。衆を整えて之を追い、
 遂に慶緒を虜とす。
張預:敵人奔り北ぐれば、必ず真偽を審らかにせよ。若し旗鼓斉え応じ、号令一なるが如ければ、紛紛紜紜として、
 退き走ると雖も、敗れるに非ざるなり、必ず奇有るなり、之に従うべからず。若し旗靡き轍乱れ、人囂しく馬駭けば、
 此れ真に敗れ却るなり。

338 :名無し三等兵:2010/01/18(月) 02:00:55 ID:???
乙です

339 :名無し三等兵:2010/02/12(金) 00:19:38 ID:???
勉強になる

340 :名無し三等兵:2010/02/18(木) 00:11:30 ID:???
素晴らしいです。ありがとうございます。

341 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 00:36:14 ID:???
何と中国共産党は一度も戦争に負けた事がない

・日中戦争(中国の戦略的勝利)

・国共内戦(中国共産党の勝利)

・中印紛争(中国軍の圧勝)

・中ソ国境紛争(引き分け)

・1979年中越紛争(引き分け)

・1984年中越紛争(中国軍の圧勝)

342 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 00:37:39 ID:???

それもこれも最強の兵法書「兵法三十六計」のおかげでなのだ

毛沢東は兵法三十六計に忠実だった

343 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 13:34:10 ID:???
中越戦争負けてるし

344 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 18:20:14 ID:???
はあ? 引き分けだろ?

懲罰という目的は達成されたんだから。

言っとくけど戦死者数なんて勝敗には無関係

345 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 22:41:11 ID:???
・中ソ国境紛争(引き分け)

これって負けたんじゃ
目的を達成してませんし

346 :名無し三等兵:2010/02/20(土) 22:46:53 ID:???
>>341-342 は荒らしのマルチコピぺ。

わざとageて無茶な事を書いて、反論を誘ってスレを混乱させるのが
目標なので、スルーして運営に報告するのが吉。

347 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 18:55:04 ID:???
>>345
1974年中越紛争は最初から懲罰が目的だから別に占領目的じゃないから。

その証拠に次の1984年中越紛争では圧勝してるだろ???

348 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 18:59:58 ID:???
確かに中国共産党は一度も戦争に負けたことが無い

戦争に負ける=降伏文書に署名か元の領土を奪われる

中国共産党はどちらも許してない

349 :名無し三等兵:2010/02/21(日) 23:38:43 ID:???
スレ違い

350 :名無し三等兵:2010/02/22(月) 17:24:22 ID:???

全ては「孫子の兵法」「兵法三十六計」のおかげと言う事だ。

東郷平八郎だってそうだろ??

351 :名無し三等兵:2010/02/25(木) 16:49:08 ID:???
そうですそうです。

352 :名無し三等兵:2010/02/27(土) 17:10:52 ID:???
コピペしまくってる人ブログかまとめでやってさ、ここでは議論をしたほうがいいんじゃないの?

353 :名無し三等兵:2010/02/27(土) 17:54:55 ID:???
老子が大ブームになりそうだ。 次は孫子かな?

354 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 04:12:41 ID:???
>>353
物凄く嘘臭いな

355 :名無し三等兵:2010/03/04(木) 19:24:51 ID:???
20代で老子がブームだな

356 :名無し三等兵:2010/03/05(金) 21:29:51 ID:???
老子が大ブームになりそうだ、次は孫子かな?

357 :名無し三等兵:2010/03/06(土) 12:36:29 ID:???
その次は孔子かな?

358 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 12:43:44 ID:???
 

359 :名無し三等兵:2010/03/07(日) 14:38:55 ID:1cOHOk5E
普通に読物として面白いよね

360 :名無し三等兵:2010/03/14(日) 01:41:15 ID:???
数ヶ月前に、三国志の曹操の墓が見つかったと放送ありましたが、曹操注釈の兵法書は見つかったのだろうか。
その後、全く情報ないのですが、実際に曹操のお墓だったのでしょうか。
知っている人いたら教えてください。

361 :名無し三等兵:2010/03/20(土) 22:24:29 ID:79mW5Fom
寒冷により調査休止中だったかを再開する予定とかニュースを聞いた覚えはある
後は曹操の墓ニュースサイト(中国)や、軍板だけでなく三戦板中英板で聞く手も在る

362 :名無し三等兵:2010/03/22(月) 18:37:04 ID:???
司馬遷

363 :名無し三等兵:2010/04/02(金) 23:09:57 ID:???
孔明たん

364 :名無し三等兵:2010/04/03(土) 10:26:29 ID:???
神通力で水流や風流を変えて赤壁の戦に勝った孔明の話が実話なら孔明は
現代戦でも名軍師になれる。


365 :名無し三等兵:2010/04/11(日) 11:23:52 ID:???
朱元章

366 :名無し三等兵:2010/04/12(月) 15:22:23 ID:???
を支えてた最強の軍師の劉基

367 :名無し三等兵:2010/04/16(金) 16:37:56 ID:???
>>365
最後の漢字違うぞ

368 :名無し三等兵:2010/04/22(木) 00:07:09 ID:???
注釈見てると、曹操が一番頭いいって感じるなあ。

369 :名無し三等兵:2010/04/22(木) 00:46:01 ID:???
頭良いかどうかはともかく、初期だから抽象的な部分も多く適用範囲が広い。
また時代の差もあって、曹操の場合は基本的に詩の性質などを見ても漢代の人だから基本的に文章が簡潔で、すっと頭に入ってくる文章が多い。

完全に魏晋南北朝あたりになると異様に表現がきらびやかになって読みにくくなり、
それ以降は文学のメインストリームの変化はあれど、史書をみても分かるように読み難さが段違いになる。
おまけに漢代以上に「経典」+「三史」の知識を前提として注釈作るからわかりにくいったら無い。

370 :名無し三等兵:2010/04/25(日) 01:31:08 ID:???
曹操注釈の孫子の本ってどこかで売ってるの?

371 :名無し三等兵:2010/04/25(日) 01:39:19 ID:???
原文なら国会図書館のデジタルライブラリーで普通に拾えるぞ、あそこは古典の宝庫
ttp://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000053848

372 :ゲーマー:2010/04/25(日) 13:08:49 ID:???
>>168
> 孫子曰く、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して
>以って敵の勝つべきを待つ。

昔の優れた将軍は、自軍を負けない態勢として、敵のミスを待つ。

> 勝つべからざるは己に在り、勝つべきは敵に在り。

敗北は自軍のミスであり、これは防ぐことができる。
しかし、優れた将軍と軍隊でも、攻め込んで必勝するのは難しい。
必勝は、相手のミスがあってはじめて可能になる。
「負けに不思議の負け無し」

>>169
だいたい同じ話。
必勝の条件が備わっていることを知ってから戦うべきで、
「条件がそろっていないが勝ちに行く」のは間違い。



373 :名無し三等兵:2010/04/25(日) 13:20:56 ID:???
>>170
> 勝つべからざるは、守りなり。
>>171
> 勝つべきは、攻めるなり。

勝てないときは守り、勝てるときは攻めろ?

> 守れば則ち足らず、攻めれば則ち余り有り。

これは>>173の言うように、攻撃側のイニシアチブの有利を言うものではないのかなあ?
だとすると、>>171は、「守っても勝てない。攻める側が勝つ」という意味か?

太平洋戦争後半、日本軍は守りに回ったが、全ての島に十分な防御を引くことは不可能だった。
米軍は日本軍の防備を事前に偵察し、守りの薄いところを奪えば良かった。
メジュロ、レイテなどはその例。
北アフリカのロンメルも同じ?

他方、ビルマの日本軍は、守るのにはとても兵力が足りないので無理に攻め込み…
確かに、2ヶ月間はイニシアチブを奪い英軍を慌てさせたが、最終的に自滅した。

374 :ゲーマー:2010/04/25(日) 13:33:33 ID:???
>>184-187
孫子の言うことはおっしゃるとおり。
アメリカ軍や豊臣秀吉のように、淡々と作業のように戦えと。

まさにおっしゃるとおりではあるが、理想論。

現実に、不利な体勢で、敵に戦いを仕掛けられたらどうするか?
戦うかどうかは、自軍が決められるとは限らない。

まあここはそうならないように最大限努力するのが大事だという話で、
そうなってしまった場合は、別の章で論ずべき問題なんだろうけど。

375 :名無し三等兵:2010/04/25(日) 16:50:18 ID:???
>まあここはそうならないように最大限努力するのが大事だという話で、
>そうなってしまった場合は、別の章で論ずべき問題なんだろうけど。

この辺は本当に難しいよね
歴史を見れば大国に挟まれた小国とか
必死に安全保障の方策を取るのだけど
結局は攻めこまれちゃう……

別に論ずべきというのは単に強者のエゴな気もするなあ
率直に孫子的思考の限界と捉えるべきじゃないか?

376 :名無し三等兵:2010/04/25(日) 17:13:09 ID:???
ただ曹操本人が袁紹相手に勝利し「至弱から至強」になったわけで(古代ならではのアバウトさもあるだろうが)
攻め込まれたなら攻め込まれたで打つ手はあるし、手の中身については孫子も述べていると思われ。
(情報、奇策などの話が該当するとと思っている

377 :名無し三等兵:2010/05/15(土) 19:42:26 ID:???
 

378 :名無し整備兵:2010/05/16(日) 00:21:41 ID:???
鋭卒は攻める勿れ

李筌:彊気を避けるなり。
杜牧:実を避けるなり。楚子の隋を伐つや、隋の臣季良曰く「楚人は左を尚ぶ、君必ず左し、王と遇うなかれ。且つ其の右を攻むれば、
 右良き無ければ、必ず敗れん。偏り敗れれば、衆乃ち擒となる」と。隋少師曰く「王に当らざれば、敵に非ざるなり」と。従わず、
 隋師敗績す。
陳r:此の説是れ敵の長ずる所を避けるなり、鋭卒攻める勿れの旨に非ざるなり。蓋し士卒の軽鋭なれば、且つ之を攻める勿れ、
 其の懈惰を待ち、然る後に之を撃つを言う。所謂千里の遠きに闘わば、其の鋒当る莫らざるは、蓋し之に近きのみ、と。
梅堯臣:其の気の挫けるを伺う。
何氏:蜀の先主(劉備)大衆を率いて東に呉を伐ち、呉の将陸遜之を拒ぐが如し。劉備建平より囲みを連ねて夷陵の界に至り、数十屯を立て、
 金帛爵賞を以って諸夷を誘い動かす。先に呉班を将とし数千人を以って遣わし、平地に於いて営を立て、以って戦を挑まんと欲す。
 諸将皆之を撃たんと欲す。陸遜曰く「劉備軍を挙げ東に至り、鋭気始め盛んにし、且つ高きに乗じ険を守り、卒に攻めるべくは難し。
 之を攻め縦え下すも、猶尽く克つは難し、若し不利有らば、我を損すること必ず大なり。今但だ且つ将士を奨励し、広く方略を施し、
 以って其の変を観る」と。劉備其の計行われざるを知り、乃ち伏兵八千人を引き、谷中より出る。陸遜曰く「諸軍の呉班を撃つを聴かざる
 所以は、之を揣るに必ず巧有る故なり」と。諸将並びて曰く「劉備を攻めるの初めに在るに当り、今乃ち人をして五六百里相銜持し、
 七八月を経、其の諸要害、賊已に固守す、之を撃つに必ずや利無し」と。陸遜曰く「劉備は是れ猾虜、其の軍始めて集り、思慮精専にして、
 未だ干すべからざるなり。今住むこと已に久しく、我が便を得ず、兵疲れ意沮れ、計復た生ぜず。此の寇を掎角するは、正に今日に在り」と。
 乃ち先ず一営を攻め、利あらず、陸遜曰く「吾已に之を破るの術に暁らかなり」と。乃ち各々をして一把の茅を持たしめ、火攻を以って之を抜く。
 劉備夜に因りて遁る。

379 :twitterより伝言:2010/05/16(日) 00:36:01 ID:???
seibihei:旅人よ、孫子スレに行きて伝えよ。規制に巻き込まれ、次の投稿は来年になる、と

380 :名無し三等兵:2010/05/17(月) 13:30:09 ID:???
最近では朱徳

381 :名無し三等兵:2010/05/29(土) 14:49:32 ID:???

東郷平八郎が日露戦争でバルチック艦隊を撃破できたのも
「孫子の兵法」のおかげらしい。

382 :名無し三等兵:2010/06/01(火) 16:37:50 ID:???
 

383 :名無し三等兵:2010/06/03(木) 14:02:47 ID:???
>>381
T字戦法って奴か?

384 :名無し三等兵:2010/06/10(木) 08:36:45 ID:???
日米韓で人気を集める『孫子兵法』、その理由を探る
ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0609&f=national_0609_021.shtml

385 :名無し三等兵:2010/06/12(土) 20:40:23 ID:???
アメリカ人は好きみたいだな

386 :名無し三等兵:2010/06/27(日) 18:44:57 ID:???
 

387 :名無し三等兵:2010/07/03(土) 18:12:09 ID:???
孫子と孫ピンは別人

388 :名無し三等兵:2010/07/07(水) 21:23:33 ID:???
ほす

389 :名無し三等兵:2010/07/08(木) 23:25:37 ID:???
>>370
明治書院新釈漢文大系の孫子だと魏武注ほぼ全文が注釈に使われている。

390 :名無し三等兵:2010/07/13(火) 23:32:26 ID:???
>>389
新と旧があるけど、内容はどっちも同じなの?

391 :名無し三等兵:2010/07/15(木) 19:21:03 ID:???
中国の王朝の変遷、気候の寒冷化が影響か 研究成果
ttp://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2741042/5967287

392 :名無し三等兵:2010/07/16(金) 01:06:42 ID:???
韓信を尊敬しております

393 :名無し三等兵:2010/07/24(土) 12:28:53 ID:???
韓信の股くぐり

394 :名無し三等兵:2010/07/30(金) 12:13:18 ID:???
 

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